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コツ、コツ、コツ_


自身の足音が良く響き、階段を降りて行くほどにヒンヤリとした冷たい空気が己を包んで行くその場所。そこにこんなにも頻度を重ねて出入りするようになったのは果たしていつぶりだろうかなんて朧げに考えながら、リヴァイはその足を進めていた。
地下牢の、一番奥。薄暗いその場所を久しぶりに訪れた際にはあの頃の記憶が徐に呼び戻されて、何だか懐かしいだなんて不適当にもそんな悠長な事を思っていた気がしなくもないが、…それはこの現実から目を逸らす為の逃避だったのかもしれない。


「……」


あの時もこの場所にそれを閉じこめていた。どれくらいの間だったかは定かではないが、それでも今ほどに長くは無いのは確実。
当時ここへ来る時の己の胸中はどんなものだっただろうかといくら考えても思い出せそうにないそれは、しかし今のものとは全く異なる事は自分が一番よく分かっている筈だった。


「……、」


音に敏感なそれはどんな時間帯でも必ず起きて自分を迎えた。耳が良いのも良し悪しだなんて、最初はその能力に情けを持った。
少しの"反抗期"はあったもののそれは三年たった今でも変わらずそれが持つ一つの習性であって、それが己にとっても当たり前の日常となった事に嫌な気はせず、…いや、寧ろ充足感を齎していたことに最近になってリヴァイは気付いていて、


「――…ルピ、」


…しかし、今は。目の前に自身が姿を現しても、彼女はベッドの上に死んだように横たわっていてピクリとも動かない。反抗期が続いているわけではないこともそれが気付かぬフリをしていない事なども分かってはいるがしかし、どこかやり切れない思いをリヴァイは今日何度目かの溜息に変え、最早自分の居場所と化したイスに腰掛けた。


――あの遠征から、一週間


既に一週間の時が過ぎているのに、それはまだその闇の中で彷徨い続けている。

こうして生きているのも奇跡だなんて壁内に帰還してから診せた医者には言われていたが、きっとあの遠征に出ていない者ならば声を揃えてそう言うに違いないだろう。壁外から生きて帰ってくる事自体がそれらにとっては奇跡そのものであって、そうして還ってきただけで人々はそれを英雄とも呼ぶ。
現に彼女もその医者にそう言われていた。いつもだったらリヴァイも自慢げにそれを語っていたかもしれないが、しかしその時ばかりはそれについて何も口を出さなかった。…否、出せなかった。

壁外で類稀なる活躍をした。ただ単にその事実だけが存在したならば、彼女をこうしてまたこの地下牢に、…そして、

――その手を鉛のように重い鎖で繋ぐことなどしない


「……――」


リヴァイは思っていた。ここへこうして通い詰める事など、二度とない。…それがこの牢にまたと入ることなど、二度とないと。




「――まだ、目覚めないのか」


暫くして、その場にエルヴィンがやってきた。彼がこうしてここにやってくるのは自分が知る限りでは三度目。ここを訪れる者は昔からそれを慕っていた者とそれのトモダチのみ。そう、あの時の作戦を知っている者だけで、今回は見張りさえつけていない。リヴァイがそれを担当しているというのもあるが、…それ以前に誰もそれに近づきたがらなかったのが事実でもある。


「…兵達の様子はどうだ」

「当初よりは落ち着いている。…ここに置いて"正解"だった」

「…、そうだな」


その言葉にリヴァイは肯定の意を示したが、彼の握る手に力がこもったのをエルヴィンは見逃さなかった。
彼がその心に抱えているのは今だその真実を知れない為の苛立ちか、事実を目の当たりに出来なかった為の慙愧の念か、それが目を覚まさない為の憂慮な思いか、…はたまた、その全てか。


「…リヴァイ、少し休め」

「問題無い。今もこうして休んでいるだろう」

「身体はそうでも、精神はそうはいかない」

「俺の精神を心配するお前の精神が逆に心配だ」

「…お前は今の彼女より重症だと思うが?」

「……、どこにいようが変わらねぇよ。…結局、考えちまえば同じだ」


ワントーン落ちたその声は、それでもその場によく響く。それを聞きながらエルヴィンは、ピクリとも動かないそれに目を向けていた。

仮に彼女がこのまま目を覚まさなかったなら。人類の希望が消失したという事実を兵団は受け入れなければならなくなる。今までならきっと誰もがそれに可惜の念を浮かべただろうがしかし、…きっと今の状態ならばそれを至当に受け入れられるのが目に浮かぶようでエルヴィンはそっと目を閉じた。…まるでその事実から目を逸らすかのように。


「…今回の遠征で化けの皮を剥がすつもりだった対象が、――まさか彼女自身になるなんてな」


一体誰がそれを思い設ける事が出来ただろう。作戦が見事無残に失敗した代わりに生まれた、新たな局面を。

リヴァイとエルヴィンはただ"それ"を聞かされただけで、何も知らない。彼らはその話を信じる事しか出来ずにいる。…リヴァイがそこ駆けつけた時には、既に事は終了していたからだ。
だからそう、仮に彼女がこのまま目を覚まさなかったならば、その真実も何もかもが謎のベールに包まれたまま、そうして彼女への"忌諱"は再発し無くならないままにそれと共に闇に葬られてしまうことになってしまう。


「……リヴァイ、私は、」


全てを狂わせた元凶は何だったのかなんてきっと考えても答えは出ないだろうが、…そもそも彼女を闇の中で彷徨わせる程に痛手に遭わせる原因を作ったのはその作戦を思いついた自分であることくらいエルヴィンは重々承知である。
…けれども、そうだとしても、この壁外調査でその作戦を遂行しなければ。それが明らかになることは無かったのかもしれないのだ。

――彼女の、禁秘が


「私は、後悔などしていない。…この遠征でそれを知れたのは寧ろ良かったと思っている」

「…あぁ、…そうだな」


…例えそれが、己らにとって人類にとって最悪なものだったとしても。この調査兵団がまた新たなる境地に達する事は、確定していた。



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