07



「――今日からここが俺たちの拠点だ」


兵舎からどのくらいの時間をかけただろう。人里離れた山奥のそのまた山奥、ピクシスに紹介された土地物件は数人で住むには十分な山小屋と、馬小屋が一棟。周りは鬱蒼と生い茂る木々ばかりで、恐らく数q以内に人気は無い。聞こえてくるのは鳥の囀りと、風に揺れ木々が擦れる音のみ。逆にどうしてこんなところに一軒だけ建っているのかが不思議なくらいポツンと一軒家であったが、巨人化したエレンが暴れられる程の広大な土地付き、まさに最高の条件が整っていた。


「…やっと着いた」

「こんな山奥来たことないや」

「あー!お腹減りました!私!!」


ミカサ、アルミン、ジャン、サシャ、コニー、ヒストリアの6名―現調査兵団にいる"全て"の104期兵が新たにリヴァイ班のメンバーとして任命され、ヒストリアとエレンの護衛およびエレンの硬質化実験を進める為、拠点の場所を示した地図を渡されたその日の午後には早速移住を開始。あの事件からたった1日半、それでもこの怒涛に過ぎていった日々の中を思えば、その時間は彼らにとって十分な休息時間であった。


「おいおい爺さん…新たに人が住むって分かったら事前に掃除くらいしておけよ」


とりあえずその日暮らしに必要な物資だけ揃えて来た為、当然家の中には何もない。随分と前から使用されていないのだろう、中は埃だらけ、蜘蛛もこんにちは、だ。あぁこりゃ掃除が大変だとエレンは思いながら、嫌悪感マックスなリヴァイに目を向ける。


「俺、掃除します!」

「あぁ。優先的に台所の掃除を済ませる。終わったらヒストリアとアルミン、ミカサは夕食の準備。ジャンとサシャは薪集め、その他は掃除を続行だ」

「「了解」」


リヴァイの指示の後、エレンはいつも通り積極的に行動した。拠点に着いてまずやることといえば掃除。いや、常に掃除。これがリヴァイ班の決まりであることは自分しか知らない。

…あぁ、そういえば前にもこんなことがあったな、と思いだす。あの時も自分の実験の為に班が編成され、そうして皆で拠点に移り住んだ。
最初は自身も怯えていたけれど、皆それ以上に自分という存在に恐怖を感じていた。でも、その後しっかり話し合って分かり合えた。それからその距離はグンと縮まって、先輩方ばかりだったけれどとても良くしてくれて楽しく充実した日々を、


「……」


後ろから聞こえる、サシャの掃除の仕方に文句を言うリヴァイの声、コニーとジャンがそれを必死に宥めようとしている声、無理をしようとするミカサを止めようとするアルミンの声。

…オルオの掃除の仕方に文句を言うリヴァイの姿、ペトラがそれを必死に宥めようとしている姿、グンタとエルドがそれを横目に必死に掃除する姿。


「……っ」


全てがダブって、フラッシュバックする。走馬灯のように一気に脳内を走り去っていく、一連の記憶。


「――エレン!手が止まっているぞ」

「!!は、はい!すみません!」


サッと現実に引き戻され、エレンは誤魔化すように目の前の壁を必死に拭き始めた。
…もうあの時の自分とは、違う。今度は"失敗"しない。絶対に、やり遂げて見せる。そう、意思を込めるように。


 ===


そうして粗方の掃除、寝床の確保を済ませ、リヴァイ班が夕食にありつけたのは拠点に到着してから4時間後となった。
こうして同期揃って食事をとるのも久しぶりで、会話が途切れる事は無かった。ここに到着してからの雰囲気はそう、まるで訓練兵時代に戻ったように明るくて無邪気で。思い出話に花を咲かせれば、自然と皆の顔に笑顔が戻ってきていた。
…ただ、一人を除いては。


