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――あの後
ハンジ班がリヴァイ班と合流できたのは、太陽がてっぺんから少し傾きかけた時間となった。

山小屋に入ると「遅かったじゃねえか、クソでも長引いたか」とダイニングテーブルの椅子に座るリヴァイの第一声。いつもなら軽快に言葉を返すハンジだが、「あぁすまない」と声色を落としながら部屋の奥へと進んでいく。
本当ならば朝一でこの場に居るはずだった。昨日別れる際に朝一で来い、と言われていた命を破ってしまったなと思いつつも、ルピはぞろぞろと入っていく皆の背に黙ってついていく。

中は意外と広く感じた。天井が高いからだろうか。
古い山小屋とは聞いてはいたが、清潔感はあり、とても綺麗に掃除がなされていた。リヴァイの命ということは分かるが、その潔癖さを良く知っているエレンが筆頭して頑張ったのだろうかと、…ずいぶん遠い記憶のようにまたと頭を過っていくは過去の状景。

ソファの1人掛け椅子にハンジは座り、続くようにしてモブリット、アーベル、ケイジ、ニファが数人掛けのソファへと座る。ニファの横に促されたがルピは遠慮した。自分が座ればぎゅうぎゅう詰めになって皆の居心地が悪くなると思ったから。

ようやく本題を進められる。言いながらリヴァイは身体だけをソファの方に向け、座り直した。104期生達もそれぞれの椅子に座っていく。
この数日間、自分の定位置も決まり、この山小屋生活にもすっかり慣れたのだろうかと思いながら、彼らの表情を伺う。疲労感はもうない。身を隠すことになったとはいえ、巨人にも遭遇せず、厳しい訓練も無い。仲間内だけで集う久方の日々は彼らに少しでも休息を与えてくれたのだろうか、なんて。


「本格的に実験を進めようか。ハンジ、内容について説明を」

「あぁ…もちろん私が生きている内は、それは…私の役目だ」

「あ?」


"実験"という二文字は言わば彼女を滾らせるためのパワーワードであること、長年調査兵団をやってきた者なら誰しもが知っている。しかし、ハンジは意気揚々と立ち上がることなく座ったまま、ウォール・マリアを奪還して皆を早く安心させてあげたいと。人同士で争わなくても、生きていける世界にしたいと。だから、一刻も早くエレンの力を試したい、今度は恐れずにと、実験の前置きを淡々と語り始める。


「巨人を操ったかもしれないって、すごい可能性だ。もし本当にそんなことが可能なら、この人類の置かれている状況がひっくり返りかねない話だよ!」


その言葉に思い出されるのは、エレンの声に反応して、ライナーに飛び掛かっていった巨人たち。そうして掘り返す場面は埋めきってしまいたいほどに酷なものだったな、と一人ルピは振り返る。


「だから、ぐずぐずしていられない!早く行動しないと…いけない!…だけど」


まだエレンには、暫く身を潜めておいてほしい。小さく放たれた言葉に、一瞬部屋が静まり返る。
何故、を問うたのはアルミン。我々が思っていた以上に状況は複雑なようだと、焦慮めいた表情で返すハンジ。
いつもと態度の異なる彼女に、そしてそれを取り囲む班員にすら笑顔がないこと。誰もが懐疑を抱き始めるのには十分な要素たちだった。


「なんだ…俺はてっきりお前らがここに来た時から、全員クソが漏れそうなのを我慢してるのかと思っていた。いったい何故お前らにクソを我慢する必要があるのか、理由を言え、ハンジ」

「ニック司祭が死んだ」


リヴァイの声の後、間髪入れずにハンジは言った。今朝トロスト区の兵舎の敷地内で、ニック司祭が死んでいるのが発見されたこと。死因はわからないが殺されたことを言えば、皆が「えっ」と小さく声を上げる。

ウォール教が調査兵団に協力したニックを放っておかないだろうことは、ハンジだけでなく兵団の誰もが了知していた。壁を越えようとする我々と接点を持てば、裏切り者として認定されてしまうことは明らかだろう。
それでも、自分達のテリトリーの中で匿っておけば、その領域にまで足を踏み入れる事などないだろうと。暫くはそれで事足りるだろうと、誰しもが思っていた。


「ニックは中央第一憲兵団に拷問を受け、殺されたんだ」


まさか、兵士を使って殺しに来るなんて。ハンジは微塵にも思っていなかった。


「私が甘かった。ニックが殺されたのは私に責任がある」


紅茶をすするリヴァイ。だからハンジ班の到着が遅れ、入ってきた時から葬式のような雰囲気だったのかと悟る。


「拷問って…憲兵はニック司祭を拷問して…どこまで喋ったか聞こうとしたのですか?」

「だろうな…レイス家とウォール教の繋がりを外部に漏らしてないかってことと…エレンとヒストリアの居場所を聞こうとしたんだろ」


顔を見合わせるエレンとヒストリア。


「もちろん、今朝の段階からエルヴィン団長、ピクシス指令、全調査兵団に至るまで状況は共有されています。中央憲兵は逆に我々から監視されるハメになっていますから…そう下手な真似はできないはずです」

