「今日は特別な夜だが、くれぐれも民間人には悟られるなよ。兵士ならば騒ぎすぎぬよう、英気を養ってみせろ」
全ての準備が整い、そして2日後にシガンシナ区奪還作戦を決行すると宣言された日の夜。調査兵団全員での食事会が開かれた。
「え?肉?」と目の前に並んでいる豪華な品の数々に圧倒されるコニーと「まじかや…」と瞳孔開いて頭を抱えるサシャ。滅多に食べられない食材に誰もがゴクリと息を飲んだ。―そう、お肉である。
「今晩はウォール・マリア奪還の前祝いだ。乾杯!!!」
「「「うおおおおおお!!!!」」」
「あれ?ちょっと…」
「落ち着けよ均等にわけるんだよ!!」
「おいそれはでけえから二枚分だ!!」
準備は整った——そう、ルピの夜間ルート確保の任務は今朝方最終確認を終え、無事に幕を閉じた。
夜間でも巨人との遭遇はゼロではないと常に警戒している者達もいたが、ウドガルド城に居た"夜でも動く巨人"のような種との遭遇は一切無かった。
いつも向こうから―特に奇行種による奇襲を受けることが多かったため、その反動もあってか、寝込みを襲う形での奇襲返しに積極的になる者も少なくなかった。終盤にはこのまま巨人を殲滅してしまおうかなんて意見が出てきたほどである。
勿論死者も負傷者も一人も出ていない。暗闇の中でこけて擦り傷を創ったものが数名いたくらいだ。
「てめぇふざけんじゃねえぞ芋女!!自分が何をしているかわかってんのか!?」
「やめてくれサシャ…俺…お前を殺したくねえんだ…」
リヴァイ班およびハンジは今日の午前中、キース―元調査兵団団長の元へ行っていたらしい。
エレンが見た父―グリシャ・イェーガーの記憶。見知った顔がたくさん登場していたその中で、唯一エレンが認知出来ない男性が一人いた。その人物はあの日―壁が破壊されたあの日にグリシャと会っていたらしい。どこかで見たことがある気がするんだとずっと言っていたエレンだったが、それを今朝方思い出したのだ。…それが、キースだった。
キースにグリシャの事を尋ねると、グリシャと出会った日から壁が破壊されるまでのことを語ってくれた。グリシャとは壁の外で出会った事。彼はこの壁内の事を何も知らなかった事。壁が破壊されたあの日、グリシャはエレンを山奥に連れていき、そこで雷のようなものを見たこと。…その後、グリシャの姿を一度も見てはいない事。
特別な存在、選ばれし者。そう思わせてくれた彼に対して持ち始めた、屈折した羨望。己の過去を顧みながら、自分はただの傍観者に過ぎなかったと語るキースに、元団長―そして訓練所の教官としての威厳など微塵も感じられ無かったと、ハンジはどこか苛立ち混じりの口調で説明してくれた。…どうやらキースはハンジの憧れだったらしい。マレーネ達に揶揄われるハンジを見るのは珍しい光景だった。
「あああああ食ってる食ってる食ってる」
「サシャ!?その肉はジャンだ!わかんなくなっちまったか!?」
「コニー早くサシャを落として」
「やってる!けどコイツ意識ないのに動いてんだよ!!」
グリシャが"白い犬"を連れていなかったか、と聞いてみたらしいが、やはりキースは何も知らなかった。
「ここで考えたところでわかるわけがない。地下室には何があるのか、知りたければ見に行けばいい。それが調査兵団だろ」エルヴィンはそう言って微笑んだ。
…そう、それが調査兵団だ。壁の外を知るため、巨人を駆逐するため、この世の真実を図るために、今まで行ってきた壁外調査の数々。その集大成、目指すはエレンの生家の地下室。そして、壁の破壊を目論む者たちとの最終対決。…の、前に、
「オイ…負傷者が出るぞ」
「調査兵団は肉も食えなかったのか、不憫だな」とマルロが言った瞬間、サシャの無意識グーパンチがマルロにヒットした。
前夜祭ならぬ肉祭―いや肉争いは開始当初からずっと続いていて、静かに英気を養えと言ったハロルドの忠告はどこへやら、である。
「誰だ?肉を与えようって言ったのは」
「すいません…奮発して二か月分の食費をつぎ込んだのがよくなかったようです」
