06



「――ルートはこうだ。壁上防衛班が目視出来ない範囲、この地図に印した箇所―ローゼの中心部を時計回りに進み、壁内に巨人が残っていないか、また生存者等の有無も確認していく」

「わかりました」


トロスト区北門、壁上にて。周囲に巨人は見当たらないが壁門の開閉は禁止されている為、リフトで馬3匹を壁の向こうへと移す作業の最中、リコから本作戦の詳細が説明された。
ルピは基本馬で駆ける。村や町に入る際にはルヴになり先遣し、安全を確保することが命ぜられた。


「緊急事態発生時には一番近い壁の方へ走り赤の信煙弾を打つ。壁上防衛班はそれに気付いたら同じように赤の信煙弾を打つ手筈になっている。状況によっては調査兵団に増援を頼むことになるだろう」

「わかりました」


壁上には点々と数名、駐屯兵が待機している。双眼鏡で遠くを確認する者、壁の下を何度も覗き見る者、ただ呆然と、座っている者。態度はそれぞれだが、きっと心中は同じだろう。
通り過ぎる兵の中には己を誰だと気にしてチラチラと視線を投げて来る者もいたが、誰一人として声をかけてはこなかった。駐屯兵の中に、ポツリと小さな調査兵が一人、確実に浮いているのは分かっている。しかしピクシス指令のことだ、これも事前に話はしてあるのだろうと思っておくことにしよう。


「…恐らく暫くは走りっぱなしだ。ヘルガー、調査兵団2と云われるからには体力にも自身はあるだろう」

「はい、問題ありません」


ハキハキと返事をするあたり、また変わらない謙った感じから新兵感が拭いきれず、やはり心に残るは一抹の不安。ピクシス指令の命とあの犬の姿が無ければきっと、自らこの巡警隊を降りていたのではとリコは思いながら馬へと跨る。


「準備はいいな。行くぞ」


たった3人、小さなトライアングルの陣形を組んで。ローゼ巡警隊はトロスト区北門を出発した。


 ===


「――このまま真っ直ぐ進めば最初の村に到達する。一旦そこで休憩しよう」


だだっ広い草原を駆ける事小一時間。視界を遮るものが少なかった景観は次第に木々に覆われて行き、少し小高い山々が見え始めた頃。先頭を走っていたリコが久々に口を開いた。


「巨人はいるか」

「いいえ。足音も匂いもありません」


何度目かの、同じ問い。それに同じ答えを返せば、ヴィリが安堵の溜息をまたと吐く。
まだまだ序盤だが、これだけ走って一体も見つからないのであればもう巨人はこの壁内にいないのではないかと、思っても誰も軽々しく口に出来ない為に漂う空気は変に重くなる一方を辿っていた。確かに事態は事態だから暢気な世間話をしながら優雅に駆ける余裕などはないが、もしもこの編成がリヴァイとハンジだったらもっと気楽なのではと思ってしまう心理は否めない。

だが、今まで壁の一部でしか生活をしてこなかったルピにとって、この大移動はローゼ内を知る良い機会になったことは間違いない。白黒の線と点で描かれた地図にはない光景は、まさに圧巻と言うべきか。こんなにも自然豊かな土地が広がり続けているなんて、ともすればマリア内もこれ相応の壮大な土地が東西南北にあるのだと容易に想像が膨らんだ。
たくさんの人がこの土地で、暮らしている。家畜を飼い、食物を育て、毎日毎日を一生懸命生きている。平凡でも、質素でも、それが当たり前のことで、ただただ幸せだった。…それが当たり前で無くなってしまった。


――誰かがやらなくちゃいけないんだよ…


「…………」


チラリ、と既に遠くなったローゼ南を振り返り、脳内で再生するライナー等との死闘。今彼等は何を思い、何を考えているのだろうか。なんて。
いつかくる彼等との最終決着が今すぐでないことだけを祈り、ルピはまた前を向き、馬の手綱を引いた。




そうして、駆ける事十数分後。緑生い茂る中に徐々に現れ始めた茶や質素な色をした建物たちを確認し、ルピは最初に命ぜられたとおり「様子を見てきます」とルヴになってリコを追い越した。
残された馬の手綱をヴィリが慌てて拾い、リコは何を恐れることなく突っ走っていった白の姿を目に入れながら、ゆっくりと馬の速度を落とし、後を追う。

聞こえてくるは風に揺れる木々の擦れる音、小鳥の囀りのみ。景観は穏やかだが己等の心中が穏やかでない。駐屯兵にとって巨人との遭遇は言わずもがな調査兵より極端に少ないが為に、こういった場合の対処の仕方も不慣れで拙く効率も悪いだろうことはリコも重々承知だ。だから、今回のローゼ巡警隊に調査兵団の2が来ると聞かされた時には一瞬でも酷く安心してしまったものがある。まさかそれが自分らよりはるかに年下(見た目から判断)でお犬様だとは夢にも思わなかったけれど。


「――どうだった」

「人も巨人もいません。また、巨人が現れた形跡も」

「…そうか、ご苦労。ここで15分休息をとろう」

「「了解」」


足音もなくフッと姿を現した白く大きな獣に驚きはしたものの平然を装い、すぐさま小柄な兵に変わったそれに報告をもらったリコは、その場近くにあった大きな石に腰掛け、そう促す。
最初はルピのことを"馬鹿にしていた"リコだったが、彼女の堂々とした居れ立ち、最初から変わらない表情、また忠実な態度を見れば、強者と呼ばれるのが分かるとまでは言わないものの、彼女は根っからの調査兵向きなのだと思い始めていた。


「…ここは数日前に防衛線ライン張った地域に含まれているから…巨人が足を踏み込んでいないだけだろうか」

「いや…防衛ラインを張ったときから思っていた。今回の巨人の発生は何かがおかしいと」


水の一杯入ったバケツに一つ穴が開けばそこからドッと水が溢れ流れるように。次から次へと巨人が押し寄せてきたトロスト区奪還作戦を知っていれば特に今回の疎らな巨人発生率がおかしいことなど明々白々だが、巨人にたいする知識がまだまだ乏しいことを思えば油断は出来ず、更なる未知の恐怖に悩まされる日々をいつまで続ければいいものか、上官ですら判断に困り途方に暮れているのが現状だ。
だからと言って、何もしないわけにはいかない。巨人はもういないだろうという甘い判断が人類を滅亡に追い込む可能性だってある。たった小一時間の調査で怠けていてはいけない。いないだろうという"希望"は、捨てていかねばならない。


「お前もそう思うだろう、ヘルガー」


…そんな人類の全てを背負わされた巡警隊の精鋭に、ピクシス指令が直々に推薦し兵士長のリヴァイが了承しこの小さな調査兵が選ばれたこと。一体どんな試練を、苦難を乗り越えてきたのだろう、なんて。リコは少し、興味が湧いてきた。


「そうですね。…ハンジさんは地下から現れたのではないかと言っていましたが、土の中からそういった音も聞こえませんから…その線は薄いかと思われます」

「…耳が良いのは生まれつきか?――いや、その特殊な力…そのものが生まれつきか」

「そうだと思います。…すいません、小さい頃の記憶が曖昧で、私自身この力について良く分かっていなくて」

「エレン・イェーガーと同じか」

「え?」

「だが…お前は奴よりその力を使いこなしていると見受ける。正直、"あの時"より幾分気は楽だ」


良かったら、今までの壁外調査の話を聞かせてくれ。そう言うリコの顔は、初めて会ったときより随分と柔らかくなっていた。



back