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調査兵団としての今後の指針が固まり、その数時間後には早速エレンの硬質化実験が開始された。

巨人化に関する実験はあれ以来―そう、エレンが調査兵団の監視下に置かれると決定した後、旧調査兵団本部にてリヴァイ班と共に行った時以来。しかしあの時は危険を鑑みて中止を余儀なくされたため、実験という実験を行うのはこれが初めてと言っても過言ではない。

山小屋から数十メートル離れた、崖のように切り崩された場。その下でエレンは巨人になり、ハンジ班がエレンの周りを、リヴァイ班の104期兵達は崖上で等間隔に散らばって辺りを警戒しながらそれを見守る。
ヒストリアは外に居る際はフードを被ることを義務とされた。唯でさえこの緑の中、金色は映えてしまうから。

ルピは104期兵達から更に離れた高台からの見張りを命ぜられ、1人ポツンとそこにいた。崖下は辛うじて覗けるが、どんな実験を施しているのか遠目では分からない。
聞こえるのは地響きのような短い音、大きなものが倒れたような衝撃音、その衝撃音に驚いて飛び立っていく鳥の声、そして何か有る毎に発せられるハンジの声。
そんな滾った"奇声"を発し続けていたらこの森を通る者(いないとは思うが)に訝しまれてしまうのではと思ったが、奥深い森の中、そんな奇声を発している獣がいてもおかしくはないかと、変に自分を納得させていた。


「丸一日…寝ていた…?」


実験はエレンの巨人化が許される限り、何時間も続いた。そうして初回実験終了後、エレンは目覚めることなく馬車に乗せられ山小屋へ帰還。それから本当に丸一日、エレンは目を覚まさなかった。


「よかった、元に戻って。ミカサに削がれずに済みそうだ」

「え?え?」


エレンが巨人から出てくる時には必ず蒸気が上がる。知性のある巨人だけではなく、普通の巨人を倒した時にも、それはまるで敗北を表しているかの如く、モクモクと空を白に染める。
緑生い茂る空間のコントラストを強調し、気化するまで天高くあがるそれに、これは目立つな、と今更ながらそう思った。身を隠している立場であるのに、私はここにいますよとアピールしているようなものだと。蒸気の色が白なのが幸いだろうか。森の中、単純に野焼きしていると思われていればいいのだけれど。

それをリヴァイに言えば、「そうだな」と一言帰ってきただけだった。いずれここは見つかると言っていたくらいだ、どこかで見られていることは覚悟の上。ハンジもきっとわかっていて、リヴァイと同じ了見だろう。そのつもりで毎分毎秒を過ごしている。そうして見つかるそのギリギリまで、エレンの力を試す。我々は、全体的に余裕がないから。


「それよりどんな実験をやったか覚えてる?」

「いいえ、それが…実験が始まった時から、記憶がありません。硬質化はどうでしたか?」


残念ながら、巨人化したエレンにそれらしい現象は何も起きなかった。

実験の流れはこうだ。
エレンの巨人化は"目的"がなければ成しえない為、ウォール・マリアを模した巨大な洞窟を硬質化した体で埋めるという目的を設定した。しかし、それは硬質化の"こ"の字もなく、いつも通りの15m級の巨人が出現しただけだった。
硬質化が出来なかったので、生態調査に重きを置いた耐久テストと知能テストがなされた。まずは、簡単な命令を聞けるかどうか。片足で立ってもらったり、腕を振ってもらったりと、幼い子供の模倣力を試すかのように。エレンは難なく全てクリアしていた。

エレンの意識がハッキリしている間に、言葉を発してもらおうとしたが、これはうまくいかなかった。一番接点の多い鎧の巨人も、話すような素振を見せたことはない。アニもそうだった。恐らくは口の構造が発音に向いていないのだろう。
その後は、ロープや丸太を使って作業をしてもらった。指先も器用に動かしながら、簡易な小屋造りをエレンはいとも簡単に成し遂げていた。


「本当に何もなかったんですか」


…そうして実験開始から1時間が経過したあたりで、変化が現れた。

喋れない代わりに、地面に文字を書いてもらった。簡単な質問には、木の枝を使ってサラサラと難なく答えていた。どうやったら硬質化できるかわからないと素直な気持ちもしっかりと書き記していたが、その後エレンは突然脈略もないことを書き出したのである。

