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ガチャ_


いつになく静かに扉を開ける夜深い時刻。そこには当たり前の如く暗闇と静寂が広がっている。

いつもかかる声は今日は無く、そうして視線を動かせばそれは既に布団の中。いつもどんなに遅くなったって、そう、今の時間になったって、ソファの上であったりベッドの上であったりそれは規則正しく自分を待っていたのに。最近、ある一定の時刻を過ぎるとそれは自分を待たない事をリヴァイは発見した。

それが始まったのはいつからだろう。…いや、気付いている。

それはあの日、違う匂いをこの部屋に持って帰ってきた日からだ。


「ルピ」


名を呼んでしばらく待つも反応は無い。誰もがそれは深い眠りに落ちているから当たり前だと思うのであろうが、しかし彼女は確実に起きているという確信がリヴァイにはあった。彼女が自分の足音が近づいてくるのに、そして近くでかかる声に気付いていない筈がない。彼女にそれが届かない時は余程疲れている時くらいだというのを自分はよく知っている。

彼女に自分を待っていろだとかそういった命を下した記憶なんてないしそれは彼女自身が故意にやっていたことであって、それを自分が責める意味もなければ理由も何もない。しかし己の声に反応しないのはいかがなものかと思うが、…リヴァイは特にそれに何も言わずベッドに腰を下ろした。



――ルピにも反抗期が出てきたりしてね



あの時のハンジの予測が当たるだなんて誰が思っていただろう。それを当選者に言えば食い付いて離れそうにないから死んでも教えたくはないが、…リヴァイはそれに驚きというよりも少なからず混迷を覚えていた。

最近、そう、あれ以来、ルピを"構ってやれなくなっている"のは自分でもよく分かっている。ウォルカといる時間の方が格段に多くなっている事だって分かっている。それでもリヴァイは何も変わらないと思っていた。どんな状況であってもそれが人に対して抱く感情に差をつけるようなことは無かったから。
…なのに、これまで従順を貫いて来たそれが今になって、そして何故"これ"に対してその態度を見せるのか、何を思ってそうしているのかが分からない。


「……、」


兵士達は自分の隣が変わっても何も不信感を持ってはおらず寧ろ好機の目を向けくるから災難だとリヴァイは思う。そうしてウォルカがまた調子に乗るから余計機嫌に障って止まない。
正直リヴァイは心底疲れていた。壁外調査よりも無駄に神経を使っている気がすると言っても過言ではない。

…だったらそうしなければいいだなんて、簡単に終わらせる選択肢も存在したが、リヴァイはそれを選べなかった。何も好き好んでそうしているワケではない。そうしなければならない理由が生まれてしまった。いや、自ら創ってしまったのだ。じゃなきゃあの"小悪女"をわざわざ己の隣に位置させようとは微塵も思わないし、寧ろ置きたくなどなくて。
自分の隣には常にルピがいて、そしていつしか自分にとってもそれが当たり前と化していて、

…それが隣にいなければ己の調子が狂う、だなんて。


「……、」


しかしリヴァイは、そうなった経緯をルピに告げる気など微塵も無かった。言う意味も、理由も何もない。彼女がただ平穏無事に日常も過ごしていければ問題なんてなくて、…そう、これはただの任務なのだと。普段の彼女の"護衛"は自分であって、それを全うするのみであって、


「…――」


…そこに良心の呵責を存在させる意味なんてないのだと。言い聞かせるかの如くリヴァイは静かに目を閉じ、それに背を向けた。


 ===


「――……」


…リヴァイが布団に入ったのを音で確認して後、ルピは小さく息をついた。
リヴァイの予想通りその足音が聞こえてきた時から、…否、布団に入る前と変わらないくらい、ずっとルピの意識はハッキリと保たれている。

リヴァイが毎日この部屋に帰ってきて寝る事は以前から何も変わっていないが、しかしいつしか…そう、あの日を境に彼はこの部屋に無い匂いを連れて帰ってくるようになった。
今日もまたと香るそれに嫌気がさしたのはいつからだっただろうか。それは決まって彼女の香気。リヴァイが嫌悪を抱く筈の彼女の、匂い。それを悟るたびに心が荒んで、そうして彼を待つのを止めた。寝たふりという"嘘"を覚えた。…自分が待っているのはリヴァイであって彼女のそれに染まったリヴァイではない、だなんて。

あんなにそれを嫌っていたのにその香気を漂わせる意味がルピには分からない。今まで彼女との接触を極端に避け続けてきたのに彼女をその隣に置き加えて身体にそれを纏うなんて、…イコールそれはリヴァイが彼女を受け入れ始めてしまった証だと思わずにはいられなくて。


「……」


リヴァイと自分という唯一が存在出来る場所は今も昔もここだけで、この部屋は自分にとって"特別"だった。彼女が現れてから、その隣を取られてから、この場所だけがただ一つの安心して過ごせる場所だったのに。
ルピは怖かった。だからそれから目を逸らしたかった。彼がその匂いを連れてくるたびに、


「……、」


…このテリトリーでさえも、彼女に奪われる気がして。



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