欲望の捌け口を買い漁る人間たちの集う場で、彼と出会った。開始早々に跳ね上がってゆく金額に、この目が珍しいのならあの研究所へ訪れればいいじゃないか、こんな目がほしいのならお前の目を抉ってこの色をした球体をねじこんでやろうか、と口に出せはしない言葉を口の中に貯めて、ただ、槌の音が鳴るのを待った。ぱらぱらと声はまばらになり、もうないか、これ以上はないか、と仮面の男が嬉しそうに槌を振り上げた瞬間、その値段の倍以上の数が若い男の声によって紡がれた。圧倒的な金額に誰もが黙り込み、私の行く先は決まった。性欲の塊か、もしくは頭のいかれた研究者か。どちらにせよ輝かしい未来など存在しえない、初めから分かっていた。その男がかつり、と足音を響かせ、私の目の前に立つ。首だけ動かして顔を見た瞬間、時が止まったような感覚に陥った。
軽率に触れては汚してしまうと思えてしまうほどの美しさが、そこにはあった。幾重にも重ねられた鍵を解き、大きな鳥籠の中に這い蹲る私の頬を撫でた柔らかく冷たい手のひらが、汚れた私を写す透き通った真紅の双眸が、ほころびの一つすらない服が、彼を形作る全てが、畏怖を抱くほどに美しくて。凛とした声で、立てるか、と問われたとき、限界まで衰弱していたわたしが立てるはずがないのに、立てますと答えてしまい、呆れたように笑われたことを、神は私を見放してなどいなかったのだと確信したことを、今でも鮮明に覚えている。
彼はベルトランと名乗り、私をリジーと呼んだ。様々なことを覚えるたびに私を褒め、私は自分に課せられた仕事以外にも、彼のことを深く理解できるように、多くの知識を蓄えた。彼の所属する軍のこと、この国のこと、それからチェスや彼の好きな小説、そして、人の肉をいかにしておいしく調理するか。人を殺めることにも、彼が人を食べることにも抵抗はなかった。むしろ私が調理したものを彼が食べ尽くすことが嬉しかった。そして今日もまた彼の前に皿を置く。
▽
「ベルトラン様、一昨日のお言葉の通り、本日はグリルにしておきました」
ありがとう、と微笑むと蕩けるような笑みを返す女に、内心では愚かしいと思っている。籠の中の鳥を新たな籠に移しただけだというのに、どうしてか僕を、自由へと導いてくれた人間だと思い込んでいる。僕の一言で全てを理解し、よく働き、下心か企みでもあるのかと思えるくらいに従順で、盲信的で、そして聡い。僕がここでグラスを揺らせば何も言わずに水を注ぐだろうし、フォークとナイフを置けばすぐに下げて新しいものを持ってくるだろうし、顔をあげれば今皿に乗っているのはどういった人間で、どういった調理をしたのかを事細かに語るだろう。
この女の眼の色は、アンジェ・アントナに関係した研究によって変わっただけで価値などありはしないことも知っていたし、幼い頃から研究所に監禁されていたせいでたいした教養もないことも知っていた。そもそもあそこまで値段を跳ね上がらせたのは、手に入る直前に取り上げることで、欲望に目が眩んで自分の持ち合わせよりも上の金額を叫んだあの男の、悔しそうで、それでいて諦めきれないが諦めなくてはいけない絶望を表した顔を見たかっただけであって、別段この価値のない両目を欲しかったわけじゃない。けれど言葉にしなくても分かるほどに、僕に一目で心を奪われ、全ての感情を委ねたこの女を使えるまで使ってみるかという、ちょっとした遊び心のようなものが生まれた。別にいらなくなれば腹におさめればいいだけのことだ。しかし僕の食事すらうっとりと見つめ、慕い、少し褒めてやるだけで僕にのめり込み、学び、そうしていま、自らの手で射止めたものを自らの手で料理として出したこの女自身に、あの時紡いだ値段以上の価値を見出すのは容易なことだった。
「あんたは凄いよ、正直使えないと思っていたのに、今やこの屋敷になくてはならない存在だ」
「あ、ありがたきお言葉……!」
ああ、反吐がでる。躾けることも、飴と鞭を使い分けることも、主人の務めだ。それでも心にも思っていないことを口にするのは、どうしてこうも気分が悪いのだろう。瞳の奥の嫌悪を隠すようにすっと目を細めて唇で弧を描いた。
「これからも僕のために頑張ってよ、リジー」