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ウォール・ローゼ内の安全宣言と、調査兵団団長―エルヴィンがようやくその目を覚まし話せるまでに回復したのは、問題発生から一週間後のこととなった。


「失礼するよエルヴィン」


部屋に入ればお世辞にも広いとは言えない場所に3人の男性と、壁際に1人の女性。直近に会ったのは我が団長でもなく兵士長でもなく駐屯兵団司令、久々を感じる方がいつもと逆だなと思いつつ、うち2人に目を向ける。
ベッドの上に座るエルヴィンはその見た目で彼だと分かるものの、髪型も違えば寝たきりだった為に無精髭面、身体も少し瘦せただろうか。知らない人が見たらこの人が団長かと疑問を抱きそうな、そのくらいに彼も重症だったのだと改めて感じさせられながら、部屋へと入る。
肩から羽織られているシャツから覗く右半身は、左右対称ではない。――あの時、エレン救出の際、右腕を巨人に喰われそのまま連れ去られそうになっていた光景、今でもルピは鮮明に覚えている。

無事で良かったです。と一言言うつもりだったが、察する空気から感動の再会…をする余裕はなさそうだ。コニーも黙っている為、ルピも黙ってハンジの後ろから動かなかった。


「…いらしてたのですねピクシス司令。丁度良かったです」


あぁ、ご苦労さん。そう言って手を挙げるピクシスにコニーとハンジは敬礼を、ルピはペコリと会釈をした。
後ろに立つ女性には見覚えがある。確か、ピクシス指令の"お世話係"の人だ。

ハンジがコニーをピクシスに紹介後、リヴァイからコニーへ「ご苦労だった」と労いの言葉が飛ばされた。部下に対してそのような態度をとっているのを初めて見た気がしたが、…あの、わたしの事、見えていますでしょうか。


「――今回の件の調査報告に参りました」


最初から違和感しかなかった今回の巨人襲撃事件。巨人は壁外にしかいない。ならば壁が破壊されていないのにどこから来たのか。壁門が開いている隙に入ってきた、地下から湧いて出てきた、元から森の中に潜んでいた、など、色んなところで様々な憶測が飛び交っていた。
だが、どれも決定打に繋がらなかったのは、ピタリと当てはまる根拠がこれっぽっちも見つからなかったからである。人々を納得させるにはそれなりの証拠がなければ何事も成り立たない。ましてやまだまだ未知の存在である巨人の事なら、専ら。


「出現した巨人の正体は…ラガコ村の住民である可能性が高いと思われます」


だから、今回の調査において揃った数々のピースを繋ぎ合わせればきっと、誰もがその答えにたどり着くのは明白だった。
村の家屋が全て家の内側から何かが爆発したように破壊されていたこと。多数の破壊跡がありながらも、血痕一つ見つからなかったこと。何よりラカゴ村の住民が未だどこにも見つかっていないこと。…そして、壁内に出現し討伐された巨人の総数が、――ラガコ村の住民の数と一致したこと。


「「…!!」」

「…つまり巨人の正体は、人間であると」


全ての巨人がそうであるという確証はどこにもない。しかし、巨人の項の弱点に焦点を当てて考えると、理に適わないこともなかった。

縦1m横10p――これは訓練兵時代に誰もが習う数字で、巨人の弱点―項の狙うべき箇所を表している。もしそこに人の大きさのままの一部があるとするのなら、脳から脊髄にかけての大きさがそれに当てはまるのではないか。巨人は腕を切ろうが足を切ろうがどれだけ血を流そうが、傷の深さと比例するがその箇所は時間をかけて修復される。だが、項を切除されるとそこだけ修復されずに全ての機能を失うのは、それが巨人の物質とは独立した器官であるからではないかとハンジは推測した。


「お前が生け捕りにした巨人は毎回うなじを切り開いてパァにしちまうじゃねえか…。何かそれらしいもんは見なかったんだろ?」

「あぁ…特に人の変わった物は見なかったんだけど…そもそも一太刀入れる程度ではすぐにふさがるようなうなじだから完全な人の脳が残っているわけじゃないだろうけど、でも、確かに脳と脊椎と同じ大きさの縦1m横10センチの何かがそこにはある…おそらく同化して姿形がわからなくても確かに…」

