09



気を引き締め直し、再び歩みを進めて数分後。ルピはまた直ぐに人間に戻った。


「どうした」

「…焦げ臭いです」

「焦げ臭い…?」


風に乗って漂ってきた、臭い。簡単に"焦げ"で臭いを表したものの、調理で生じるような食材が焦げたような臭いではなく、かといってただ木々が燃えているような―それこそロッド・レイス奇行種が通った後に発生したボヤのような―単純な焦げの臭いでもないことに違和感を感じながらも、ルピは黙ってルヴに戻る。


「確かに…微かにけむいね…」

「…!まさか、ルピさんの鼻を利かなくしようとしてるんじゃ…?」

「あぁ…そう考えるのが妥当かもな。ルピ対策だろう」


用意周到。こちらにも十分作戦を練る時間があったということは、相手にも同じだけ時間があったということ。自分の厄介さは彼らにもしっかり伝わっている。…その存在を、昔から知っていたら尚更。


「——麓が見えたぞ!街道跡がある!!」

「日が昇ってきたぞ!!物陰に潜む巨人に警戒せよ!!これより作戦を開始する!!」


ルピはサシャに預けていた自身の馬に跨った。臭いの正体は今は放って置こう。緑の中に白一点を目立たせ敵に目印を与えぬよう、そっとフードを目深に被った。

シガンシナ区に到着した後の大まかな作戦はこうだ。まずはシガンシナ区外門の封鎖、そして内門を封鎖し、中の巨人を一掃。そして地下室を目指す。
壁が破壊されてからの壁外調査の最終目的がシガンシナ区奪還である事はライナー達も把握している筈。ここに来る、ということは門を封鎖しに来たと考えるのが普通だ。
敵側の当初の目的が変わっていなければ、狙うのはエレンだろう。諜報員捕獲作戦の時同様、エレンの居場所が分からないよう錯乱させる必要がある。そこで、フードで顔を隠した総員100名の兵士が同時に外門を目指す。敵の数を知らないのはお互い様だが、鼻が利かない彼らが100分の1を見つけるのには相当苦労するだろう。


「総員立体機動に移れ!!」

「焚火は見つけ次第鎮火しろ!!」


そうしてエレンは―否、ルピも初めてシガンシナ区北門壁上に立った。ピタ、と動きを止めるエレン。久しぶりに見る故郷。こうして上からまじまじと―破壊された故郷を見るエレンの心境は計り知れないけれど、


「止まるな!!外門を目指せ!!」

「了解!!」


敵はまだ姿を現さないが、彼らが来るのを大人しく待ってなんていられない。外門を即座に封鎖しなければならない。
エルヴィンは物陰に潜む巨人に警戒しろと言っていたが、日が昇ってから一切巨人の足音を聞いていない。彼らが一掃したのかは分からないが、余計な敵の事を気にしなくていいのは好都合だ。…ただ、相変わらず焦げた臭いが充満している。煙は然程上がっていないが、等間隔に焚火が用意されているのは体感で分かる。人間の姿であれば然程気にならない、自分達にも不利にならない程度に何か"特殊"な木々を燃やしたものと思われる。


「…焚火の…跡?」


少し進んだところでルピは少し黒ずんだ色をした箇所を見つけ、足を止めた。アルミンもそれに気づいたようで同じように足を止める。
壁上の真ん中、そこから引きずったように掠れた黒い線。ルヴになり臭いを嗅ぐ。辺りに漂っている特殊な臭いとは異なる、日常で嗅ぐ焚火の臭いと同じだった。


「急いで下に落としたんだ!」


アルミンは手を高々とあげ、エルヴィンへ合図を送った。彼が来るまでに少しでも状況を調べようと、二人で下へと降りる。
黒い線を辿るように丁度真下あたりに、野営道具が一式散乱していた。…ポットとカップが少なくとも三つ。ポットから漂うのは紅茶のようないい匂いだった。直前まで飲んでいたのだろうか。