父さんが、オレを。と——


「え?!」

「それ以降は何を書いているか読み取れないほど乱れたんだ…苦しそうにしてね…。何か思い出さないかい?」


その後、30分ほど苦しみ続けたエレンは、恐らく自分の意志で巨人から出てきた。その時から記憶の混濁がみられ、意識が曖昧だった。


「…覚えていません」


30分間休んだ後、2回目の巨人化に挑んだ。2回目も硬質化は叶わず、現れたのは13m級の巨人。1回目の知能テストの反復を試みたが、全ての命令を受け付けず、自分で建てた小屋を食べ始めてしまった。
そのまましばらく暴れた後、力尽きたように巨人化が解かれた。エレンは自力で出てこられず、引き剥がすのには加勢が必要だった。

そしてまた30分休んだ後、3回目の巨人化に試みた。今度は10m級に満たない巨人。それはもう自立できないほどの不完全なもので、骨格は歪に、何よりエレンの下半身が巨人から出ている形であった。
下半身は飛び出ているのに、上半身は今まで以上に巨人と一体化しており、引き剝がすのにかなりハンジは苦労していた。…その一体化したエレンを見て少し―いやかなりハンジが滾っていたことはエレンには黙っておくこととしよう。


「それでは…少なくとも…直ちにウォール・マリア奪還作戦をやることは、無理になったわけですね…。…オレが…硬質化できなかったばかりに…」

「あぁその通りだ。俺達はそりゃあガッカリしたぜ…おかげで今日も空気がドブのようにまずいな」


本人がどうすればいいかわからないと書き出すくらいだ。硬質化は巨人の力を有していればできるものなのか、はたまた何か特殊な訓練を積まねばできないのか、そもそも出来る個体が限られているのか、誰も知る由もなかった。巨人の力や性質を上手く利用していた者たちは全員敵、そう簡単に情報を頂けるわけもなく。唯一味方と成りえたユミルは最終的にライナー側へ渡ってしまったし、捕らえたアニはいまだ水晶の中。少しずつ巨人の情報は明るみになってきてはいるが、巨人化の情報については初期の段階に留まっているといっても過言ではない。


「このまま時間が経っていいことなんて一つもねえ。次は何だろうな?巨人が地面が現れるかもしれねえし、空から降ってくるかもしれん。…人類は依然牙の生えねえ捕食対象のままだ。とにかくクソな状況だぜこりゃ」

「…エレンは全力を尽くしました」

「知っている。だからどうした?頑張ったかどうかが何かに関係するのか?こいつは今穴を塞げねえ」

「…それで…エレンを責めても…」


落ち込むエレンをこれでもかと追い込むリヴァイ、見かねてフォローに入るミカサ。

ニック司祭の死を聞いた時から、この山小屋に漂っている重い空気は今だ晴れそうにない。エレンの硬質化に誰もが期待し、だが、そう簡単に上手くいく筈なんてないと、加えて今のエレンでは無理だろうなという思いが少なからず104期達の中にあるのだろう。現にエレンを慰めるのはミカサしかおらず、他の者は神妙な面持ちをしている。


「オイ…俺は口が悪いだけで別に責めちゃいねえよ。不足を確認して現状を嘆くのは大事な儀式だ」

「……」

「いいか?この壁の中は常にドブの臭いがする空気で満たされている。それも100年以上ずっとだ。この壁の中はずっとクソなんだよ。それが現状だ。俺がそれに気づいたのは数年前からだ。なんせ生まれた時からずっとこの臭え空気を吸ってたからな。これが普通だと思っていた。…だが、壁の外で吸った空気は違った。地獄のような世界だが、そこにはこの壁の中にない自由があった。俺はそこで初めて”自分が何を知らないか”を知ることができたんだ」

「……つまり、リヴァイが言っていることは、こうだ」


リヴァイの煽りをフォローしたのはハンジ。今回我々はエレンが硬質化できないことを知ることに成功した。もちろんそれだけでなく、連続して巨人になれる時間やその汎用性と限界値の目安も知ることができた。
出来なかったイコール悪ではなく、今回の実験の全てを有益な情報にすればいい。派手に狼煙をあげた代償を払うのはこれからだが、実験の結果を活かせるかどうかもこれからだと。

確かにハンジの言う通り、出来なかったというだけで落ち込み、全てを投げ出す必要などない。我々はずっとそれを経験してきた、そうだろう。壁の外への進軍、巨人への勝利を目指して、仲間の死を乗り越え、何度挫けても立ち上がってきた。

…まだ、これからだ。余裕も時間もない。でも、何度でも挑戦しなければ始まらない。エレンはベッドの上、力強く己の拳を握っていた。



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