翌日。
ヒストリアの戴冠式は、兵団本部の前、多くの兵士と多くの民衆が見守る中行われた。
兵服や私服とは異なる、真っ白なワンピースに真っ白なマントを身に纏ったヒストリアはとても綺麗だった。壇上に上がった際には民衆から歓声が上がったものだ。あの時—リヴァイから即位しろと脅されオドオドしていたヒストリアの姿はもうそこには無く、まさに"王"というにふさわしい風采に変わっていた。
「あの少女が壁の倍もある巨人を倒したって?」
「あぁ、多くのオルブド区住民が目撃してんだ!…あんな小さな身体で我々を巨人から救ったのか…」
「影の王である父親の暴走を自らの手で沈められたのだ、我が壁の真の王よ!ヒストリア女王——!!」
ヒストリアの周りを囲むのは三兵団の各トップと本部の幹部達。そしてその三兵団の総括であるザックレーという人が、ヒストリアに王冠を授けた。兵団に所属して長いが、ルピがザックレーをお目にかかるのはこれが初めましてだった。
これからはヒストリアとそのザックレーというおじさん(大変失礼)が政治を司り、この壁の中を統治する。今まで関わってこなかった部分、関わらなくてもよかった部分にルピも関係を持つようになるとモブリットから説明を受けた。素直に何故?が出たが、モブリットには大層困惑の表情を返されたとだけ申しておこう。
戴冠式を終えてさあみんなでお茶会を…と呑気にしている暇などなく、それぞれが持ち場に戻り、それぞれの仕事を開始した。
取るべき目標は達成したが、それがまだスタートラインであることは皆が理解している。—そう、全てはシガンシナ区奪還のための布石。すべての壁を取り戻し、壁の破壊を目論んでいた奴らとの決着のため。調査兵団はまた今まで通り…否、今までで一番過酷な壁外調査に赴くことになるだろう。
戴冠式を終えリヴァイとルピは、エルヴィンが戻ってくるのを本部内の廊下で待っていた。
大きな窓から下を覗けば、いまだ戴冠式の余韻に浸っているのか、本部前にはまだまだ人だかりがあった。こうして下を—民衆を見下ろす経験の無いルピは、外で話す人々、そして走り回る子どもの声にずっと釘付け。何を思ってそれを見ているのかは知らないが、彼女にとっては物珍しい光景だろう。…一時的に訪れた平穏。緊迫感の無い空間を過ごすのはいったいいつぶりだろうかと、そう遠くない過去を思ってはリヴァイもただ黙ってそれを眺めていた。
昨夜、あの後。二人は何事もなかったかのようにいつもどおりに過ごした。それぞれの布団に入って、それぞれが眠りにつく。夜通し動いていたためか、横になって気づいたら既に朝を迎えていた。準備をしていたリヴァイに「おはようございます」と言えば、一つの区切りを終え日常に戻ってきたと、ようやく実感できた朝だったとルピは思う。
「——あ、兵長とルピさん!」
足音には気が付いていたが、同じ動きのない外の景色から目が離せなくなっていたルピは、それが近くに来るまで目を向けなかった。
その声にリヴァイもようやくその方へ目を向ける。ヒストリアはマントと王冠を脱ぎ白のワンピース姿になっていて、目が合った時にはいつものヒストリアだと、
「う、あああああ——!」
…思って直後、声と右こぶしを突き上げこちらに走ってくるヒストリア。リヴァイもルピも女王のその行動にただただ呆気にとられ、そうしてただそこに立ち尽くしていると…ヒストリアはリヴァイの前でピタリと止まり突き上げていた右拳を振りかざし、思い切りリヴァイを殴った。
「「!!」」
「「うおおおお——!!」」
途端、それを後ろで見ていた104期達から歓声があがった。彼らはヒストリアがリヴァイを殴ることを知っていたようだが、…いったいなぜそんな行動に?と頭の中を埋めつくすは無数のクエスチョンマーク。
「ハハハハ!どうだ!私は女王様だぞー!?文句あれば…」
「ふふ…お前ら、ありがとうな」
「「っ!?!?」」
いつもなら。突然そんなことされたら人を殺しそうな目で「なんだ」と言うリヴァイなのに。正反対の、しかも笑顔付きの感謝の言葉が降りかかってくるとは思ってもいなかった104期およびヒストリアの空気は凍っていた。いや、自分もちょっと凍り付いてしまった。こんな穏やかなリヴァイを見るのはルピも久―いや初めましてかもしれなくて。
それほどまでに、この壁の中の政治が変わったことは大きな意味があった。疲れ切っていたであろうジャンもサシャもコニーも、そしてほかのみんなの顔にも、いつも通りの笑顔が戻っていたことが何よりルピは嬉しかった。
「——あの…兵長、ルピさん、お話があります」
そうして浮かれながら皆が足を動かし始めた時。先程の笑顔を一変し、小声で話しかけてきたのはエレンだった。小声で話すということは他の者に聞かれたくないことであることは容易に想像できるが、一時的にでも訪れた平和な時間の中、一体また彼に何があったのかと少し身構えるも、
「できれば、団長とハンジさんにも——」
…まさか自分に関わる話であるなんて。ルピは想像だにできていなかった。
