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コンコン_


…翌日。ルピはエルヴィンに呼び出された。


「やぁルピ、お疲れ様」


こうして彼の部屋に一人で入るのはこの時が初めてで、いつになくルピは緊張していた。いつもはリヴァイがいるのに今はいないこともある。しかしそれ以上に、昨日の自分の"失態"についてエルヴィンに何を言われるかが分からないという事の方が大きい。
皆には称賛されたが、きっと彼の考えるところはそこだけにはない。そう、リヴァイと同じだとルピは思う。彼は全ての兵の上に立つ者であって、ルピ以上にたくさんのものを背負っているのだから。


「お疲れ様です」

「体調の方はどうだ?」

「もう大丈夫です。その…すいません、エルヴィンさんにも、心配をかけてしまって…」

「…いや、いいんだルピ。悪いのは私の方なのだから」


誰もが知っている。ルピが命令に忠実であるということ。前回の壁外調査でもそう、ルピは本当にエルヴィンの命に忠実で、兵の悲鳴が上がってもその場に止まり加えて動じもしなかった。新兵の八割方は決まってそれを必死で助けようとする者、怖気づいて動けなくなる者の両極端に分かれ、初陣で感情任せに動くのがお決まりだと言っても過言ではないのにもかかわらず。


「…?」


今回エルヴィンがルピに出した命は『作戦通りに遂行し、巨人の位置を把握し伝達し、荷馬車班を"任が終わるまで"安全に導く』ことだった。ルピはその命を全うしようとしただけであって、決して何も間違ってなどいない。…誤ったのは己の方。ルピへの命に『何か不都合が生じたら知らせる事』を含めていなかったからだ、なんて。


「無理をさせたね。すまなかった、ルピ」


エルヴィンはこの時初めて、リヴァイの言う"忠実"の意味を理解した。彼女は自身の都合をそれに微塵も挟まない。そこにあるのは目的を成し遂げる為だけの忠誠心。…良い意味でも、悪い意味でも。


「そんな、」

「…ただ、これでルピの弱点を知る事が出来た」


今回の調査はそれが主な目的だったと言っても過言ではなく、そしてエルヴィンはそれを誰にも公言してはいない。恐らくリヴァイは勘づいているだろうと思っているが、…そうしてその時々の壁外調査の本来の目的を隠すのにも訳は少なからずある。


「…弱点、ですか、」


きっといつからか、どこかに過信を持っていたように思う。それにデメリットがあるなんて考えた事が無かった。だから少しくらい自身の身体に異変が起こっても大丈夫だなんて、…今となっては何の確信も無く行動していたように思えて止まなくて反省する一方なのだが。

しかし、弱点は必ず改善出来るものであるから心配ないとエルヴィンは言った。神経を遣うそれにも慣れが必要である。毎日コツコツと続けていれば自ずと備わる力と一緒で、日ごろから耳を使うようにしておけばいずれ頭痛を起こさなくなるかもしれないと。


「耳の使い方を自分なりに訓練するといいだろう。それが私からルピへの課題だ」

「…はい、分かりました」

「しかしだなルピ、それが数ヶ月で劇的に改善される事はまず無いと踏んでおいたほうが良い。…以前に言った事を覚えているかい」

「……全てを、長い目で捉える、」

「そうだ。何ヶ月何年何十年とかかろうが構わない。我々が目指すものはすぐ明日にはやってこないのが現実なのだから」


確かに、とルピは思った。巨人のいない世界が明日手に入る事なんてきっと無い。だからそう、ちょっとした油断で明日の向こうにある未来に繋がる道を崩してはいけないということ。


「ルピ、君の力は本当に素晴らしいものだ。その事実は変わらない」

「はい、ありがとうございます」

「だから、もっと自分を大事にすること。いいね?」

「……はい、すいません」


フッと一つエルヴィンは笑った。褒められて嬉しそうな顔をしたと思ったら注意を促されてしゅんと落ち込んだ、今までに無かった彼女の表情の変化を見て。
本当に素直なのだと、そう思う。けれどもこれからもどんどん変わっていくだろう。調査兵団の未来と共に、彼女自身も、なんて。


「話はそれだけだ。リヴァイのところに戻りなさい」

「はい、失礼します」


らしくない事を思いながら、エルヴィンは去りゆくその小さな背中を見送った。


 ===


「――ただいま戻りました」

「あぁ、」


ルピが部屋に戻ると、リヴァイはソファに座って書類に目を通しているところだった。エルヴィンに説教でもされたかなんて言いながらも彼はそれから目を離さない。いつもの事だ。


「…エルヴィンさんは、どうしてあんなに優しいんでしょう」


ちょっと拍子抜けしたかもなんて死んでも口には出さないが、それでも彼の言葉はリヴァイよりも柔らかいといつも思わされる。甘いとかそういうことではない。その言葉に重みがあるのも伝わってくるし、言葉だけでなくその行動に団長らしさを感じるのも事実ではあるが、…どうしても第一印象である"優しい男の人"というのが抜けきらないのは、果たして自分だけなのだろうか。


「……優しい、か――」


ポツリとルピの言葉の意味を噛みしめるように言って、一瞬。一瞬だけ、リヴァイはその書類から目を逸らした気がしたが、


「…………お前がそう思うなら、そういう事だろう」

「…?」


何か考えたような素振りもその間の意味も、この時ルピはわからなかった。



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