04




「昔の歴史文献には――」


その日、訓練開始から初めての兵法講義があった。

静かなその部屋に響くのは教官が話す声。黒板はあるがそれはただの置物と化していて、訓練兵達は兵法の本と教官の話の内容を自分なりに噛み砕く必要があったが、それでもそこに集っているのは最低でも十二歳以上の男女であって、その内容が全く理解出来ないという者はいないだろう。

――ただ、一人を除いては


「…………」


ルピはかなり苦戦を強いられていた。教官の話すスピードは速いし(他の者にとっては至って普通)兵法には漢字が多過ぎるのが原因だった。

トーマやゲルガー、ナナバに教えてもらったのは専ら平仮名・片仮名で、漢字は教えてもらっていない。…彼らは漢字という存在を忘れてしまっていたらしい。


「それから人類は――」


読み書き(平仮名・片仮名)はほぼ完ぺきになったと思い込んでいたのだが、リスニングはやはり駄目みたいだ。現にあのキースの話も半分しか理解していなかったし、知らない単語を次から次へと発されると余計混乱してしまう。リヴァイ達がいかに自分に分かりやすく説明していてくれたのかが、今になってものすごく身に沁みていた。




「――では、今日の授業はここまでだ」


そうして終わった兵法講義。皆が席を立つ中でルピはまだその兵法書とにらめっこしていた。

ここで遅れをとっては後々のテストに響く事が目に見えている。昔ナナバが卒業までに全て理解出来ればいいとは言っていたが、それでは遅いのではないかとルピは危機感を抱いていた。


「…あれ?ルピ行かないの?」


そんな自分に話しかけてきたのは隣に座っていたペトラだった。あれからルピはペトラと一緒にいさせてもらう事が多くなり、そうして彼女との距離も着々と埋まっている…気がしている。


「…もう少し、勉強しようと思います」

「ルピは本当熱心だね」


この時ルピの脳裏に、ある事が浮かんだ。…彼女に漢字を教えて貰うのは如何かと。どうにかしてそれを読めるようにしなければならない。今からゲルガーやトーマ、ナナバのところに行って漢字を教えてくださいなんて言えないし出来ない。教官になんて聞けない、馬鹿にされるのが目に見えている。今ルピが頼りに出来る人…それは、今隣に居る笑顔の素敵な人。


「……あの、」

「ん?」

「……これ、何て読むんですか――?」

「――お前、そんな漢字も読めねえのかよ?」


そう言った刹那、上から降ってきた声。ルピとペトラが同時に振り返ると、そこには気だるそうに頬杖をついて自分達を見下ろしている男の人がいた。


「オルオ!」

「(オルオ?)」


ペトラにそう言われた男の人―オルオは立ち上がり断りもなくルピの隣に座ってきた。その威圧感が半端ない。見た目からしてかなり悪そうな雰囲気をお持ちのようだったが、


「漢字も読めねえんじゃこの先やってけべ…っ!」

「…噛んだ。今噛むとこあった?」

「う、うるせえペトラ!」


舌を噛んでオロオロしているそのギャップ。あ、この人は悪い人じゃないとルピは判断した。


「ルピ漢字が読めないの?」

「…はい、すいません」

「何で謝るんだよ」

「……すいません、?」

「いやだからなんべ…っ!」


また噛んだオルオに呆れた表情をペトラはしていたが、彼の口から血が流れ出したのでこれは大変だとルピは思い持っていたハンカチを彼に差し出した。
オルオはそれをぎこちなく受け取り「お前いい奴だな」と涙ぐんでいる。…その涙がルピの人柄の良さのせいか舌を噛んだ痛さのせいかは定かではない。

平仮名片仮名が読めたり書けたりするようになったのも最近だと話すと二人は一瞬沈黙したが、漢字もすぐ分かるようになると励ましてくれた。二人がこの時ルピに対して抱いた感情が同じかどうかは分からないが、それでも二人がルピに対しての態度を変えるような事はそれからも無かった。


「仕方ねえ。このオルオ様が教えてやろう」

「…本当ですか?」

「私も教えてあげる」


そうしてオルオは教官のように黒板の前に立ち、教官のように兵法書片手に何か語りだしていた。


「…あれはほっといていいよ。まずは、」

「うおいペトラ!!俺の授業を聞かねえとはどういぶ…っ!」

「そうだね、とりあえずこれ全部ふりがなを、」

「…ペトラさん、オルオさん噛んでますよ?」

「あーいいのいいの」

「うおーーいペトラああ――!!」


それからも二人は、講義の終わりにルピに補習を行ってくれた。

ゲルガーやトーマと違ってスパルタなオルオ。見守り役のナナバと違って熱心に教えてくれるペトラ。新しい"先生"を迎えて始まった新たな勉強会は、ルピにとってかけがえのない時間になっていた。



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