「何言ってんのかわかんねぇなクソメガネ…」

「あぁそうだねごめん…」


ハンジが話す間、一番わかりやすいリアクションをしていたのはピクシスのお世話係で、その次にピクシス、リヴァイ、と言ったところだろうか。
無理もない。一体誰がそんな事、考えたことがあろう。巨人は人類の敵。我々人類は巨人に勝つために、危険を顧みずに壁外へ出て、それらと戦ってきた。どれだけ調べても分かり得ない巨人の生態に苦戦しながら、それらに自ら立ち向かっていく唯一の調査兵団は人類の英知の結晶だと、多数の犠牲を出しながらもその屍を越え、いつか人類はそれに勝つのだと信じて数多を殺し、ここまでやってきたのに。


「じゃあ…何か?俺が必死こいて削ぎまくってた肉は実は人の肉の一部で、俺は今まで人を殺して飛び回ってた…ってのか?」

「…確証はないといっただろ?」


視線を逸らすハンジ。


「もしそうだとすれば…なんじゃろな。普通の巨人とエレンのような巨人の違いは肉体が完全に同化しない所にあるのかのう…」


エルヴィンはハンジの話が終わってからずっと、ずっとベッドの上―だらりと置いてある自身の左手を見つめ続けていた。驚く表情も見せず、誰の声にも反応せず、じっと何かを考えているように。

どこか気になって、ルピはハンジの肩越しにそれをじっと見ていた。

いつもエルヴィンは自分たちの一歩先―いや三歩先を見据えていて、我々には想像し得ない事を考え付き、実行してみせる。悪く言えば何を考えているのか本当に分からない、読めない。それは自分の中にあるこの世界の知識の量が劣っているせいでもあるが、それだけではないことくらいルピは分かっている。
だからそう、今もその話を聞いて、今後の調査兵団の方針を考えているんだって。右腕を失ったとしても、これからも彼は調査兵団の団長として、私達を導いてくれるんだって、


「なぁエルヴィン……エルヴィ、」

「…!」


リヴァイがエルヴィンに顔を向けたと同時―いや、彼がエルヴィンの名前を呼んだと同時だった。――エルヴィンがその目を輝かせ、薄ら笑いを浮かべ始めたのは。


「お前…何を…笑ってやがる…」


ゾワリ。見てはいけないものを見てしまったような、そんな感覚が背筋を這った。

出会ってから今まで彼に対するイメージは変わっていない。彼が非道である所以は分かるものの、彼から醸し出される雰囲気、自分と接する時の態度から"優しい"、彼を表すならばその言葉が相応しいと、ルピはずっとずっと思い続けている。
なのにそれは一瞬で崩される。この時ルピは初めてエルヴィンに、――"怖い"という感情を持ってしまった。


「……あぁ…なんでもないさ」


そう言って"元の"表情に戻ったエルヴィンに「てめえが調査兵団やってる本当の理由はそれか?」とリヴァイが投げかける。ハンジが小さく驚きを声に出し、ピクシスは話す二人を交互に見続けるのみ。リヴァイの質問の意図はルピには分からない。


「勘弁しろよリヴァイ…腕を食われ心身共に疲れ切っていて可哀相と思わないのか?」

「は…らしいな」

「ところで…エレンとヒストリア・レイスは今どこに――?」


話の方向が変わったことによって少し張り詰めた空気が緩和し、ルピは聞こえない程度に小さく息を吐いた。

2人は無事だが、安全宣言が出されたからといって世間ははい元通りとは行かず、まだ棒で引っ搔き回した蜂の巣のようなものである為、焦って事を荒立てるべきではないとピクシスは少し強めに警告を出した。"巨人の正体は人間である"と世間に公表するのも今の段階では無謀だと。
確かに今の段階でそれを公にしてしまえば、奴らは人の項を切って殺しまくっていると単に調査兵団が"悪"として持ち上げられる可能性は大いにある。何故"巨人の正体は人間である"のか、根本的な巨人の発生源に辿り着かねば、確固たる証拠を見せつけなければ、人々の心は動かせない。
…それを可能にするのが、ヒストリア・レイス。彼女―いやレイス家をたどれば我々以上に巨人に詳しい組織を追及できる筈だとエルヴィンは言う。

すべてはそこから始まる。我々が次に闘うのは、――この壁の中だと。



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