エレンが丸一日目を覚まさなかった間、104期兵達はいつも通り物資調達と見張りを。エルヴィンへの実験結果報告にはニファが馬を走らせていた。
硬質化が容易ではないことがハッキリした今、次に進むべき道は既に決まっている。背中から我々を刺そうとしてくる輩の正体を暴くことだ。まずはウォール教およびその周辺の追求にあたると、エルヴィンは一人王都へ出向している。
レイス家だけが壁の秘密に触れることができる理由。…それは、レイス家がこの壁内の裏の"支配者"だからなのではないかとエルヴィンは睨んでいた。
確証はないし、それを直接問うたところではいそうですという返事は期待できない。寧ろ問えば自らの命が狙われる危険性があることを彼はよくわかっているだろう。
その辺りの駆け引きについてはエルヴィンが一番得意とするところではあるが、次にどういった行動を—指令を出して来るのかはまだわからない為、この内容は取り急ぎハンジ班とリヴァイ、そしてルピだけで共有された。確証の無い話をして104期達を―主にヒストリア自身を混乱させる必要はないと判断したためだ。
Beherrscher
「――ルピさん、ご飯の支度ができたら呼びますね」
「お願いします」
二ファが再び馬を走らせて夕刻以降、ルピは見張りに徹することになった。今まで104期達が交替で夜通ししていたみたいだが、ルヴになっていれば寝ていても見張りは可能。つかの間だが、少しでも体を休めて欲しいという思いからで、リヴァイもその方が効率がいいと言い、一人番犬として屋根の上にいる。
日中太陽の光を浴びて温まっていた屋根の上は心地よかった。ルヴのまま壁の中でこんなことをしたことはないし、壁外でも相当ない。こうしてボーっと自然を眺めるのはいつぶりだろうかと夕焼けに少しずつ染まっていく空を仰ぐ。
時折中から聞こえる笑い声、エレンとジャンが喧嘩する声、サシャ!とコニーが怒る声、ハンジの高揚する声。追われている身ということを忘れそうなほど、なんだか平和だな、と自然と顔が綻ぶ。
「…!」
その時、風に乗って犬笛の音が聞こえた。刹那聞こえてくる馬の駆ける音。エルヴィンに伝達に行っていたニファが帰ってきたのだろうと、ルピは一旦人間に戻った。
「おかえりなさい」
「ルピ!ただいま!」
ニコリと笑って言ってすぐに中に入っていくニファ。エルヴィンからの指令か何かだろうか、手には白い紙が握られている。
ルピはまたルヴへと戻り、屋根に登る。中から呼ばれないということは、このまま見張りを続行しろということだろう。
ニファが乗ってきた馬はかなり自分の姿に驚いていたが、取り乱すような様子はなかった。
…シン、と辺りが静寂を取り戻す。風が木々と己の耳を撫ぜる。
「……」
山奥、かつ木々生い茂る所では辺りが暗くなるのが早いなと思いつつ、…ふと思い出した昔の事。
昔はこんな山の中に住んでいたんだな。と客観視。この数年でより薄れた記憶、それでも、"彼ら"と過ごした日々は今も鮮明に残っている。
彼らのことを思い出さなかった日など無かった。考えるというよりは、まるで走馬灯のように思い出されてはフッと頭の隅へと消えていく感覚。気に留める時間が無かったといえば本当だ。己の鍛錬と壁外調査で費やしてきた日々。この数週間は特に怒涛に過ぎていったし、目の前のことで手一杯だった。
「……」
あの時リヴァイ達と出会わなければ、自分は今頃死んでいただろうか。仮に出会わずとも、数日後に戻ってきた"二人"とまた暮らしていた未来はあったのだろうか。…いや、あの場所で暮らしを再開するのは流石に無理があるか。
無知ほど恐ろしいものはないな、と今なら思える。二人と再開していたとしても、巨人に囲まれて暮らしてはいけない。二人は巨人に襲われないだろうけれど、自分は"人"だから。見つからないように工夫しながらあの場所でずっと生きていくなんて絶望的だろうな、なんて。
…あれから、もう5年以上が経った。本当に、二人はどこへ行ってしまったのだろう。空いた穴から外へ出てしまったのだろうか?二人は自分の出生の秘密だけでなく、この世界についても、何か知っていたのだろうか?
