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 風柱の継子になってからしばらく経った、俺の一日を紹介しよう。

 まず日の出と共に起き、柔軟体操をし、屋敷の庭を10周走り、打ち込み台が壊れるまで木刀を振り回す。そこまで終わったら風呂で汗を流し、やっとこさ朝飯に有り付く。
 これが、一日の始まりだ。
 この朝からお腹いっぱいなストロングメニューは師範が考案してくれたそれはもう有り難いものだ。もう本当に、有り難すぎて涙が止まらない。
 師範は見ていないが、寝坊したり手を抜いたりすると何故かばれて恐怖のお仕置きが待っているので、俺は死ぬ気で真面目にこのメニューを熟している。
 ばれるとどうなるかというと……思い出しただけで昇天しそうになるのでご想像にお任せしたい。

 朝飯のあとは少しの空き時間があり、師範が「やるぞォ」と声をかけてきたら稽古のはじまりだ。
 俺はこの「やるぞォ」が「殺るぞォ」にしか聞こえなくて、というか師範は絶対に「殺るぞォ」と言っていて、俺はいつも心の中でドナドナを歌いながらその背中の後をついていくのだった。
 稽古の内容はとてもシンプルで、「よォし、じゃあ今から昼飯まで俺と勝負だァ」だ。何を言っているのかというと、要するに昼飯まで俺が師範にボコボコにされるという意味だ。
 俺は心の中でこの稽古のことを「地獄のスーパー処刑タイム」と呼んでいる。俺は刑罰を受けるほどの悪事を働いた覚えはないが、師範は俺を大罪を犯した謀反者の如く容赦なく襲ってくるのだ。
 師範を攻撃するなんてできない! ──と最初は思っていたが、最初の時だけだ。今は、この血に飢えたゴリラを倒さないと俺は死ぬ! ──と思いながら必死に闘っている。勝ったことはないが。
 稽古中に俺はせっかく食べた朝飯を全てリバースするので朝飯からとれる栄養は実質ゼロだ。だから俺はなかなか身長が伸びないし体重も増えない。と思っている。

「終わりだァ」

 傷だらけの血反吐まみれでくたくたになった頃に稽古は終了する。一応自力で立って風呂場に行けるくらいの意識と体力は残っているので、師範はこれでも力加減をコントロールしてくれているらしい。
 風呂から出たら隠に傷の手当てを受ける。
 ちなみに屋敷には風呂が二つあるので、師範もこの時違う風呂で汗を流している。
 昼飯を食べた後は、なんと夕飯まで自由時間だ。師範曰く「鬼殺隊員たるもの、休息も仕事だ」とのことで、俺はいそいそと布団を敷き悠々と昼寝をかます。最近気づいたが、夜に活動することが多い鬼殺隊員にとってこのスケジュールはとても理にかなっている。

「オイ起きろォ」

 日が暮れる頃、師範がこうして起こしてくれる。
 師範は稽古の時は恐ろしい鬼ゴリラだが、それ以外の時は普通だ。ぶっきらぼうだけど面倒見が良くて結構優しい。
 継子になってから任務は必ず師範と一緒で、任務がある時はこのあと着替えてすぐに出発するが、今日は任務が無いので居間でゆっくり夕飯を食べる。誰かと一緒に食事ができるっていうのは幸せなことだと思う。

「今日の夕飯なんですかね」

 長い廊下を歩きながら、俺は師範を見上げて聞いた。

「鯖の味噌煮だとよ」
「鯖の味噌煮!」

 俺の反応を見て師範が笑った。最近よく笑う気がするが、元々よく笑う人なのかもしれない。

「好物か?」
「はい、好きです! 白米によく合いますから」
「そうかい」

 師範はポフと俺の頭に一瞬手を乗せた。たまにされるが、俺はこれが嫌いじゃなかった。師範の手は大きくて暖かくて、触れられると安心するのだ。

「たくさん食えよォ」
「はい。いっぱい食べてデカくなって、いつか師範を見下ろすのが俺の夢です」
「はっ、やってみろォ」

 師範は俺の頭に乗せた手にグッと負荷をかけ、乱暴に離した。その弾みで俺は転びそうになったが、なんとか踏みとどまった。まったく力が強いんだからこの人は。俺はスタスタと先を歩く師範を追いかけた。

 師範は食事をする時の所作がとても綺麗だ。前にそれを言ったら、師範はなんだか恥ずかしそうにして黙ってしまった。意外な反応だったので思わず笑いそうになったが、俺はなんとなくそれはいけないことだと思い誤魔化すように白米を口に掻っ込んだ。
 そんなことを思い出しながら鯖を突っつく。ちらと師範を見れば、やはり所作が綺麗だった。
 自分の口に入る大きさに箸で切れ目を入れるその手つきはやさしく繊細で、まさか「戦闘中に敵に背中見せてんじゃねーよ舐めてんのかテメェ死にてェなら殺してやるよォ」と言いながら可愛い継子の顔目掛けて木刀突き刺してくるゴリラと同一人物には見えない。
 ちなみに俺はその時無事逃げ切れたが、後ろにあった大きな岩は粉々に砕けていた。俺はプルプル震えながら岩に謝った。
 木刀で岩を砕けるゴリラは、鯖にはやさしかった。食べ終えるときちんと両手を合わせ、「ご馳走様」と言う。俺も慌てて残りのおかずを頬張ってご馳走様をした。ちなみに三回くらいおかわりをしたので満腹である。

