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そうして部屋を後にしようとしたその時。ルピはエルヴィンに呼び止められた。


「ルピ、君には本当に助けれらた。礼を言う」

「いえ。…右腕は、残念ですが」

「……今まで私が巨人に何百人食わせたか。腕一本じゃ到底足りないだろう」


そっと左手を今は無き右腕に添えるように。「いつか行く地獄でそのツケを払えればいいんだが」と少し自嘲気味に言う彼にそうですねとは返せずじっとその顔を見る。
先程の笑顔が頭にこびり付いて、離れない。何故エルヴィンは笑ったのだろう。あの笑顔は可笑しいというよりかは嬉しいというような表情だった。
エルヴィンが最初から"巨人の正体は人間である"と考えていても、なんら不思議ではない。ただ、それが本当になって嬉しいのだろうか。それが本当になって嬉しいと感じるとは、イコールどういうことなのだろう。…分からない。自分にはその感情が、分からない。


「ルピ、彼らと接触して…何かルヴについて進展はあったか?」

「!」


今それを問われるとは思っていなかった為、ルピは少し目を見開いた。
そう聞いてくるということは、リヴァイもピクシスもまだそれについてエルヴィンに話していないのだろう。彼が眠っていたこの1週間の出来事をたった数十分で纏めるのには流石に無理があったのだろうか。もしくはこの1週間の出来事のせいで、その件は既に彼らの頭の隅に追いやられてしまっているのかもしれない。


「ライナー達が、ルヴについて知っていました」

「!」

「…でも、何も教えてはくれませんでした。彼らもそんなに詳しくは知らないと言っていましたが……これだけは言われました」

「なんと」

「ルピさん、あんたは、こっち側の人間だ…って」

「…!」


エルヴィンの顔が、変わる。また先程の表情が現れるのではと、少し身構えた自分が居た。

エルヴィンがルヴについて何か隠していると直感してから今まで、それに関して彼と話すことは無かった。話す内容が無かった。これといって自分の身体に変化や、記憶が蘇った等、進展が何も無かったから。
…けれどもこの短期間で、それは思わぬ形で展開されてしまう。


「リヴァイ達はこれを」

「はい。ハンジさんやピクシス指令にも話してあります。…ただ、考えるのは後回しになりました。エルヴィンさんが目覚めるまで待つと」

「そうか」


少し、考える表情を見せるエルヴィン。ルピはただじっとそれを見ていた。

…彼は、何か隠している。リヴァイの言っていた己に関する重要な"秘密"についても、彼が何を隠しているのかも、考えた事は無い。考える内容が無かった。知識の乏しい自分にとって、その先に想像するものが無かったから。
…けれどもこの短期間で、それは思わぬ可能性をもたらしてしまう。


「…私は、"壁の外"の人間なのでしょうか」

「……確証はない。…だが、ルピ。壁の秘密と共に、ルヴの秘密についても…王政が何か握っているのではと私は思っている」

「…!」


はじめてエルヴィンがルヴについて言及したことに、そしてその言葉に、無意識にゴクリと一つ、息を飲んだ。

知性を持った巨人がいる。素質か、はたまた身体に何か改造を施すのかは分からないが、それになれるエレンはどうして自分がそれになれるのか全く知らない。が、その力を解放した途端、彼は王政から執拗に狙われるようになった。
エレンのそれに、ルピも少し似て非なるところがあるとエルヴィンは言う。自分の幼少期の記憶が曖昧なこと、他から疎外されていたこと。町の者がルヴについて知っていたとは到底思えないが、自分の存在に気付かせないよう、避けるように仕組まれていた可能性があるのではないか、と。
今回、ルヴの力を解放すると宣言したのは、憲兵―王政がルヴを見てどういう行動に出るか少し試したところがあるという。結果的にまだ何も行動には移していないようだが―もしかしたらまだ情報として知られていない可能性もあるが―それも時間の問題かもしれない。


「我々はようやくこの壁の真実に辿り着こうとしている。…きっとそこに…ルピ、君の真実もある」


ドクリ、ドクリ。二人きりの部屋で、己の鼓動だけが煩い。
今まで、憲兵団や王政府についてまるで興味を持ってこなかった。関係が無かった。己はただ調査兵団として力を発揮し、巨人を駆逐し、巨人にさえ注視していればよかった。
でも、もう無知ではいられない。ウォール教の叔父さんが登場した時から、自分たちを取り巻く環境は大幅に変化した。自分自身にも変化を課す時が来たのだ。壁の中の人間と闘う為に、壁の中を―中央を知る。――レイス家という貴族。王の存在。そして、憲兵団という集団を。


「エレンはまだしも、ヒストリアはまだまだ実践の経験が無い。二人を率先して憲兵から守るのがルピ、次の君の任務だ。……だが、君も"特別"な存在であることに変わりはない。それだけは忘れてはならない」

「はい」


頼んだぞ。そういって、一つクシャリと頭を撫ぜられる。その時のエルヴィンの顔は、いつもと同じ穏やかな笑顔だった。


 
 ===



「…!リヴァイさん」


部屋を出て数メートル先、壁に持たれるリヴァイの姿。自然と駆け寄る。ずっと待っていてくれたのだろうか。


「…巡警、ご苦労だった。じいさんから話は聞いている」


自分が近づいているのに気づいて刹那リヴァイは歩き出す。いつもと同じ、一歩後ろを着いていく形で足並みを揃える。
エルヴィンとの話の内容よりも己を労っていただけるのかと「ありがとうございます」とそう言えば、一緒に行った奴らが異動届を出す勢いだとじいさんが言っていたと。一体お前奴らに何を吹き込んだんだ、なんて。意味が分からなくて頭にハテナを浮かべているとリヴァイはそれを見通していたように「お前のタフさに惚れて調査兵団に入る奴が増えるかもな」と言い直す。

そういえば数日一緒だったにも関わらず巡警隊の終わりは意外とアッサリだったな(自分のせいだが)、とその時を振り返る。巨人に遭っていない為二人の戦闘シーンは見ていないものの、リコはまだしもヴィリは調査兵団に向かないだろうな、と思った。それにリコとリヴァイは合わないような気がする。話し方や態度が至極真面目なリコと、何かと棘の多いリヴァイ。想像するだけでいつも喧嘩していそうだ、なんて。


「……」


…またいつか、二人に会える日は来るのだろうか。


「ハンジの方も粗方落ち着いたようだ、明日から本格的にエレンの実験に取り掛かる」

「はい」

「明日一番にハンジと共に来い」


「また忙しくなるぞ、今日はゆっくり休め」と別れ際、頭に一つ置かれた手。じゃあなと言ってスタスタと歩いて行ってしまう背を見送る。
…再開はあっという間。それでもその手の重みが今も暖かく残っている気がして、そっとそこに触れた。

明日からはリヴァイ班として、エレンの実験に携わりながら彼とヒストリアを守る。…巨人ではなく、人の魔の手から。
上手く、行くだろうか。エレンの実験。今度は硬質化実験。…思い出すは、旧調査兵団本部に居た頃。


「……」


あの時とは、異なる心境を持って。ルピは一つ、大きく息を吸った。



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