——あなたはこの世界で、生きていかねばならない
二人がもうこの世にいないという思想を生んだことは一度もない。壁外調査において調査兵団の誰にも目撃されていないし、巨人にも捕食されないのなら、彼らが殺されるという選択肢は存在しないから。
…しかし、ここ数日でルピは新たな武器を認識してしまった。――サネスが持っていた銃だ。
ハンジと言い合うサネスとの会話を思い出す。そういうことをしてきたという彼ら―憲兵団に見つかっていて、もし、もしも撃たれでもしていたら――
「……、」
いやなことを考えてしまったな。とブルブルと顔を振った。
少し気を引き締め直す。今は巨人相手ではない。もしかしたら、遠方から狙われていて、撃たれる可能性だってある。それがどれ程の距離に対応しているのかは知らないけれど、…呑気に屋根上で日向ぼっこなどしている場合ではなかった。リヴァイに見られていたら叱られていただろうかなんて考えながら体を起こし、全身をブルブルと振るわせて気合を入れた、
――その時
今までになかった臭いが鼻の神経を刺激した。少し風が強くなってきたなと思った矢先、これは…煙の臭い。山火事か、いや…物が焼け続けているような臭いではないし、空も赤くはない。ルピは一旦ルヴを解き、崖上へ登った。
「!あれは、」
遠く、まだ距離は大分あるが、暗闇にボヤっと灯る火がいくつか。ユラユラと不規則に、しかし着実にこちらに向いて動いている。エレンとヒストリアを狙う何者かが、ついにきたのかもしれない。ルピは急いで山小屋の中へと入った。
「――危ねぇ…今夜もあそこに寝てたら…俺達どうなってたんだ…?」
見つかったことを話して即、山小屋を後にし、何者か達が来る方向とは別の道から崖上へと待機。ニファが握っていた手紙―エルヴィンからの指令もあって、元々今夜にはここを発つ予定だったそうだ。荷物は既に纏められていて、慌てることなく山小屋を後にすることができていた。
ハンジ班は先にエルヴィンと合流するというので一旦別行動となり、ルピは今回からリヴァイ班へと合流となっている。
「兵長…あれが中央憲兵ですか?」
松明を手に、十数人。山小屋を取り囲み、中を確認している。暗闇で格好まではハッキリとは見えないが、兵団のジャケットは着ていないようにも見える。
「流石にこんなところまで奴らが出向くとは思えん。まぁいい…合流地点…トロスト区内へ急ぐぞ」
「何故、トロスト区なんでしょう?」
「中央に近づくほうがマズイ。ごたついているトロスト区の方が…街の方が立体機動を使い易いからだろう」
それを聞いた彼らの顔が険しくなる。エルヴィンの手紙に何が書いてあったのかルピはいまだ説明を受けていない。今回の手紙の内容が彼らに周知されたのかすら。
…立体機動を使う。それは、ただ憲兵団から逃げるためだけに使うのだろうか。エレンとヒストリアが万一捕まった際、追跡のためだけに使うのだろうか。
「行くぞ、月が出ていて助かった」とリヴァイが山小屋に背を向ける。今ここで松明を照らしたら元も子もない。暗がりの中、月明かりを頼りにゆっくりと下山を始めた。
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下山後、小さな宿へと身を潜める。時刻は既に真夜中。暗闇を神経使って歩いてきた代償か、皆の顔に疲労が出始めるも、リヴァイは作戦会議だと言って横になろうとする奴ら(主にコニーとサシャ)を留める。
「明日一番にエルヴィン、ハンジ班と合流。…だが、無事に合流できる確率は極めて低いと思っている」
エルヴィンからの手紙には、政府からの通達内容が書かれていたそうだ。調査兵団の壁外調査全面凍結と、エレンとヒストリアの引き渡しを求める、と。…まさに宣戦布告。紛糾しようが関係ないということだろう。
あの騒動があった後、調査兵団がトロスト区支部を主拠点にしていることは、憲兵団も駐屯兵団も認知している。よって、エレンとヒストリアがトロスト区内のどこかにいると奴らも踏んでいるはず。山に篭っていたこの数日でエレンとヒストリアの手配書が裏で回っていてもなんらおかしくはない。
「奴らはどんな手を使ってでもエレンとヒストリアを奪いにくるだろう。…それを逆に利用しない手はない」
所謂、囮を用いた釣り作戦。偽物を攫ってもらい、敵の正体を炙り出す。
エレンとヒストリアの替え玉だが、104期達の中からジャンとアルミンが候補になった。ジャンは前にも―王政へエレンを引き渡す際にも彼の替え玉として変装しているのでその実績がある。実際、ジャンが自ら鬘を投げ捨てなければバレすらしなかった。本人は「またかよ」と大層不服そうである。
アルミンは確かにヒストリアと同じ金髪だが、性別からして違う。「僕がヒストリアに…?」と大層困惑している。
だが、他に適任者はいそうにない。ヒストリアはかなり小柄だ。ミカサもサシャも背丈からしてバレてしまうだろう。小さくてかつ女なんて、…あれ、ここに適任者がいるではないか。
「……あの、私やりましょうか?」
「お前には無理だ、演技ができるとは思えねえ」
勇気を出して挙手し、立候補したが、リヴァイに一蹴された。それにルピは今一番の調査兵団戦力。かつ見張り・追跡役の適任者。いざという時に動けない方が困るだろとリヴァイが言えば、誰もが納得の表情をしていた。
「…そうですね、ルピさんにさせるわけにはいきません。…ジャンも覚悟を決めてくれ」
「…チッ…っわかったよ…!」
また、明日から新たな戦いが幕を上げる。対巨人ではない、今までに無い戦いが。
彼らはそれをしっかりと了知しているのだろうかと、ルピはチラリと104期達の顔を伺い、そして己の掌に目を向ける。
敵は、人間である——。いつかのそれを思いながら、ゆっくりと天を仰いだ。