翌日、早朝。
――事件はまた、何の前触れもなく起こった。
「――死んでたって一体なんで!?」
ジャケットを羽織りながら速足で歩くハンジの後ろを着いていく。質問攻める彼女の隣でモブリットは「まだわかりません」を連呼するばかりで、ルピはただ黙ってそれを聞いていた。
「なぜここがバレたんだ!?」
いつもより早い時間に起床し、着替えを丁度済ませた時。廊下から聞こえてきた焦るような足音に何かあったのだろうかと思った矢先に部屋に響いたいつになく騒がしいノック音。後に聞こえてきたニファの声色もやはりどこか焦燥気味で「はい」と簡潔に答えれば刹那ガチャリと開いた扉から入ってきた彼女はいつもと違う顔をしていて「何かあったんですか」と問えば、ニファは間髪入れずにこう言った。
――ニック司祭が殺された、と
「今、憲兵が捜査に当たってます」
あれから―そう、エルミハ区でそれと別れて以来、ルピはその叔父さんを見ていない。知っているのはリヴァイがそれの監視をし、ハンジ班が"面倒を見ていた"ということだけ。今どこにいるのかも、何をしていたのかも、恐らくエルヴィンも知らなかったのではと思う。
…殺された。この意味が分からない程ルピも馬鹿ではない。ここはトロスト区の兵の施設内。もちろん巨人などいる筈もない。野良犬などが入る隙間も無い。
ニックは、人間によって殺されたのだ。
ルピは今までこういった事案に遭遇したことが無い。兵団内で殺しが発生した現場も見たことが無いし聞いたことも無かった(知らないだけかもしれないが)。
兵士である自分達にとって死は身近で、いつもそれと隣り合わせでやってきた。しかし、人から殺されるかもしれないと感じた事はウォルカの件以来無いし、それに恐怖などを感じていたかと問われるとあまりそうでは無かったように思う。実際彼女は自ら手を下さずに巨人を利用していたし、専ら殺すという行為は対巨人だけにあって、巨人が人を、人が巨人をと、相反する形で成り立っていたから。
だからそう、"一般人"であるニックの死は、ルピにとって初めての"殺人事件"。
何故彼は殺されたのだろう。誰に、殺されたのだろう。
ドクリ、ドクリと、いつもとは異なる心音を引き連れて歩く。それほど遠くない距離、一つ角を曲がった先、部屋の前に立つ二人の兵士を目に捉える。どちらも背の高い男性。髪の色は金と黒。見える背中のそのシンボルは、ルピも最近よく目にするようになった―盾にユニコーン。
「――ニック!!」
「オイ!!」
その二人を気にも留めずハンジは部屋の中へ入ろうとしたが、金髪の男性にそれを阻止された。肩に担いでいた銃―ライフルをハンジの前へと突き出し、力ずくで後退させていく。
「現場を荒らす気か調査兵!」
その武器をこんな至近距離で見たのは久々か。
訓練兵の時に狙撃訓練と称してそれを持ち、撃ったことがあるのを覚えている。対巨人相手にはただの玩具と化すこれは一体何の為に使うのかとその時はそう思っていた。憲兵に属したら持つことになると誰かから聞いた覚えはあるが、調査兵団に入ってそれを持ったことなど皆無。寧ろ自分にとってそれは無縁。その存在すら忘れかけていたが、
「勝手に近付くな!」
…これを撃てば、人は呆気なく死ぬ。遠くから攻撃出来る分、ブレードで削ぐよりも簡単に。
それを憲兵団は常に持ち歩いているということ。少し、背筋が寒くなる。
「!?入れてくれ!彼は友達なんだ!」
グイと押しやられたハンジの後ろからチラリと部屋の中を覗く。ハンジの足と憲兵の足が邪魔していてよく見えないが、白シャツにズボン姿の人が床に倒れているのが見える。
この部屋に来る前からそれは廊下に漂っていたが、何とも言えない―かなり生臭い空気がそこにはあった。巨人に殺された遺体はかなりの出血がある為血生臭いが、それとは違う。…ニックはあまり血を流していないのだろうか。
「ダメだ。これは我々の仕事だ」
バタン。と大きな音を立てて閉められた扉。憲兵の二人はあからさまに嫌気の差した顔でハンジを見下ろし、状況を説明する。
部屋の荷物が奪われていたから、これは強盗殺人事件だ。知っての通り、最近この手の事件が頻発している、と。
「そんなワケないだろ…強盗が盗みを働くためにわざわざ兵の施設を選んだっていうのか?」
「…何だと?」
「彼の指を見たか?!何で爪がはがされているんだ!?何度も殴られたような顔をしてたぞ!?侵入経路は!?死因と凶器は何だ!?」
ハンジが声を荒げる。しかしそれを遮るように、彼女のジャケット―胸のエンブレムを鷲掴む黒髪の男。
「!?」
「お前の所属はどこだ、第四分隊、」
だが、その行為に明らかに怒りを現したのは、ハンジではなくその優秀な部下だった。
「第四分隊長ハンジ・ゾエと第四分隊副長モブリット・バーナーです」
ハンジの胸のエンブレムを覗き込む男のその腕を引き剥がし、二人の間に割って入るモブリット。…流石だ、モブリット。こんなに怒りを露わにしている彼を見るのは初めてかもしれない。自分の名がそこに無いことを気にもせず、ルピはただ黙ってそのやりとりを見る。
「組織がちっぽけだと大層な階級もむなしく響くもんだな。……調査兵団、お前らの仕事はどうした?」
…未だ漂う、嫌な空気と臭い。それはその部屋の扉がずっと開いていたから辺りに充満しているのだと思っていたがしかし、どこか違和感があった。
この二人からも異様に"臭う"のだ。
「壁の外へ人数を減らしに行っていない間は、壁の中で次に人数を減らす作戦を立てるのがお前らの仕事だろ?いっそ壁の外に住んでみたらどうだ?お前らに食われる税が省かれて助かる」
黒髪の男がそう言えば、一つ笑う金髪の男。プッと吹き出す際、唾が飛ぶのを抑えようとしたのか拳を口の前に持っていく仕草。
遺体から放たれるよりは少量だが、確実にそこにある臭いに目を向ける。…握った拳―中手骨の先端に、打撲痕。
「いいか?これは巨人が人を殺したんじゃない。人が人を殺したんだ。俺達は何十年もこういった現場で仕事をこなしてきた。お前らは現場捜査から犯人に辿り着いた経験が何回あるっていうんだ?」
大きく手振りをしながらペラペラと流暢に話し続ける黒髪の男のそれにも視線を投げる。同じような打撲痕に、少し皮が捲れているのか赤くなっていた。生臭い。
――まさか、