「……」

「…とは言っても、形を変えてこちらを探る方法はいくらでもあるでしょう…今は何が敵かわからない状況です」


ニックの死を確認したハンジ達にも、何かしら追手がかかることは容易に想像された。現にここに来るまでに尾行の気配もあって、二手三手に分かれながら、かなり遠回りし時間をかけてここまで来ている。上手く尾行は撒いた筈だが、毎回毎回こう上手くいくとも思えない。ずっとここにいるならまだしも、頻繁に出入りするのはもう得策ではないのかもしれない。


「それで、エレンの実験をよそう、って考えているのか…ハンジ」

「あぁ」


エレンの巨人の力が明るみになった時から、中央の"何か"がエレンを手中にいれようと必死に動いてきたのは明確だった。しかし今回の騒動以降、その緊迫度が明らかに変わってきているとエルヴィンもハンジも思っている。壁の中の全てが不安定なこの時期に、兵団組織が二分しかねないようなマネをしでかすとは到底看過できない事態であろう。
この状況を普通に考えれば、ライナーたちのような"外からきた敵"の仲間がずっと中央にいたということになる。つまり我々が危惧すべきことは壁の外を睨んでいる間に背後から刺されて致命傷を負うことだと、ハンジは言った。


「それで?俺たちは大人しくお茶会でもやってろって言い出す気か?」

「室内でできることはまだ色々あるよ…編み物とか…今だけ頼むよ…」


いつもならこの冗談のやり取りに、空気が緩む日常があった。しかし今は緩むどころか張り詰めたまま、それはまるで嵐の前の気圧のよう、部屋中に充満する空気は重苦しくて息がしづらい。
最初とは明らかに変わった104期生の表情。彼らは何を思ったのだろう。調査兵団に関わった者が、巨人ではなく、人の手によって殺められたという事実に。


「今だけだと?それは違う、逆だ」


時間が解決してくれる、時が経てば奴らは諦める。否、そんなことがあるはずが無い。この問題に時効などない。奴らは壁の秘密を守るため、死に物狂いでエレンとヒストリアを探すだろう。ここはいずれ見つかる。そうして逃げ回っているだけでは、壁の隅に追い詰められて、ジ・エンドだ。

普段なら頭の切れるハンジだが、ニックが殺された事に責任を感じて逃げ腰になってしまっているのは誰が見ても一目瞭然だった。こんなに弱気なハンジを今まで見たことがあっただろうか。
生け捕りにしていた巨人が殺された時とは、仲間が巨人に殺された時とは、違う。ニックはウォール教の司祭だが、兵団とは無関係の謂わば一般人の括りだ。それが自分たちに深く関わったせいで殺されてしまった。中央憲兵を動かせるとなると相当な"力"が動いているということにもなり、責任を感じてしまうのは否めない。だが、


「ニックの爪は何枚剥がされていた?」

「…は?」

「見たんだろ?何枚だ」

「…わからないよ。一瞬しか見れなかったんだ。…でも、見えた限りの爪は全部剝がされていた」

「ほう…。喋る奴は一枚で喋るが、喋らねえ奴は何枚剥がしたって同じだ。ニック司祭…あいつはばかだったとは思うが、自分の信じるものを最後まで曲げる事はなかったらしい」


痛みと引き換えに、己の知っていること、してしまったことを白状する。誰だって人から故意に与えられる痛みなど感じていたくはない。それには慈悲も何もない。話すことで痛みから解放されるならば、"誰にも言わないでね"という口約束を普通なら破ってしまうかもしれない。
でも、ニックはそうしなかった。あの日、壁から巨人の顔がこんにちはした日から、ローゼ南区で別れるまでの間にも、何も教えてくれなかった。観念したかのように最後に吐露したのは"クリスタ"の名だけだ。

壁の秘密を調査兵団に曝け出すことと、調査兵団に打ち明けてしまったことを憲兵団に白状することは異なる。ハンジはニックに拷問まがいなことはしていない、壁の上から突き落とそうと試みただけだが、サネス達からは酷い拷問を受けている。…爪を何枚も剝がされた末に亡くなったということは、イコール、ニックは最後まで口を割らなかったのではないか。彼の中の何がそうさせたのかは今となっては分からないけれど、中央の"何か"が、我々がレイス家を注視してるところまでは把握していない可能性は高い。
そうなれば、まだ希望はある。ここから進む道は、まだ限られてはいない。


「まぁ…俺に言わせりゃ今後の方針は二つだ。背後から刺される前に外へ行くか。背後から刺すやつを駆除して外へ行くか」

「…」

「お前はどっちだハンジ?刺される前に行く方か?」

「…両方だ。どっちも同時に進めよう」


ハンジの焦慮めいていた顔つきが変わる。
まあ、エルヴィンならそう言うだろうな。そう言ってリヴァイは、冷めきった紅茶に手を伸ばした。



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