「ライナーとベルトルトと…誰かの匂いが微かにあります。…辿ってみます。アルミンはエルヴィンさんに報告を」

「了解です」


クンクンと辺りの土の匂いを確かめる。
獣臭はある。野生生物が壁門から入っていてもおかしくはないだろうが、獣の巨人のものと考える方が妥当だろう。しかしやはり、辺りの小さな焚火のせいで思った以上に鼻が利かず、半径数メートル程で獣臭と焦臭が入り混じり、臭いへの道が複雑化して追えない。

辺りの騒がしさに目を向ければエルヴィンが新たな指示を出したのか、民家の中や外の捜索をしている兵達の姿。
…その時、外門の方から緑の煙弾が空へと上がっていくのが見えた。外門は無事に塞ぐ事ができたようだ。


「——どうだ、ルピ」

「ライナー、ベルトルトと…あと一つ知らない臭いがしました。獣の巨人だと思われますが…煙が邪魔で臭いを辿るのは無理そうです」


エルヴィンがただ一言「そうか」と返して刹那、音響弾が響いた。直後、エルヴィンの元へアルミンが、そして辺りを探索していた皆が壁上へと舞い戻ってくる。


「アルレルト!見つけたのか!?」

「敵はどこだ!?」

「まだです!全員で壁を調べてください!」

「…壁はもう調べたと言ったろ!?」

「壁の中です!!」

「壁の中!?」


エルヴィンでなく、アルミンの前に並び対話する兵士達。エルヴィンは敵の探索の指示系統をアルミンに任せたようだ。
見つからない敵に焦りを感じているのか、アルミンへ詰め寄る兵達の顔はいつになく険しく、語気もだんだんと強くなっていく。


「はい!!きっと人が長い間入っていられる空間がどこかにあるはずです!!」

「なぜそれがわかる?!」

「…勘です」

「お前今がどういう時だかわかっているのか!?そんなことにかける時間は——」

「しっ、しかし敵は!いつだってありえない巨人の力を使って僕たちを追い込んできました!誰でも思いつく常識の範疇に留まっていては…到底、敵を上回ることはできないのです!!」


パシュッ_


「「!!」」


黙って聞いていたエルヴィンが煙弾を上げる。色は赤。…作戦中止の合図。


「時に厳格に。時に柔軟に。兵士の原理原則に則り、最善を尽くせ。指揮系統を遵守せよ。我々は勝利するためにここに来たのだ。…再び二手にわかれ壁面の調査を!!扉の上部から入念に…捜索開始!!」

「「了解!!」」


壁上に集合していた兵達が、一斉に左右に散った。

…壁の中。確かに、普通ならどこかの民家に潜んでいると考えるだろう。いつ何時エレンが壁を塞ぎに現れても対応できる位置。常に状況が見渡せる位置。ルピの嗅覚を妨げられる位置。そして時が来るまで安全に身を隠せる位置。もしそんな死角があるとすれば。…我々が壁の中の巨人を知っていると、敵が知らないなら。そんな発想はしないと、踏んでいるなら。


「——ここだ!!ここに空洞があるぞ!!」


アルミンの隣で壁を叩いていた兵士が叫んだ、ほんの1秒後。壁の一部が突出し、次にはその兵の身体を刃が貫き、赤い飛沫が舞った。
現れたのは、


「ライナー!!!」


アルミンが声を上げたと同時に飛び出したのはリヴァイだった。首を切ろうと刃を向けるも落とし切れず、反対の刃で心臓を突き刺し双方そのまま落下していく。
…しかし、リヴァイは落下途中心臓に刺した刃を抜き、離脱した。ライナーの身体が地面に叩きつけられ、


「クソッ!!これも巨人の力か!?」


あと一歩、命を絶てなかった。
リヴァイの悔恨を搔き消すかの如く閃光が走り、姿を現すは鎧の巨人。


「周囲を見渡せ!!他の敵を捕捉し、」


ドドドドドドドドド_!!


「「!?!?」」


エルヴィンの声を掻き消した、鳴動。シガンシナ区北門、それよりもだいぶ外側—内門の中。複数の光が散り、より一層の明るさを空へとしらしめる。


「…っ!」


立ちこめる煙が晴れていき、現れたのは何十体もの巨人。等間隔に並ぶ巨人達の姿はまるでそこに新たな壁を築いたかの如く。…その中央、君臨する茶色の巨体を、ルピはハッキリとその目に捉えた。



back