 どこかでリリリリ……と虫の鳴く声が聞こえる。隠に淹れてもらった茶を飲んでいると、ふいに師範と目が合った。
 師範は何も言わずに俺を見続けるので、俺はどうしていいかわからずとりあえず見つめ返した。たまにこういうことがあるが、その度に俺は師範が何を考えているのかわからなかった。
 師範は俺を見るのに飽きたのか、徐に立ち上がった。

「行くぞォ」

 師範がそう言うので俺は従う。行き先は訓練場だ。

 夕食後の稽古は、昼のそれとは打って変わって、血反吐ではなく爽やかな良い汗が流れる。師範が風の呼吸の型について丁寧に教えてくれて、基礎を固め応用を練習する時間だ。
 今日は、師範が特注で用意したという大きな人形がデンッと何体か置かれていた。斬れと言われたので、俺はとりあえず弐ノ型を繰り出した。

「爪々科戸風」

 弐ノ型は敵を瞬時に四度切り刻む技だが、人形に刃が当たるとガキィンッと金属音が響き、それがゾワワッと体に伝わり俺は思わず怯んだ。

「テメェの弐ノ型はそれ猫パンチだろォ。弐ノ型舐めてんのかァ」

 額に青筋を立てた師範が俺の頭をガッと掴んだ。

「舐めてません! ごめんなさいたたたた!」
「見てみろォ、お前これ……掠っただけじゃねーかァ」
「でも師範、この人形ガキィンッて音しましたよ。鉄でできてますよねこれ、鉄って斬れないですよね」
「いいから斬れェ、口答えすんならぶち殺すぞォ」

 師範は俺の顔を無理矢理自分の方へ向けて凄んだ。シィィィアアアと激しい呼吸音が聞こえる。

 ──やべェこの人、本当に殺る気だ……。

 俺がプルプル震えながら「ひゃいっ」と返事をすると師範は手を離してくれた。
 俺はもう一度、先程より深く呼吸をして同じ弐ノ型を繰り出した。結果、表面を抉ることはできたが斬るまではいかなかった。

「師範……」

 できなくてすみませんと思いながら恐る恐る師範の方を見た。やはり師範は般若のような顔で俺を見ていた。

「チッ、俺がやって見せるから目ん玉かっ開いてよく見てろよォ」
「お願いします!」
「弐ノ型──爪々科戸風」

 パァンっと鼓膜が割れそうなほど大きな破裂音がして、驚いて瞑った目を開いた時には人形は四方に飛び散っていた。

「え」

 ──き、斬ったああああ! すげえ! 師範すげえ! かっけえ!

 俺は興奮してきらきらと目を瞬いた。

「オイ、ちゃんと見てたのかァ?」
「見てました! 師範かっけえっす!」

 師範は片眉を吊り上げて俺を見下ろした。

「ハァ。とにかく、ちゃんとやりゃあ鉄だって斬れる。もっと励めよォ」
「はい、師範!」

 師範のお手本に感銘を受けた俺はそれからニ時間ほど弐ノ型を練習しまくった。甲斐あって、師範のようにバラバラにするまではいかないが鉄人形を斬れるようになった。
 俺はゼェハァと肩を上下させながら、滴る汗を拭った。汗はダラダラと流れ落ち、床に池を作っていた。

「ま、いいんじゃねェか。今日のところは終わりにしてやる」

 師範はそう言ってヒョイっと瓢箪を投げてきた。

「あ、ありがとうございます」

 俺は瓢箪の栓を抜くとがぶがぶと中の水を一気飲みした。
 それから軽く柔軟体操をして、使った筋肉をほぐす。

「風邪ひくからちゃんと汗拭けよォ」

 師範はそう言って今度は手拭いを渡してきた。師範はいつもこうやって俺の世話を焼いてくれる。風邪ひくからなんたらという台詞は、もう耳にタコが出来るほど言われている。師範曰く「風邪は万病のもとだァ」だ。

 居間に行くと、御萩とほうじ茶が用意されていた。
 体を動かしまくって良い汗を流した後の甘い御萩は、本当に美味しいし、糖分が行き渡り心まで癒される気がした。

「はー、うまいですねえ」
「あァ」

 師範は甘い物が好きなようで、甘味を食べている時はいつもより雰囲気が丸くなる。特に御萩を食べている時は目尻が少し下がるので、御萩が一番好きなんだと思う。
 それを口にしたらもう一緒に甘味を食べてくれない気がするので、師範に言ったことはない。