今まで壁外調査の前に全員でワイワイ会食を、なんてした記憶は無い。だいたいリヴァイやハンジ達と明日の壁外調査の話、逸れてどんな巨人に会えるかの話ばかりしていた。…前夜祭ってこういうものなのかと、いつになく盛り上がる雰囲気に(盛り上がっているかは紙一重)、楽しそうな皆の表情に(実際は肉争いに真剣な顔ばかり)、ルピも今だけは作戦の事を忘れて久しぶりに食べるお肉…と言ってもあの頃食べていたものとは違う味のする美味しいお肉を味わっていた。
「何か始まったぞ」
力尽きたサシャが柱に拘束され平和が訪れたかと思ったのも束の間、今度はエレンとジャンの喧嘩が始まった。「騒ぐなって言ったのに…」とトホホ顔で肉をチマチマと食べるハロルド。肉がここまで争いの種になるとは。肉の力ってすごい、と変なところにルピは関心。おそらくこの騒ぎは外に筒抜けだろうが誰もその喧嘩を止めようとはせず、寧ろ盛り上がりを見せており、歯止め役のミカサでさえも穏やかな表情でそれを眺めていた…が。
「オイ」
突如現れた人類最強によってエレンとジャンはのされ、辺りは一瞬にして静寂を取り戻した。
「…お前ら全員はしゃぎ過ぎだ、もう寝ろ。…あと掃除しろ」
「「「…了解!!」」」
そうしてあっけなく前夜祭は幕を閉じた。目を覚ましたサシャの声なき声を、エンディング曲として。
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片付けを終え、リヴァイより先に部屋に帰ってきたルピは、いつものようにベッドに座って彼の帰りを待っていた。
あんなにワーキャーと騒ぐ皆を見るのは初めてだったからか、その余韻に浸りながら暗い窓の外に光る星に目を向ける。
片付けの最中も拘束されたままだったサシャにこっそりお肉を差し出せば、本当に美味しそうに、幸せそうにサシャは食べていた。「ルピさんは本当にいい人ですね」なんて言いながら満面の笑みを浮かべていた彼女を思い出せば、自然と顔が綻ぶ。自分が当たり前に食べていた肉。壁の破壊によって領土を失ったがために貴重な品となってしまったそれも、シガンシナ区を奪還しウォール・マリアが元通りになれば、以前のように手に入れる事が出来る。豊かな暮らしが戻ってくる。兵士だけでなく、民間人全員がそれを望んでいる。その日がついに、
ガチャ
「おかえりなさい」
「あぁ」
リヴァイが入ってきた瞬間、ふわりと香ったお酒の匂い。珍しいなと思った。リヴァイも滅多にない前祝いと言う名のお肉を楽しんでいたのかもしれない。
「…お酒、飲んだんですか」
「あぁ。最後かもしれねえからな」
サラッとリヴァイは言った。特に意が込められているようには感じなかったが、それくらいリヴァイもこの壁外調査が今まで以上に過酷で壮絶なものになることを覚悟しているのだと思う。ライナーとベルトルト、そして、恐らく獣の巨人。もしかしたら壁外から仲間をもっと連れてきて待ち構えているのかもしれない。
「…そうですね、最後かも……しれないですね」
先のリヴァイの言葉同様、特に意を込めたつもりはなかった。でも、本当にそうかもしれないとも思った。ウォルカの時のように自分が命を賭す気はしていないけれど、言ってしまえばあれは唯の勘だ。人は死ぬかもと思った時に死なないもの。当たり前に過ごしている日常の中であっけなく死んでしまうものだから。
「…馬鹿野郎。そんな事あるわけねえだろ」
いや、あなたが言ったんじゃないですかと、思った時には既にリヴァイの腕の中だった。
…いつも本当に突然に、抱擁をくらう。間近に感じる彼の体温には少し慣れたけど、今日はお酒のせいだろうか。いつもより力のこもった腕、纏う呼気。一滴も呑んでいないのに自分も酔ってしまいそうだ、なんて。
「…例えそうだったとしても、だ。俺はお前の味方だ。壁内人類を敵に回したっていい。いつだって俺は、お前のために悪役になる覚悟がある」
…何の話をしているのかと思った。でも、すぐにわかった。
この人は、全て見抜いている。
最後は何も、死ぬ事だけじゃ無い。調査兵団として活躍出来なくなる事、この場所に戻って来られなくなる事。同じベクトルを、向けなくなる事。…自分がライナー側の人間だと確証を得てしまったら。自分が人類の敵だと認識されてしまったら。その全ての未来が待っている可能性が、少しでもあるのだとしたら、
「…、ありがとうございます」
最後かもしれないから。ルピは初めてその背に、自ら腕を回した。