「――そうそう!!あん時のクリスタの顔といったら、」

「私はもうクリスタじゃない」

「「!」」


軽快に喋り続けるコニーにピシャリと幕を下ろしたのは、名を呼ばれた張本人―クリスタ。否、ヒストリア・レイス。同期がその名を知らされたのは、あの事件の後、壁の上に戻ってきた時だった。
あの時から彼女の雰囲気が格段に変わったことに気づいていない者はいない。ウトガルド城やライナー達との戦いを乗り越えればそりゃ人格が変わってもおかしくないと言われれば納得は出来る話ではある。だが、彼女もその場で"失った"ものがあった。――ユミルだ。訓練兵時代からの一番の理解者であった彼女に、目の前でサヨナラを告げられた。それが彼女の中のナニカを大きく変えてしまったようなのだ。


「クリ…いや、ヒストリア。…良かったら、ヒストリアの事、聞かせてくれない?」

「…そうだな。レイス家について…お前について俺達も知っておく必要はある」


アルミンの機転に、リヴァイが付け加える。皆の視線がヒストリアへ向かった。


「――私はウォール・シーナ北部の小さな牧場で生まれました」


ヒストリアは、生まれた時から"孤独"だった。祖父母とも会うことが多かったが普通の家族のような会話はそこにはなく家業を教わる時のみ会話をする―まるで仲の悪い上司と部下のような関係で、近所の子供達からはその姿を見られただけで石を投げつけられ、仲間に入れてすらもらえなかった。唯一の心の拠り所である母からも"愛情"というものを受けたことがない。寧ろ母は「こいつを殺す勇気があれば」と本人に向かって言うくらい、自分のことが嫌いなようだった。
自分が生きていることを、快く思っていない人ばかり。一体自分が何をしたのか、何故そんなことになったのか。知りたくても聞ける相手もいなくて。唯一牧場に居る動物たちだけが、自分の味方だった。


「そして、あの日――」


5年前、事態は大きく変わった。ウォール・マリアが陥落して数日経った夜、"初めて"ヒストリアに来客があった。


「その人は、私の住んでいた土地を治める領主の名を名乗りました」

――ロッド・レイス

その名前にピンときたのはリヴァイくらいで、誰も反応を示さない。レイス家が貴族であることも、ウォール・シーナ北部の領主を務めていることも、"興味"が無ければ知る由もない。

ヒストリアは皆の反応を気にもせず、話を続ける。

ロッド・レイスの他に黒いスーツを着た男性が数名おり、なにやら父と会話をした後、その中の一人に母親は捉えられ、ヒストリアの目の前で殺されてしまった。
あぁ自分も殺されるのかなと思った矢先、ここよりずっと遠くの地で慎ましく生きるのであれば見逃してやる。と父に言われ、難を逃れた。ヒストリアはその時からクリスタ・レンズへと生まれ変わったのだった。


「そして2年開拓地で過ごし、12歳になって訓練兵に入団して、皆と出会った」


そこで、ヒストリアはピタリと話すことを止めた。


「…そっか、ヒストリアも、大変…だったんだね――」


誰も何も発しない中、アルミンが会話を続けようと口を開く。リヴァイは特に何も言わなかった。

その話を聞いた時、リヴァイの脳内に浮かび上がったのは紛れもなく己の忠実な部下、ルピ。彼女も物心ついた時から町の者たちに忌み嫌われていた、と随分昔に聞いたことを思い出したからだ。
似ているな、と思う傍ら、この話を彼女がこの場で聞いていなくて良かったとリヴァイは思う。なぜか、と言われればこれといった理由は思い浮かばない。

そうして考える、彼女の事。今も休むことなく馬を走らせ―己自身も走らせ、壁内の安全を確保して回っているだろう。どの辺りまで進んだことだろうか。何も連絡が無いということは順調―巨人がいないことに繋がることは分かってはいるが、自分たちが呑気に飯を食っている間にも、神経を尖らせ、精神を擦り減らし、体力を消耗していることだろう。それを思えば、我々も早朝から実験に手を付けなければ、彼女に頭が上がらないな、なんて。

懸命にローゼ内を駆けるその姿を想像しながら、リヴァイは一つ紅茶を啜った。



back