01




――コンコン、


「ルピ〜入るよー」


返事をする前に、そしてその言葉を発する前に既に部屋にズカズカと入ってきたのはハンジ。


「ご機嫌麗しゅう!…とはいかないかな」


きっと今の自分の表情を見てそう言ったのだろう。
…壁外調査を終えて迎える朝が億劫だと思ったのは、この日が初めてだった。


「…どう、したんですか?」


あの後暫くしてリヴァイが部屋へ帰ってきたのもそうして朝方部屋から出て行ったのも知っている。その度に起きて、けれども交わす言葉は少なかったように思う。
…いつも通り。そう、いつも通りと言えばいつも通りなのだが、やけにそのリヴァイの従来通りの振る舞いが目に付いて離れなかった。


「ん?リヴァイに頼まれてね」


落ち込んでいるようだから慰めてやれ、だなんて。だったら自分でそうしたらいいのにと、しかしそれに跳ね返ってくる言葉が無い事をハンジは知っている。

リヴァイは感情表現が極端に下手だ。いろんな意味で語彙力が無い。言葉にも選択肢があるという事を彼は知らず、そうして気にせずその棘を兵たちに刺す。余計に傷を付けたりあるいは感化させたりして兵を刺激するのが彼の役目でもあるのだが、


「まぁ、私も大した事は言えないけど、」


…ただ、こうして自分がそのフォロー役に回されるのはこれが初めてだった。ただ単にルピに甘いのか、それ以上の棘を指して抜けなくなるのを恐れているのかは定かではない。


「そうだな〜…一つ覚えておいて欲しいのは、」

「?」

「ルピは"特別"だけど、その感情は決して間違ったモノではないということかな」


誰だって最初はそうで、そしてそれが人間らしさでもある。仲間達を無残に殺されて怒りで前が見えなくなったり恐怖に慄いたりして喜怒哀楽を曝け出すのは当然な事なのだとハンジは言った。


「リヴァイに何を言われたかは知らないけど、最初はそれでいいんだよ、ルピ」


彼―いや、彼らが至って従来通りに振る舞えるのは、自分よりもずっとずっと多くの壁外調査に出ていてそして自分よりもずっと多くのそれを目の当たりにしてきたからこそ。それは所謂経験と慣れの差であって、誰しもがそれを乗り越えて強くなっていく。感情のコントロールも、そうして今自分が優先すべき事も分かってくるのだと。


「……リヴァイさんも、最初はそうだったんですか?」

「…いや、リヴァイはちょっと特殊だね」


それでも彼はどこか他の人とは違う。彼の従来通りの行動がやけに目についたのは、己を包む虚無感にそれを明確にされたからだった。

最初から、そう、ハンジが出会った時から彼はそうだった。しかしそれはそういった感情が全く無いとかそういう事ではなく、きっとそれを曝け出さないのが彼なりのプライドでもあるのだろう。だとしてもあれは真似出来る代物ではないとハンジは思う。


「大半の兵は、慣れてしまったと言う方が合ってるかもね」

「……」

「…嫌でも、慣れてしまうんだよ」


ここはそういう世界だから。どこか思断つように言うハンジ。


「でもね、それは悪い事じゃない」


巨人に怒りを覚えるより仲間の死を悲しむよりも、その命―その意志を自分が引き継ぐ気持ちが大切。リヴァイはその背の翼にたくさんの仲間の意志を背負うことで仲間の死を悼っているのだろう。肉体的にも精神的にも誰よりも強いからこそ出来るのかもしれないが、だからこそ彼は兵士長という立場にいれるのだろう、なんて。


「…調査兵団に入った事、後悔してる?」


なんて自分は無知だったのだろう。彼が"人類最強"と呼ばれる所以。己が"人類の希望"と謳われる意味。この世界の残酷さ。
何も知らなかった。人の命の儚さも、仲間を失う辛さも、巨人の理不尽さも、壁外調査の恐ろしさも、…そして、自分自身の愚かさも。


「…いいえ、そんなことは」


この選択をした事に後悔はしていないが、生半可な覚悟でそれを決めた自分を後悔したい気持ちになった。その翼を背に負う重み―人類の為に命を賭すという重みを知らずに必要とされるという表面上の喜びに浸り、それを乗り越えていく過酷さを鑑みずにこんな思いをしている自分を。


「そっか。ならよかった」


クシャリ、と一つ頭を撫でるハンジ。「今のその顔悪くないよ」そう言ってハンジが部屋から出て行った後で、一つ意気込むようにルピは息を吐く。


「……、」


…昨日の失態をエルヴィンに謝りに行こう。そう、思った。

そうしてルピがその部屋を出たのは、いつもより大分遅い時間だった。



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