「——どうしたアルミン。こんな汚ねえ馬小屋じゃ飯なんぞは食えねえか?」
パチパチパチ。小さく鳴る焚火の炎の前。一戦を終えた兵士達のつかの間の休息はしかし、疲弊よりも鬱屈の方が全面に出ており、部屋の中でもないのに空気が目に見えて重い。
——あの後
何とか憲兵を振り切り街を抜け、オルブド区とストヘス区の間にある山中へと逃げ込んだ一行。ルヴになる許可が下り、辺りを警戒、追手が無いかを確認しながら、辿り着いた小さな馬小屋。ボロボロだが雨風は凌げそうだと、取り急ぎそこで一夜を過ごすこととなった。
「…いえ、」
ケガを負ったリヴァイの手当をサシャがしていたのは知っているが、直ぐに山中の警戒へ回ったため、他の者がこの数時間どう過ごしていたのかルピは知らない。ただ、アルミンの顔色は追手が来ないと分かった時…ストヘス区を抜けた瞬間から、悪かった。あの場で唯一人に手を下したアルミン。ルピが知る限りでは人を殺めたのは初めてな筈。そりゃご飯も食べれないかと、…気づいてモグモグと動いていた己の口を一旦止める。
「…ジャン……一つ…わからないことがあって…」
「?」
「その…僕が銃を出そうとした時…正直間に合わないと思ったんだ。…ごめん…でも…相手の方はすでにジャンに銃口を向けていたから…なのに、何で先に撃ったのは…僕なんだろうって…」
目を見開きながら「それは」とだけ残し、言葉に詰まるジャン。撃たれる。誰もがそう思っていた。間に合わない。誰もが、そう思っていた。
「…相手が一瞬撃つのを躊躇した。そうだろ?」
代弁したのは、リヴァイ。
「すまねぇ…俺が撃たなきゃいけなかったのに…」
「そうだったんだ…」
フッと過るあの時の交戦。確かに、その銃を構える者たちの顔、自分が立ち向かった時の顔は、…ライフルを構えていた時のジャンと同じだった。
人間を殺す。この葛藤はきっと、調査兵団だけが憂慮していたのではない。あの場にいた全員—憲兵もがそう思っていたはずだ。リーブス商会会長を殺した罪はあれど(濡れ衣だが)、だからと言ってその場で即射殺していいなんていくら何でもおかしいと思うのが普通。恐らく、何故こんなことになっているのか理解しないままに駆り出されたに違いない。
「僕が殺した人はきっと優しい人だったんだろうな…僕なんかよりずっと人間らしい人だった。僕はすぐに引き金を…引けたのに。僕は…」
「アルミン。お前の手はもう汚れちまったんだ。以前のお前には戻れねえよ」
「…!なぜそんなことを…」
「新しい自分を受け入れろ。もし今もお前の手が綺麗なまんまだったらな、今ここにジャンはいないだろ」
「「…!」」
「お前が引き金をすぐに引けたのは、仲間が殺されそうになっていたからだ。お前は聡い。あの状況じゃ半端なことはできないとよくわかっていた。あそこで物資や馬…仲間を失えば…その先に希望はないのだと理解していた。アルミン、お前が手を汚してくれたおかげで俺たちは助かった」
ありがとう。まさかリヴァイから感謝の言葉が出てくるなんて思っていなかったのだろう。リヴァイに不信感を抱いていた三人—ジャン、コニー、サシャの顔色が少しずつ変わっていく。
「…リヴァイ兵長…俺は…あなたのやり方は間違っていると…思っていました…イヤ…そう思いたかった…自分が人に手を下すのが、怖かったからです…間違っていたのは自分でした。次は必ず撃ちます」
「あぁ…お前がぬるかったせいで俺たちは危ない目に遭ったな」
「…申し訳ありません」
「ただしそれはあの時あの場所においての話。何が本当に正しいかなんて、俺は言っていない。そんなことはわからないからな。…お前は本当に間違っていたのか?」
——俺にはわからない、ずっとそうだ
いつか言われた、その言葉。どんな暴言を吐こうが、暴力を振るおうが、そうするリヴァイの中にも葛藤があるのだと思うようになった。ずっと、ずっと、彼は天秤の上にいる。この世界—いや、人生は選択の連続だ。その時の選択が正しいかなんて、誰にも判断できない。後悔は付き物、だからこそ選択した道を信じて進むしかない。
