20140703
今年もまた実り多き一年であったと、僭越ながらも感じました。新しく来たる一年に訪れる全ての事柄を受け止め、さらに精進していきたいと存じます。暑熱耐えがたき時節、どうかご自愛専一にお過ごしください。

流れるように動き回っていた筆がぴたり止まる。きんぱく、はどういう字だったか。
ミルダは眉間を一度ぐっと押さえてから、手紙と硯箱を丁寧にどかして、辞書や手紙のマナーについて書かれた本が所狭しと置かれた机の上に指を渡らせる。

最近ようやくほんの少し日本語の美しさを理解できるようになったものの、似通った形、同じ読み、そして少しの文字の違いで全く変わってくる意味、無限とも思えるほどの漢字や言葉選び、それらがミルダに苦手意識を植え付けるのは当然と言っても過言ではなかった。

そんなミルダを知ってか知らずか彼はいつも「自分に手紙を寄越す時は普段使う言語で構わない」と言う。軍に関することであればその言葉におおいに甘えるかもしれないが、一年に一度だけ、自分を拾い、もう一度この世で過ごすための命を与えてくれた感謝を伝えるときくらいは、彼の愛する彼の母国の言葉で気持ちを伝えたかった。

とはいえ、未だに本に頼らなければ稚拙なものになってしまうし、それ以前に文法や文字を間違えたりもする。慣れない縦書きに、慣れない筆と墨。胸ポケットには普段愛用しているボールペンだって入っているが、こうして下手くそな手紙を出す度に「少し字がうまくなった」だとか「言葉の選び方が絶妙だ」だとか、彼の返事には批判も添削もなく、褒めるところを見つけてはひたすら甘い言葉をかけてくれる。それがどうしようもなく嬉しくて、誇らしくて、苦手な丸みを帯びた文字を使ってしまうというところもあった。

ミルダは辞書から見つけ出した謹白と言う文字をゆっくりと綴り、最愛の人が自分を救い出してくれた日付と、最愛の人がくれた自分の名前を書き、筆を置いた。黒がじわりじわりと滲みながらも乾いてゆく様を見つめながらそっと立ち上がる。封筒と、彼が少しでも気に入るようにと手作りした文香のある引き出しへと向かおうとしたとき、顔に何かを受けた。


「へぶっ」

「ミルダ!おたんじょうびおめでとうございます! ……これであってる?」

「言葉は正しいですけれど投げるなんて言語道断です! しかも顔に向かって……ミルダ、大丈夫?」

「ふぁい……」


鼻をさすりながら投げつけられたものを見てみると紫色の花束だった。月子の馬鹿力のせいか自分が顔で受けたせいか少し花びらが散らばってしまっているが、色鮮やかでありながら寄せては引いていく海の波のように繊細な姿は、ただただ美しい。しかし未だに事態が掴みきれず、その花束を拾って月子に返そうとするが、マリアが前に立ち、いつもの笑みを浮かべながらやんわりと押し戻す。


「先日ね、とある人たちの会話であなたの誕生日が今日だと知りましたの。ですからそれは細やかではありますが私たちからの誕生日プレゼントと言うわけです」

「そのリボンはなんと月子さん特製の宝石製!すげえだろ!」


言われて触ってみると、花を束ねている緑のリボンは確かに硬く、花束を持ち直してみてもそのリボンが揺れることはない。きらきらと輝きを孕んだリボンは花束に負けず劣らず美しく思えるが、床に落ちたにも関わらず傷ひとつないそれが、もしも先ほどの投擲で顔に当たっていたのなら。辿り着いてしまった答えをミルダは首を緩く振って吹き飛ばす。そこへ月子の楽しそうな声が続く。


「間違ってもそれ売って儲けようとか捨てようなんて思うなよ、ほいほい手放そうもんなら……ってこんな話はめでたい日にするもんじゃねえよな」


からからと実に明るく、そして楽しそうに言い放ってくれたが、そんなものを永遠に自分に背負わせようというのか。月子という名の悪魔の恐ろしさに涙を滲ませながら頼りなくお礼を言ったが、月子はその様子を見てひたすらに笑うだけだった。
ぐっと涙を拭って今度はマリアの方へ身体を向ける。


「マリアさんも、素敵なお花をありがとうであります」

「ふふ、今年も幸多き一年でありますように。天の使いとしての言葉ではなく、心からそう願っております」

「もう、もう十分すぎるくらいに幸せであります」


花束に顔をうずめて、月子への恐怖ではなく二人の優しさによって溢れだした涙を隠す。

あとでもう一度筆を握ろうと思う。書きたいこと、伝えたいことが増えてしまった。友人ができたこと、その友人がこの世界の誰よりも優しくて誰よりも心強いこと、誰よりも大切だということ、目一杯大切にしてもらっていること。友人の名も、姿も、正体すらも言うことはできないが、文香の代わりにこの鮮やかな立浪草を添えて、少しだけ、自慢がしたい。




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