08



――それから、三日後。


ザッ―

ピクシスが部屋の扉を開ければ、そこには既に三人の兵士の姿。己の前に整列するのは専ら自分の団に所属する兵ばかりだが、一人異なる胸章を付けたものを―しかもその兵団の主力を従えている光景はこの先も見ることのできない貴重な光景かもしれないと、足を進めながらまじまじと三人の顔をその瞳に映す。


「…ヘルガー。上官を前にしたら"敬礼"だ」

「……あ、すいません」


視線はそのままに口だけを小さく動かし、自身の左隣に注意を促すリコ。慌てたように右手を左胸に持っていく小さな兵士。


「…まったく、何故私がこんなことを教えなければいけないのか」

「ありがとうございます」

「礼などいらん。お前の教育係にちゃんと報告しておけ」

「わかりました」


そこでリコが小さく溜息を吐き、もう一人のヴィリも呆れたように視線だけをその兵士に向けた。自分を前にして繰り広げられる掛け合いに「ぶわっはっは!」と耐えきれなくなってピクシスは笑い出す。どうやらこの数日でこの三人もなかなかに打ち解けたらしい。


「その様子じゃと、何事もなかったようじゃの」

「ええ。巨人を目の当たりにすることは一度たりともありませんでした」


予想通りと言うべきか、巨人との遭遇、またその足音を拾うことは一回たりとも無かった。ルピ達が確認したのは巨人に遣られた後、野犬等に食い散らかされたであろう数人の遺体。巨人が蒸気と化して消えた―肉が腐ったような痕だけ。生存者も取り残されてなどおらず、人一人っ子見ることも無く。無事にローゼ1周を終え、こうしてピクシスの元に戻ってきたというわけである。


「やはり巨人はいない、か――」


ルピら巡警隊が見回っていた最中でも今でも壁上での警備・監視は怠ることなく続けられているが、そこからも何の一報もない。最初から心に留めていたとおり、やはりこれは今までとは異なる形での巨人の強襲であると確信するがしかし、では一体どこからどのようにという確証はまだ無いが為に安堵の声は誰からも漏れない。


「とにかく、ご苦労じゃった」

「「はっ」」

「ルピよ、手を煩わせてすまんかった。感謝してもしきれん」

「いえ」

「エルヴィンはまだ目を覚ましておらん。そちらもまだまだ元通り…とはいかんだろうがの。……して、この後はラカゴ村の調査に行くと聞いておるが?」

「はい、行ってきます」


ピクシスが部屋に入って早々感じた疲労の空気。だが、ただ一人ルピの顔にはそれが無かった。流石は調査兵の主力であり、伊達に何度も壁外調査へ出向いているだけはある。けれどもきっと、それだけが理由ではないことはピクシスも薄々感じ取っていた。

そうして「では、失礼します」と呆気なくルピはその場を去った。部屋を出る際に敬礼ではなくペコリとお辞儀をするあたり、先程自分が言ったことをもう忘れているのかとリコは呆れながら、しかししっかりと敬礼を返して見送る。


「…本当にタフな奴だ」

「あぁ…そうじゃの。彼女が特別視される所以がお主らにも分かったじゃろう?」

「ええ。最初は不安しかありませんでしたが」


溜め込んでいた重い溜息をどっと吐き出すリコ。あの能力が無ければ倍以上の時間と労力がかかっていたかと思うと悍ましくて震えそうである。
しかし良くもまああんな未知の力をすんなりと受け入れたなと今なら思えた。それを既知で今回の調査を実行したピクシス指令も、それを駆使して壁外調査を続けてきた調査兵団団長も、それの"教育係"も。自分達には無い判断力、決断力および実行力があるからこそ兵団の頂点にいるのだと改めて思わされた気がしたリコは、自分はまだまだであるなと、ピクシスに次の任務はと指示を仰ぐ。


「1日休め、ブレチェンスカ。お主らも良く責務を全うしてくれた」

「いいえ、私達はただヘルガーに"着いていった"だけです。あの子が次の任務に向かっているというのに私達だけ呑気に休んでいる暇はありません」


疲れた顔をしながらも、目の奥に宿す兵士としての情熱。隣のヴィリはあまり納得したような顔をしていないが、それでもその言葉を聞いてしまった以上後には引けまいと思ったのか覚悟を決めるように背筋を伸ばしている。

あぁ彼女は己の兵士らにいい意味で悪い刺激を与えてくれたのかもしれないと、ピクシスは己の髭面の顎を満足げに撫でた。


 ===


「――お、噂をすればなんとやら、だ」


調査兵団兵舎に入り最初の角を曲がった先。そこにハンジ班の面々とコニー。兵団の人間に会うのは約4日ぶりだ。


「おかえりルピ、お疲れ様!」

「ただいま戻りました」


その顔を見るに何事も無かったようだね。と言うハンジ。やはり彼女も壁内に巨人はもういないと思っていたのだろう。それを聞いて、ハンジ班の面々もコニーも安堵した表情を見せた。


「帰ってきて早々悪いんだけど…。準備出来次第、出発しようと思うんだけどいいかな?」

「はい。大丈夫です」


その為に急いで帰ってきました。と言えば「本当にタフで健気だね〜!!」と言ってハンジに抱き付かれ頬ずりを頂いた。ハンジ班の面々はそれを微笑ましく―いや、どうだろう、止めるか止めぬべきか迷っているような顔をしているようにも見える。
いつもならここでリヴァイの鉄拳が炸裂するが、生憎彼は山奥でエレンの硬質化実験に取り組んでいる。暫くハンジ班と行動しろと命を受けたのでそれについては何とも思ってないが、あれ以降―リヴァイが足を怪我して以降、一緒に行動することが極端に減ったな、と"意識的"に思うようにはなっていた。


「…では、行こうか。ラカゴ村へ」

「「はっ」」

「コニー、道案内を頼んでもいいかい?」

「はい。ここからだと――」


――ラカゴ村。今では今回の巨人騒動の"第一被害村"と言われている。現に村壊滅に至っているのはそこだけで、他の場所はルピが見た限りでは建物の被害などは大きくなく、寧ろ皆無のところも多かった。それもまた不自然な点として挙げられた内の一つであろう。
コニー達が行った時には遺体一つも無かったと言っていたが、そこの住人全員が避難して無事。という報告は今でもない。行方不明者等の情報を共有するにはまだ世間は混乱の最中にあり、シーナ内への避難が何より最優先とされているからである。
だからそう、今もきっとコニーの心情は穏やかではない。それに、あの時からずっと気にはなっていた。ラカゴ村の話をするコニーの態度、加えてモブリットが発見したという"とんでもないもの"。あのモブリットがハンジに直接言うのを躊躇ったくらいの代物がそこにはあって、…もしかしたら、コニーもそのとんでもないものの正体を分かっているのかもしれない。


「……」


出発となった途端に表情が暗くなったコニー。けれど何て声をかけていいのか分からず、ルピは黙ってその後を着いていった。

事実はハッキリさせなければならない。その場所に戻るということが、――どれだけ残酷なこととなろうとも。



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