02



ルピはリヴァイに言われた通りエレンの元、未だ壁の上で集っている104期兵達の元へ向かった。


「皆さん、無事で何よりです」


既にその場にいる兵士の数は疎ら、馬も全て壁内に戻されたようで、数分前まで広がっていた騒々しさは無くなっていた。しかし、その場に残された空気は未だ重い。コニーやヒストリアはかなり疲弊し、立ち上がる事が出来ないようで、コニーは悪夢にでも魘されているかのように小さく唸っている。
…まぁ、無理も無い。今までで一番悲惨な現場だったと何度でも思おう。女型の時とはまた違う、無力な兵士達が次々と食べられていく光景はそう―以前リヴァイの言っていた大規模領土奪還作戦を彷彿させる。加えて、ウトガルド城での壮絶な体験の後のこれだ、新兵の彼には堪えるにも限度がある。

比べて、ジャン、アルミン、エレンはしっかりとその足で立っていた。「104期は悪運が強い」とジャンは言うが、きっとそれ以上に彼等の中にある意志の賜物。精神も古株並み、それぞれの特性を戦況で上手く引き出せているのだろうとルピは思う。
憲兵を選ばなくて正解だったのではと、本人には言わないけれど。

ミカサは既に救護班によって医師の元へ運ばれたらしい。大事には至っていないようだが、リヴァイに続きミカサの負傷は痛いところ。この後はもう事件が起こらないことを祈るばかりだ。


「…ルピさん、今聞くべきことではないのかもしれませんが…」

「?」

「ルピさんの"力"は、エレンの巨人の力と同じ…と考えていいのでしょうか」


アルミンからの問いに、ルピは一瞬考える。迷ったのだ。確かにエルヴィンはルヴの力の解放を宣言したが(あくまで聞いたのはリヴァイからだが)、その内容について何処まで話していいものなのか。――否、それ以前に、自身の中で引っかかった"ある問題"の所為だと思われる。

その話が出た途端、疲れ果て大の字で寝ていたコニー、跪いていたヒストリアでさえも身体を起こした。あの時はエレンを救うことに一杯一杯で説明もしないままにお披露目に至ってしまったからさぞかし驚いたであろう事は言われなくとも分かるのだが。
じっと己を見据える彼等の目に、蘇る過去の場景。ウォルカの事件の時―いや、昔から存在し払拭された筈のそれにまだ終わりがないことを、改めて体感させられた気がした。

このまま黙っていて彼らの中にある懐疑心や恐怖心をそのままにしておいてはいけない。分かっているのに、次の第一声は軽快に出てはくれない。


――あんたは、こっち側の人間だ


あの言葉さえ聞かなければ。何を思うことなく淡々とルヴについて説明していただろうか。
この力に忌みも偽りも無いと思っていた。この世界を救うために、巨人に立ち向かう為にある力なんだって、信じて力を養ってきた。そうして自分の存在を確立させ、揺るぎなきものにしてきた。

本当なら、彼等にこのことについて聞かれる前に、リヴァイやハンジ、そしてエルヴィンにライナーの発言について聞いて欲しかった。そうして否定を貰う事で、払拭したかった。今までのように純粋な気持ちでこの力を駆使していいんだって、忌諱に晒されることはもう無いんだって、
――私は、ここにいていいんだって


「…正確には、分かりません。けど、原理が異なるので…巨人の力では無いと思います」

「確かに、ルピさんは身体そのものを獣化していますね……エレン達は項から這い出てくるのに」

「はい。…ただ、この力については巨人同様…未知の部分が多くて。エルヴィンさんの命で、新兵には知らされませんでした」

「今までの壁外調査でも、その力を…?」

「ええ。ルヴに巨人は興味を示しませんから。ガスの補充や救護のサポートに廻っていました」


へぇ、と感心するように彼等の顔色が元に戻っていく。便利な力と思っただろうか。それでもまだ、怖いだろうか。
自信を持って言える事は、己には少なすぎた。エルヴィンなら何て説明し、彼等を納得させるのだろう。リヴァイなら何て説明し、彼等を黙らせるのだろう。ハンジなら何て説明し、彼等に滾り晒すのだろう。


