01



今までで、一番長い一日だった。

ウォール・ローゼの壁が目視できた時には既に太陽はその姿を7割方隠し、辺りは薄暗くなり始めていた。
あの後、鎧の巨人が追ってくることも他の巨人が追ってくることも無く、負傷者を一人も出すことなく帰路に着くことが出来たものの、コニーの話にあった"夜でも元気に動き回る巨人"が現れる可能性もあり、壁の内側へ帰還することが急がれ、兵士達は最後まで気を抜く事が許されなかった。


「――急げ!怪我人を先にしろ!!」


やっとの思いで壁に到着した際には駐屯兵団がスタンバイしており、ようやく"安全な"壁の中に帰ってきたのだと認識し兵達の中にあった緊迫感は解かれるも、刹那押し寄せる疲労感に誰しもが重い息を吐き出す。
疲弊した兵の代わりに駐屯兵がリフトを何度も往復し負傷者を次々と運んで行き、いつになく混沌とするウォール・ローゼ壁上。それは未だローゼ内の安全が確実には確保されていないことと、奪還作戦に参加した大多数の兵の姿が極端に少ないことにあった。


「まさか…これで全部なのか?」

「憲兵団はどこ行った!?本当に大半を失っちまったのか!?」


エルヴィンが憲兵を率いてここを出発した際には100人程がいたが、現時点で生きて帰ってきた者は約4割、そのうちの半分は負傷、そして、その大半は調査兵ばかり。壁外調査時とは異なる事情である事は誰もが承知ではあったが、しかしそれにしては被害が大きすぎて、――そしてまさか調査兵団のトップが今生死の世界を彷徨う状況に陥っているなんて、誰も予想だにしていなかった。


「団長!?聞こえますか団長!!」

「まずいぞ意識が…早く運べ!!」

「エルヴィンさん…!!」


ルピはずっとエルヴィンの傍に寄り添っていた。ミカサは肋骨をやられたようだが意識は保っていたしエレンはかすり傷程度のものだったし、帰路に巨人の気配はなく彼等に危険は及ばないと自身で判断し、そうすることを優先したのだ。


「しっかりしてください…!!」


壁に着くまで他の兵士同様ずっと気を張っていたのだろう。自身の馬に乗り負傷したと思わせないくらい毅然とした態度を保っていた彼が壁に着いた途端、フッとその意識を手放した時。
ルピは彼を"失いたくない"と思った。

エルヴィンとの間に"死別"を感じたことは一度もない。いや、エルヴィンだけじゃない。リヴァイにも、ハンジにもそれを感じ取ることなど無かった。それはきっと、彼等が負傷する場面を一度もこの目で見ていないからだと思われる。だから今この現況、"失うかもしれない"という焦燥に似た感情に酷く動揺している自分がいた。これからも調査兵団のトップとして我々の道導として、その背中を見て駆けていくんだって、そして共にマリア奪還を果たし、この壁の中に再び和平を、


「――ルピ!」


――ドクリ。ざわめく周りの音の中。それは己の耳にダイレクトに響き、そして鼓動を上げる。エルヴィンにばかり気をとられていた視野を広げ、ルピは声の方へ目を向けた。


「…!」


主の声に素早く反応したそれと刹那、目が合う。少し見開かれる目。もしもそれが今ルヴの状態だったならば飛んで尻尾を振って駆け寄ってくるのだろうか、なんて。それでも少し駆け足でよってくる彼女の顔は、そうするいつもよりかは顔が綻んでいる気がした。


「リヴァイさん」


見たところ怪我もなさそうで、至極いつも通りな彼女はこの疲弊と失意漂う空気の中で格段に浮いていた。流石だな、と思う傍ら、それでも彼女がどれほどの活躍を見せ危機を掻い潜ってきたのかは今のリヴァイには図れそうに無い。


「無事でなによりだ」

「はい、ありがとうございます」


たった、一言。それでも、その声をいつになく待ち侘びていたようにも思う。その姿を目にするのは久しぶり、しかもこうして自分だけが戦地に赴きその帰りを彼に迎えられることなど今までになく、エルヴィンと合流した際にも感じた安心感とは異なる感情がそこにはあった。安心よりも、何だろう…こうしてまた彼と話せることに喜びという名の胸の高鳴りを感じるのは、先程までの張り詰めていた緊張から開放された反動からくるものなのだろうか。


「……エルヴィンには俺が付く。お前はエレンの傍にいて、最後まで奴を守ることに専念しろ。…話は全てが落ち着いてから聞く。いいな?」


報告しなければならないことが、沢山あった。けれどもリヴァイは悟ったかのように先手を打ってきた。やはり悠長に再会を喜んでいる暇はここでもなさそうである。
最後までエレンを守れ。その意図は分からなかったが、ローゼ内の安全が確実ではないことを思えば、また何が起こってもおかしくはないと彼は言いたいのだと思われる(起こって欲しくないのは山々だが)。その役目が己にしか務まらないのであれば、その命に従うまでのこと。


「わかりました」

「……まさかエルヴィンが負傷して帰ってくるとはな」


そう言うリヴァイの横を担架に乗せられ運ばれていくエルヴィンの顔は蒼白に満ちていて、今までに見たことの無い彼のその表情は脳に焼き付いて今後離れそうに無い。
どうか生きてと、声には出さないものの精一杯心で祈ったこの思いは果たして彼に届いたのだろうか、なんて。


「毎度お前にばかり頼んですまないとは思うが…後は頼んだぞ、ルピ」


そう言って、リヴァイはその後についていった。


「了解です」


ルピは何の遺憾も示さず、しっかりとそう返事をした。
別れ際、クシャリといつものように頭に乗せられた彼の手はとても優しくて、温かくて。それだけで、疲れが吹っ飛んだ気がした。



back