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それからも暫く、ルピはそこで過ごした。

大分みんなとも馴染んでいて、さん付けされることにも敬語で話しかけられることにも慣れてきている。怪我も完治し(たと思い込んでいるだけだが)、一緒に訓練をして鈍った身体を鍛える事もしていた。
それに、広い自然の中で暮らしているからか時が経つにつれてその心は穏やかになっていた。あの狭い牢にずっといれば塞ぎこんでいたのかもしれないと度々思っては、エルヴィンやリヴァイへの感謝の気持ちを胸に刻む。


そうして今、用のあるキースに代わって対人格闘訓練の教官を務めている。みんな真剣に取り組んでいてあの時のオルオとは大違いだなんて、過去を思い出してはほくそ笑んだりして。

…ただ、その中に上手くサボっている子が一人。…アニだ。あれからルピはアニとだけはあまり関わりを持っていない。彼女は一人異彩を放っていて、ルピだけでなく普段からあまり皆と関わろうとしていなかった。話しかければちゃんと対応しているし、別に皆に嫌われているわけでもないように思う。変わった子だと思ったが、一人でいるところを見るとどこか昔の自分が重なる気がして、ルピはたまらず話しかけていた。


「アニは一人でいるのが好きなんですか」

「…………私は慣れ合いの兵士ごっこは御免だね」

「兵士ごっこ?」


意味が分かっていないように首を傾げるルピに、アニは面倒臭そうに溜息を一つ吐きだす。


「…首席で卒業したのに、安全な憲兵団に行かず危険な調査兵団に入ったアンタの気もしれない」


アニは最初から憲兵団志望らしい。彼女が目指しているのは立派な兵士で無く、内地の特権を得る事だった。
ルピは今だ内地がどんな場所か知らない。そこは巨人から一番離れていて安全な場所だということくらいで、だからといってそこが良い場所という感覚は無い。ルピにとって大切なのは、安全に暮らす事ではないから。


「実は私…リヴァイさんに拾われた身なんです。三年ほど前まで、この世界の事を何も知りませんでした。…だから、内地が良いとか、いまだによく分かりません」

「……」

「私には特別な力があるんです。…それが何かは、口止めされてるんですけど、」

「…それを言ってる時点でもうバラしてると思うけど」

「この人類の為にその力は必要なんです。だから調査兵団に入りました」


アニはそれに何も返してこず、真剣に取り組むそれらを呆れたような目で眺めていた。


「…相手、いないなら私がしましょうか…?」

「……普段なら皆ふざけてんのに、アンタがいるからって今日だけはりきっちゃってさ」

「え?そうなんですか?」


そういえばこの時間帯は絶好の休憩時間だった。だからアニも点数に加算されないこの対人訓練にはめっきり力を入れていないのだ。…なんだか悪い事をした。そう思ってルピは「気楽にやってください」と皆に声をかける。
…教官らしからぬ言葉だ。きっとキースがいたら頭突きが炸裂するとアニは思った。


「……利用されてるとは、考えなかったの」


先ほどの話の続きだろうか。アニはそう小さくポツリと呟く。


「…必要とされていたから。利用されているなんて思ってないですし…それでもいいと思ってます。私にはそれで十分です」

「…変わった人だね」

「調査兵団は、変人ばかりですよ」

「だったら、尚更。…私は調査兵団には向かないわ」


そう言ってアニが去ろうとした時。そこへライナーとベルトルトがやってきた。


「おいアニ。ルピさんにそんな横柄な態度はよくないな…お前ちょっと調子乗ってんじゃねぇか?」

「?」

「ルピさん、教官である貴方がコイツのサボリを受容してどうするんですか…少し思い知らせてやってくださいよ」


ニヤリ、と笑うライナーにアニは至極不満そうな顔をしていた。思い知らせるといっても何をすればいいか分からないルピに「対人格闘で痛い目に遭わせてやって下さい」とライナーが言う。「分かりました」と言ってルピが構えると、嫌そうだがしぶしぶアニも構えをとった。


「…変わった構え方ですね」

「アンタがいくら目上の者でも、手加減しないからね」


いつしか周りは取り囲まれていて、見世物になっている。「やっちまえルピさん!」なんて人一倍声を張り上げているのはエレンだ。…彼はアニに何か恨みでもあるのだろうか。

そうして一騎打ちはアニの攻撃で始まった。…対人格闘術ってこうやるんだったっけ、と思いながらも本格的に仕掛けてくる彼女の攻撃を避け続ける。どこかで鍛えていたのだろうか、彼女はとても筋がよく、そして目の前の敵に対する姿勢が半端ないと思った。


「っ、!」


そうしてアニの尋常じゃない脛蹴りが飛んできて、しかしルピはそれをしれっと交わすと蹴りの動作で動きの取れないアニの腕と胸倉を掴んで押し倒す。一瞬シン、と静まりかえったその場だが、すぐにその歓声は沸き起こった。


「す、すげー!!」

「あのアニの脛蹴りをさらっと…!」

「ッチ…(この女…本当に強い)」


大丈夫ですかとルピがその手を差し出すと、アニは素直にその手をとって身体を起こす。「これからは真面目にやって下さいね」と言えば、「気が向いたらね」なんて変わらないアニの態度にライナーとエレンから野次が飛んだ。


「アニ。あなたの敵に対する態度、素晴らしいと思います」

「……」

「調査兵団に向いてますよ。その殺気、是非巨人に向けてもらいたいです」


少し冗談ぽくそう言えば、アニは服の砂を払いながら一言「嫌だね」と言ってその場を去った。ルピはクスリと笑ってその姿を見送る。
彼女は思ったほど悪くない子だ、なんて。…この時は、素直にそう思っていた。



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