「…色々な事が次々に起こっている中、更に混乱させるような真似をしてごめんなさい」

「…いえ……そりゃぁ最初は驚きましたが、」

「でも、これだけは信じてください」


それでも、確実に今、自信を持って言える事は一つだけある。


「私は、貴方達の味方です」


何があっても。それだけは、真実だと。



 ===



ガチャ_


リヴァイが兵舎への帰路についたのは、壁外調査へ出て帰ってくる時よりも大分遅い時間となった。

部屋に入れば既にそこは暗く、入って瞬間かかる「おかえりなさい」の声は無い。一瞬まだ帰ってきていないのかと思ったが、ドアの隙間から漏れる明かりが照らす左端、ベッドの上、布団の中、小さな塊が規則正しく上下しているのを確認する。

珍しく―いや、初めてではないだろうか。彼女が自分より先に"本当"に寝付く事があるなんて。

余程疲れたのだろう。女型捕獲作戦時から働き詰め、その身体を休める暇などルピには無かっただろうと負傷したエルヴィンに付きっ切りだった側近に聞いた。超大型と鎧とのウォール・ローゼでの攻戦後も一人で奴等の後を追い、エレン奪還の為に死力を尽くしていた、と。
どこまで忠実なんだ、と思う傍ら、今やその行動は尊敬に値する域に達している。命令などなくとも兵団の未来の為に自ら行動するまでになった彼女の急成長ぶり、戦いの中で遂げる進化に、ずっと傍でそれを見てきた己にとってこれほど喜ばしいことはない…とエルヴィンなら口にするのだろうか。

起こさぬようにそっと、リヴァイはベッドの脇に腰掛けた。薄暗さに目も慣れ、布団の中、垣間見えるルピの表情に苦痛等は無かった。


「……」


足を痛め、戦力外となった今。ただ指示を出す身、重要人物の監視しか出来なくなってようやく、待たされる側の気持ちが分かったような気がする。戦地に赴いた同志達を出迎える心情は(一般人や他兵士に比べれば格段に異なるのは言わずもがなだが)今までにないくらいのジレンマを抱えていた。自分がその場にいれば救えた兵士も、好転に機した何かがあったことも、彼女にここまでの心労を与えることなどなかったことも。…初めから選択肢など無いにもかかわらず、そんなことを考えるとはらしくないと嘲笑った。


「……」


いつもより優しく、髪を撫でる。ふと、顔の前に置かれた両手、暗闇にやたらと白く浮くそれに目を奪われた。
彼女の手をこうして眺めることなど無かった。その手をとった事も、ましてや触れたことすらないのではないかと思う。そうする必要がない。挨拶で握手を交わす事など最初から無かったし、下心満載のエロ親父じゃあるまいし物の手渡しの際に意識して触れるなんて一切無い、寧ろ無意識の範疇でも皆無だ。
華奢なんだな、と思った。小柄な体格は変わらないが、体力面から見て彼女は相当筋肉質、顎の力が強けりゃ握力も強い。だから、意外だった。それでも己が握ればいとも簡単に潰れてしまいそうな見た目、その小さな手にどれだけの力を秘めているのかと、それはまたこの後どんな風に咲いて見せてくれるのだろう、なんて。


「……」


気づけば髪を撫で続けていた左手をそっと小さな手の上に添えていた。何を思ってそうしたのかはリヴァイ自身分かっていない。ただ、触れなければと思った。
そうして今までに無かった物体との接触にルピは一つ身じろぎし、そして、無意識に。

その手、指先一つ、キュッと握ってきた。


「…………」


エレンを奪われ奪い返し、ハンジ班、エルヴィンの負傷、憲兵の壊滅を見、それでも何食わぬ顔で帰還した彼女。しかしその内にあった不安、焦り、恐れが、全てがその柔らかな熱から伝わってきた気がして、リヴァイは少し強めに握り返した。

温さが、双方の手に融解する。

あの時その姿を見つけ、目が合ったときにブワリと疼いた心の機微。明確にしなくとも、分かっていた筈だったのに。なのに今更、本当に今更、触れたことで実感した。
――生きている。ルピは今ここで、しっかりと呼吸し、そしていつもの通り、己の傍にいる。


「…ゆっくり休め」


労い、感謝、その他全ての意味を込めて。
リヴァイは小さく呟き、手持無沙汰な右手でもう一度髪に触れた。



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