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エルヴィンと合流、そしてハンジを招集し、エレンの話を聞くことになったのはそれから小一時間後となった。
本部に構えられている、調査兵団団長の部屋。トロスト区支部にある団長の部屋よりも2倍ほどの大きさはあるだろうか。壁の色が明るいだけで、それだけで部屋全体が明るく見える。これが内地か、と普段過ごす空間で無いためかルピはキョロキョロと物珍しさに辺りを見まわす。
「…やっとひと段落ついたところで…今度は何をやらかしたんだ、エレン」
「……ロッド・レイスを追っている時、父の記憶の話をしましたが…。一つだけ、言っていないことがあります」
エレンの見た、父―グリシャ・イェーガーの記憶の話。全てが雲をつかむような話でその場に居た誰もが聞き入っていたが、その話だってあんなだだっ広い草原で聞くようなものでは無かった。なのにそれ以上に彼がその場で話すことが出来ないと判断した内容は一体何なのだろうかと誰もが息を飲み、そしてそれは全員の鼓膜に多大な衝撃を与えるものとなる。
——父の記憶の中に、ルヴがいたと
「ルピさんよりも小さい感じでしたが、見た目はそっくりでした。…それに、二匹いました。5年前のあの日…礼拝堂に入る前に会っていたようです」
「…二匹……ってまさか、」
「ファルクと、ルティルでしょうか」
「っ、やはりルピさんの…仲間なんですか…?!」
エレンのその返しでファルクとルティルについては彼に言っていなかったのかと気づき、ルピは簡単に説明をした。二匹は壁が破壊されるまで自分と共に暮らしていて、自分のように変身することは出来ないこと。そして今は、行方不明であること。
自分の秘密は当初、新兵の中でエレンだけに教えられた。よってエレンは機密事項であるルヴについて、他の者―マルロやヒッチもいるその場で話すことを躊躇ったのだろう。
それを思えば、自分の詳細を104期兵にまだ教えていなかったことにも気が付く。確かに全てを説明するそんな暇は無かったと言えば無かったのだが。
「エレンのお父さんは、二匹と"知り合い"だった…ってこと?」
だが、エレンは父からそんな言葉を聞いたことも無ければ、その"犬"たちに会った記憶もないし、母親からも聞いたことがないという。エレンも知らないくらいだ、ミカサもアルミンも知らないと思われる。あんな真っ白で綺麗なフサフサな犬、子供の頃に会っていたら大はしゃぎに違いないだろうし。
当然、ルピもエレンの父親のような人物と接触したことはない。誰も自分と関わろうとしていなかった中で、特定の人物と会った記憶など一切皆無。
「…親父が二匹の存在を昔から知っていたとして…その存在を知らさなかったのは…ルヴをこの壁内に広めたくなかったからでしょうか」
自身が巨人の力を持っていることも、隠していたように。
「…そうだね。その可能性は高い」
暫く考えていたハンジはそう言い、そしてもう一つ別の可能性を示唆した。
あの日―壁が破壊された日に、エレンに注射を打ち巨人の力を継承させたのなら。…ルピにも同じような注射を打ってルヴの力を宿させた可能性がある、と。
二人に共通する、記憶の混濁。巨人化と似て非なるものだが、類似点は確かにいくつか存在している。
だが、発動条件が異なるところ、そして圧倒的にその絶対数が違うことを鑑みれば、注射一つで数を増やせるものでもないのかもしれないともハンジは言う。
「ルピも誰かを食べたのかもしれないし、食べなくともその力を継承したのかもしれない。結局のところまだ何もわからないけれど…でも、きっと…エレンに見せたかった地下室。そこにルヴについても何か残していることは間違いないと思う」
そしてそこでようやく、エルヴィンが口を開いた。ロッド・レイス、もしくは壁の秘密を知る貴族達が何かしらルヴについても握っていると踏んでいたが、何も知らないようだったと。
「彼らが何かしら知っていたのなら…ヒストリア戴冠式の後、ルヴについても壁内に公にするつもりだったんだが…」
「…情勢が変わったんだ。もう隠し通すには限界がある。それに…シガンシナ区奪還はルヴの力無しでは到底叶わないぞ」
「ああ、分かっている。ルヴについては兵団内のみ公表しよう。彼女の力の有益さはこの数年で培ってきているし、総統なら話せばわかってくれるはずだ」
民衆にとって今は、"敵"は巨人だけという認識で十分。不安要素を敢えて増やす必要もないだろう。
もしかしたら、ロッド・レイスの領地内にまだ何かしらの秘密が眠っている可能性もある。今後調査兵団と憲兵団で領地の家宅捜査が行われるらしく、新たな情報が手に入ればまたその時にとの事でこの話は終わった。
そうとなれば早速、総統の元へ。そう言ってエルヴィンが部屋を出ていこうとし、ハンジ、リヴァイ、そしてエレンが続く。
「……」
一つ解決すればまた一つ問題が増えるこの現象は一体何なのだろうかと、思ってもその名は自分には思いつきそうにない。…だが、必ず。シガンシナ区を奪還すれば。自分の秘密も、ファルクとルティルについても何かしら分かるだろうと信じて。
ルピは一つ意気込み、去り行く大きな背中の翼たちを追った。