「今日も頑張ったなァ、お前」

 師範が言った。
 滅多に俺を、というか誰のことも褒めない師範の、不意打ちの言葉だった。
 驚いて固まっている俺の頭をやさしく撫でて、師範はフッと微かに笑った。

「お、御萩効果……?」
「はあ?」

 師範は呆れた顔を見せながら、それでも優しい顔をしていた。やっぱり御萩効果な気がする。

 閑話休題。

 風呂も入ったし歯も磨いたし、俺の長い一日もようやく幕を閉じる。
 ふかふかの布団に身を沈め、「はぁ……」と疲れを吐き出すように溜息を零す。

 ──ああ、今にも眠れそう……というか眠りたい……。

 俺はウトウトと夢の中に片足を突っ込んだ。

「オイ、入るぞォ」

 襖の向こうから師範の声が聞こえた。俺は、ああそういえばと思い出して、覇気のない声で「どうぞ」と言った。するとスススッと襖が開いて師範が部屋に入ってきた。

 師範は俺の横に腰を下ろして、静かに息を吐いた。
 俺は重たい瞼を頑張って押し開いて、師範を見上げた。白地に藍色の千筋が入った浴衣は爽やかで、よく似合っている。隊服の時と違って前がきちんと閉じられていて、太い鎖骨だけが目立っていた。
 目が合うと、師範は「眠いかァ」と言った。前髪を梳かされる。くすぐったい。しかしなにかを言う気力すらなく、もう半分とっぷりと眠気に囚われている俺はただじっとされるがままでいた。
 師範は目を細めて静かに俺を見ていた。なにを考えているのかはわからないが、嫌じゃなかった。師範の指はごつごつと硬くてかさついているけれど、暖かくて優しくて、触れられると安心するから。

 師範は毎夜、寝る前に俺の部屋に来る。
 その日一日の俺に対してのお小言やつぎの任務の話をする時もあれば、なんてことない天気や季節の話をする時もある。最近は屋敷によく現れる猫の話が多い。
 そして話が終わると、師範は俺を寝床に移し眠りにつくまで布団の上からぽんぽんと腹の上を撫で続けるのだ。
 最初の頃は戸惑ったし緊張して寝れたもんじゃなかったが、だんだん慣れてくると話しているうちに眠気が襲ってくるようになった。今日のように師範が部屋に入ってきた時にはすでに眠くなっていることもしばしばある。流石に横になったまま出迎えるのは失礼かと思ったが、怒られないのでまぁいいかと思っている。

 師範は俺の髪を触るのに飽きたのか手を離すと、俺の下から布団を引き抜いてふぁさっと綺麗に掛け直した。そしていそいそと端を綺麗に整えてくれた。
 世話焼きだなぁ、と思う。師範は自分の出自のことは話さないし俺も聞かないけど、多分師範は長男で、きっと下に兄弟がいてよく面倒見てたんだろうなって、勝手に想像する。俺は兄弟どころか親もいないから家族のことはよくわからないけど、もしいたらこういう風に面倒見てくれる存在なんだろうなって思う。

「師範……」

 掠れた声で呼ぶと、師範は「なんだァ」と返事した。眠くて頭が回らなくて、言葉が出てこない。でもなんだかいつもより甘えたい気分になって、なんとなく師範はそれを受け入れてくれる自信があって、俺は布団から手を出して言った。

「手、つないでてください」

 師範は目を見開いて固まった。気まずい沈黙が流れる。

 ──やべ、ちょっと甘えすぎたかな……。

「あ、やっぱり」

 嘘です──そう言おうとした時、師範が「ちょっと待ってろォ」と言って立ち上がった。
 師範は部屋の隅の灯りを消した。欄間から差し込む月明かりが青白く部屋を照らすが、師範の表情は見えないほど暗くなった。
 師範は俺の側に腰を落ち着かせると、布団の中に隠した俺の手を探して、そっと握った。

「師範の手、いつもあったかいですね」
「……そうかい」

 師範はもう片方の手も添えてくれた。両手で閉じ込められた安心感で、どっと眠くなった。

「すみません……おれ、ねむくて……」

 師範はフッと小さく笑って、「あァ」と言った。

「おやすみなさい……」
「おやすみ」

 物凄く優しい声だった。いつもこのくらい優しくてもいいのになんて思ったけど、そういえば刀を握っていない時は師範は基本優しい。俺はいつもそれに甘えている。俺も何か師範にしてあげられることはないだろうか。

「ナマエ」

 師範に呼ばれた気がする。でももうかなり意識は遠のいていて、喉の使い方がわからないから返事もできない。

 掌を揉まれたり、指の間を撫でられたり、甲の血管をなぞられたりしている、気がする。ゆっくり丁寧に触られて、少しくすぐったいけどなんか気持ちいい。師範の大きな手に食べられているみたいだ。
 手首まで侵食されたかと思えば、何か柔らかい感触が手の付け根に当たった。それは何度か繰り返されて、そのうちに俺は完全に意識を手放した。

 朝起きた時、師範はいなかった。いつものことだ。
 俺は眠りにつく直前の記憶はすっかり無くなっていて、いつ布団に入ったのかも覚えていなかった。




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