ジャン、そしてあの女の人の躊躇いは、"普通に生きてきた人間"としての自然な行動であることは間違いない。しかし、その躊躇いの中で誰かの命が天秤にかかった時。その葛藤を捨てる覚悟ができる者だけが、生き残れる。
——誰かがやらなくちゃいけないんだよ…
己の掌を見つめる。汚れてしまった、己の手を。
今になって、ベルトルトの言葉の重み、そして真意が少しだけ分かった気がして。
ルピは気を引き締め直すように、食べかけの野戦糧食の残りを頬張った。
===
戦いの覚悟を決めて迎えた朝は、今までの鬱憤が晴らされたのを表すかの如く、雲ひとつない快晴であった。
だが、そんな空の下。エレンとヒストリアへの手がかりが完全に無くなった今何をすべきなのか、リヴァイは最善策に辿りつけずにいる。
ルピがルヴになればエレンやヒストリアの臭いを追うことが出来るだろうが、騒ぎを起こした直後のストヘス区内に戻るのは自殺行為に等しい。西門待機中、調査兵団が民間人—リーブス商会会長を殺したとしてリヴァイの似顔絵付きの手配書が配られていたのを見たとアルミン達が言っていた。恐らく今日にはもう、憲兵を殺した罪も上乗せされているだろう。エルヴィンは会長殺しの罪で王都に出頭を命じられているはず、ハンジ達との連絡も安易にはとれそうにない。ニック司祭の件があったトロスト区に戻ったところでどうしようもない。
たまたま見つけた馬小屋だが、ずっとここを拠点にすることも出来ない。街だけでなく森の中まで捜索の手が伸びてくることは容易に想像がつく。それこそ壁の隅に追いやられてジ・エンドを迎えるだけになってしまう。
…憲兵に潜り込んで、エレンとヒストリアの情報を探り出す。それしか方法はなさそうだ。こんな在り来たりな最善策しか思いつかないとは、自分もかなり追い込まれているな、なんて。どのみち時間がない。短期決戦にかけるしか、
「リヴァイさん」
「!」
馬の手入れをしていたサシャとコニーを眺めながら、思考をフル回転させていたその時。ルヴで巡視していたルピが帰って来た。ルヴのまま至近距離まで近づくのはやめろ、足音が無くてビックリするだろうがなんて言わずに平然を装って「なんだ」と問う。
「こちらに向かって二人…おそらく憲兵が来ます」
グッドタイミング。どうやら神とやらはまだ調査兵団を見捨てていないらしい。
リヴァイは立ち上がり、104期全員を呼んだ。
===
「——ストヘス区憲兵支部所属マルロ・フロイデンベルク二等兵」
「はい」
「同じく憲兵支部ヒッチ・ドリス二等兵」
「はい」
「共に104期の新兵か…所属もストヘス区のみ。相変わらず新兵ばかりに仕事が押し付けられる風習は健在らしいな」
その二人を拘束するのは容易だった。あの対人立体機動を見た後だからか、ただのライフルがとても可愛らしく見えるだなんて、それを抱えていた二人に失礼—いやそれを撃てなかったジャンにも失礼かと思ってただ黙って事の成り行きを見届ける。
兵服と装備を一式外させ無防備な状態にし、手のみ拘束。その場に座らされた二人の顔はかなり強張りを見せていたが、体格のいい男の方—マルロだけはリヴァイに尊敬の眼差しを向けているのは果たして気のせいだろうか。
「準備できました」
憲兵のジャケット、そしてマントを拝借し、アルミンとミカサが変装をする。頭の回転のいいアルミンといざとなった時に攻撃力のあるミカサの組み合わせ。エレンのこととなるとミカサは暴走しかねないので一抹の不安はあるものの、演技の下手なサシャやコニー…消去法で行けばこの人選が最適解であった。
「ストヘス区の現場にはまだ中央憲兵がいるはずだ。それらしき人物を補足して手掛かりを掴め」
「了解!」
「さて…マルロ、ヒッチ、お前らだが…」
