翡翠の瞳が忙しなく動き回る。初めに視線が止まったのは赤を基調とした軍服に身を包む女。まずいと言わんばかりに紅茶の注がれたカップを口から離し、唇に残った余韻も感じたくないのか自身のハンカチで拭った。そして膝に乗せていたソーサーとともにカップを乱雑にテーブルへと戻すと、がちゃりと大きな音が立つ。しかしそれに反応する人物はいない。ヨモが気に入らないことがあれば荒い手を使う人間であることも、それは日々の生活の細やかなことにも適用されることも、紅茶やアンティークなどに厳しい目を持っていることも知っていたからだ。
それでもアンジェは頬を膨らませてカップを乱雑に扱ったらヨモを咎める。ヨモが持っているものよりは安いとはいえ、このカップはアンジェがアンジェ自身の金で買ったものなのだ。
「ヨモちゃん、カップをそんな風に扱っちゃ、めっ」
しかし言葉を吐き出した後に後悔した。情報部隊で多くの情報を処理し、多くの人間を引っ張っているヨモは、自分よりもよほど頭が回るのだ。
「これ、アントナが淹れたでしょう、最悪の味だわ。ストレートティーなんだからブロークン・オレンジペコの抽出時間は四分でいいのよ。あと沸騰した熱湯で入れなさい。それからこのカップも最悪。どこで探してきたらこんなにセンスが悪いのを見つけて来られるのか教えてほしいくらいね、ただでさえまずい紅茶がさらにまずくなるわ」
ただ一言に返ってきた多くの言葉にぽかんとしているアンジェをヨモの青い目が鋭く射止めるが、すぐにヨモはもう言うことはないとばかりに顔を背けてしまった。アンジェは特に反論することなく、苦笑を浮かべて黙り込む。これ以上何か言えば自分なりにお気に入りのこのカップを、ヨモの短鞭が粉々にしてしまうかもしれない。さらに言えば、お気に入りの真白くふわふわとしたラグマットや、買い換えたばかりのソファーを飛散した紅茶が汚せば、その被害に泣くのは自分なのだ。
ヨモのいつも通りの態度には打つ手がない。何せ上官の言うことすら命令しないでの一言で跳ね除けて聞きやしないのだから。
ふと部屋の入り口を見やるが大きく白い扉は動くどころかノックの音すら響かせない。ため息をついて視線を戻そうとすると、同じように退屈そうな顔をした男が視界に入る。室内で延々と治療にあたったり、ひたすらに薬を作ったり整理したりしているだけの時間に慣れている自分よりも、外で暴れまわっては周りのものを蹴散らすことが仕事のイッサはこの時間が地獄のように感じることだろう。
「つまらなそうだね、イッサちゃん」
「敵国の奴が来たところでどうせお帰りいただくってのに四人も必要あんのかよ」
「ううん……どうだろうね、アンジェには分かんないや。上の意向だもん」
「上もなに考えてんだか」
普段はこの四人の中で一番に騒がしいイッサが舌打ちをしたきり黙れば、静寂が部屋を支配する。無口なスタニスラスは今日も変わらず一言も発さないまま、目を閉じて腕を組んでいる。この状態の彼に何を話しかけても全て聞こえていないことは日々の付き合いから承知しているので、特に何も話しかけることもなく、アンジェも大きな飴を舐めることに集中することにした。
持ち歩ける懐中時計を重宝しているために時計のないアンジェの部屋に、ヨモが足を組み変える瞬間の微かなヒールの音や、イッサが身じろぎしたときの衣擦れの音、アンジェが懐中時計を確認した音など、普段は聞き取れないくらいに小さな音が嫌というほど響く。
しばらくしてその静寂をかき消したのはスタニスラスが紙にペンを走らせる音だった。それを机に置き、三人のほうへと滑らせる。興味を示さないヨモとイッサの代わりにアンジェがソファーに沈み込んだ体を起こし、スタニスラスが書いたメモを取る。
「『こちらからお客様をもてなそう』?へえ、スタンちゃんにしては積極的だね」
アンジェが不思議そうな表情をスタニスラスに向けると彼は自身の得物であるワイヤーと、赤い目を光らせ、すっと音もなく立ち上がった。スタニスラスの言葉にようやく興味がわいたのかヨモとイッサも嬉しそうに席を立った。アンジェが二人へと目を向けると、ヨモは怪しく笑いながら短鞭を撫で、イッサは嬉しそうな表情で指や首を鳴らしていた。こういう表情を見る度に二人は犬か狼のようだとアンジェは常日頃から思う。GOサインさえ出ればすぐにでも餌の喉元にかぶりつくだろう。とは言えどスタニスラスの案をすぐに否定しない時点で自分も同じなのだ。三人から視線をずらし、窓の外を見て、アンジェは楽しそうに笑った。
いがみあおうと、罵倒しあおうと、自分たちは結局、同じ穴の狢なのだ。