二人の顔が引き攣っていく。確実に殺されると思っているだろう。民間人を殺した罪で追われている奴らに捕まり、背後に人類最強の男がいることを思えば、至極当然だと思う。
「あっ…あなた達のせいで、ストヘス区の人民が…100人以上も死んだのを知っていますか?!」
しかし、最後の悪足搔きか、命乞いか。女の方—ヒッチが上ずった声で話し始める。自分たちは正義の味方のつもりかもしれない。でも、その街の被害者やその家族は突然地獄に突き落とされたのだと。
「あぁ知っている」とリヴァイが簡単に返せば、ヒッチは納得できないとでも言うように次にはジャン達に顔を向けて言葉を続けた。
——あなたたちは、アニ・レオンハートと同じ南方訓練兵団出身でしょう、と。
まさかヒッチからその言葉が出てくるとは思っていなくて、我々は不意をつかれた。そう言われて思い出せば、アニは憲兵団・ストヘス区所属。マルロとヒッチも104期ということは、彼らは同期でアニをよく知っているということ。
根暗で愛想悪く人の事を怖がっているような奴だったから友達なんていなかっただろうけど。憲兵として共に歩むはずだった、数少ない女の同期だった。…なのに、あの日以来その姿を見ることができていないのは、巨人にぐちゃぐちゃにされて見分けがつかなくなったからなのではないかと、ヒッチはヒステリックに声を荒げた。
「……」
自分達の同期がそうなっても、何も感じないのかと言いたいのだろう。真実を知らないとは時に残酷なものだなと、どこか他人行儀に思って刹那、
「いいや。潜伏してた巨人の正体がアニ・レオンハートだったからだ。…奴は今、捕らえられている。末端の新兵が知っていいいことじゃねえがな」
「っえ?」
「まったく…イヤになるよな…この世界のことを何も知らねぇのは俺らもみんな同じだ。この壁の中心にいる奴ら以外はな」
拘束はするが、出発と同時に開放してやる。そう言ってリヴァイは二人から離れた。
本当は殺すつもりだったのだろうにそれをやめたのは、仲間の衝撃的な真実を知った彼らに少し同情したのかもしれない。威勢よく声を発していたヒッチは意気消沈し「アニが」と驚嘆の表情を浮かべながらじっと足元から目を離せないでいる。マルロも最初は同じだった。…しかし、彼は意を決したようにリヴァイを振り返って、
「…リヴァイ兵士長!あなた達が間違っているとは思えません!…本当に…調査兵団がリーブス商会を…民間人を殺したのですか!?」
「会長らを殺したのは中央憲兵だが。…何が事実かを決めるのは、この戦いに勝った奴だ」
「っ、俺に協力させてください!この世界の不正を正すことができるのなら、俺はなんだってやります!中央憲兵を探る任務なら俺にやらせてください!変装なんかよりずっと確実なはずです!」
「…何だお前は」
…あぁ、気のせいではなかった。彼がリヴァイに向けていた尊敬の眼差し。自分はそれを知っている。あれはそう、訓練兵特別顧問として出向いた時。——エレンが自分に向けた目と同じ類だと。
彼を今最も突き動かしているのは、リヴァイへの崇拝の念だろう。だが、他の者からすれば、たった数十分でリヴァイの言葉を信じこの世界の不正を正そうと思う憲兵がここに存在していることが異様。リヴァイには図れそうになかった。この図体だけがデカい男に体制を敵に回す覚悟があるのかどうかなんて、
「兵長!俺にやらせてください!」
そうして二人を拘束して、その場を去ろうとした時。そう言ったのはジャンだった。昨夜覚悟を決めた男の言葉に、その表情に何かを汲み取ったのか、リヴァイは「任せる」とだけ言ってその歩みを進める。
「ルピ、ジャンが戻ってくるまでルヴで警戒を続けろ」
「わかりました」
それは104期—同期だからこそ図れるものなのかもしれない。ジャンに連れて行かれる二人が見えなくなってから、ルピはルヴになって反対方向へ走った。