if幽冥の丹花
(もし竜胆編後もミルダが生きていたらのifベルトラン編)


ユオで前々から噂になっていた、帝都に住まう吸血鬼の存在が、今までより頻繁に囁かれるようになった。女でも男でも子供でも関係なしに、どんな者でも食い散らかし、あるいは心臓を射止められ、または一部だけ奪われる。ただの吸血鬼と呼ぶには残忍で、冷酷で、そこに美徳など欠片も感じられないものだった。
月子曰く、最近強そうなやつが現れなかったから出会える時が待ち遠しい。
マリア曰く、どうして私の管轄区にばかりこういったことが起きるのでしょう。
理由は違えど己の武器をちらつかせる二人に挟まれたミルダは恐怖に涙しながらも、少しずつ真相を探っていった。そうして偶然ではあるが、情報を掴み、辿り着いたのがここ、ロワール家という貴族が持つ、大きな館だった。

月子とマリアが横にいるから扉を開けた途端に何かがあっても、とまで考えは及ぶものの、吸血鬼なんて、しかも帝都中を騒がす凶悪犯で、今まで尻尾すら掴めなかった頭脳も持ち合わせる恐るべし相手。ノックをしても返事はなく、呼び鈴らしきものも見当たらない。息を大きく吸って、ぐっと扉を押し開ける。

「きゃあ! ごめんなさい! まだお掃除が終わって……あら?」

よっぽど驚いたのか箒を床に落として、ぱちくりと目を瞬かせる少女に、同じ仕草を返してしまう。しかし少女はミルダを見るとほわりと花を咲かせたように微笑む。柔らかそうな金髪が揺れ、空の青を閉じ込めたような瞳が細められる。メイド服を着ているもののこの壮大な屋敷に仕えるだけあって口元に手をやる仕草にすら気品が溢れる。

「驚きました。バティストさんがもう帰って来ちゃったのかって」
「は、え、あ、あの、バティストさん……?」
「はい! 俺が帰ってくるまでに玄関ホールを綺麗にしておけって……」

そのバティストさんとやらの真似なのだろうか、目を見開いて、きゅっと目尻を指で釣り上げたあとに笑い出す。それでも少女は愛らしく、上品さを保っている。屋敷に住むものとしての気品として考えるなら当たり前なのに、どうしてか、彼女には不釣り合いに見える。不思議な感覚にミルダは眉を潜めるが、終わっていないなんて言ったら怒られちゃう、と言いながら箒を拾い上げた少女が、はたと再びミルダを見やったときの、冷たい目にそっと自らの得物に手をやった。

「ところでどなたでしょう? 本日はお客様が来る予定なんて聞いていません」
「えっ、あ、あー、えっと、その」

ミルダがもごもごと言葉を探していると月子がずいと前に躍り出て、腰に手を当て、人差指を突き出し、堂々たる姿勢で言い放つ。

「侵入者だ」

ああ、なんて余計なことを。マリアと共に思わず頭を抱えるが、届いた言葉は帰ってこない。少女の先ほどまでの優しい微笑みは消え失せ、手にしていたものも箒からナイフへと変わってしまった。できるなら吸血鬼だけを相手にしたかったが仕方ないのかと銃を構えると、後ろから何かが風を切る。それを撃ち落とし、そっと振り向くと、片手に本を、片手に懐中時計を持った執事が、ミルダと月子の間をすり抜け、少女へと向かう。

「俺は買い物に三分ほど余計に時間をかけた」
「へえ、バティストさんにしては珍しいのね」

少女が表情と目つきを変えないまま、ミルダたちを睨みつけたままそう返すと、バティストと呼ばれた執事が、小ぶりとはいえ分厚い本の角を少女に振りかざした。

「いっ、たあい! 何するのよ!」
「三分も多めにかけてやったのにまだ掃除が終わっていないようだからな」

一人一分でできるだろ、と、ちらりとこちらを見るバティストの瞳は無感動で、ミルダだけでなく月子やマリアも身構えたが、その様子を見ることもなく、屋敷の奥へと行ってしまった。そこでふと気付く。彼らは、二人が見えていることに。

「あーあ、やっぱり怒られちゃった。あとでもっともっとお説教されるんだろうなあ」

でも、と続け、冷たい目をしたまま、口角を釣り上げた。

「ここで三人とも片付けたらお説教なしかも」

次の瞬間、目の前に輝く銀色が視界に入り、とっさにミルダはしゃがみこみ、銃を突きつける。それでも少女は楽しそうにナイフを振り下ろすばかりだった。







「ベルトラン様」
「なに?侵入者を片付けた報告?」
「いえ、侵入者の一人がベルトラン様と同じ軍に所属し、あとの二人は人ならざる者であるというご報告でございます」
「ふうん……まああれだけ好き勝手やってたら嗅ぎつけるよね」

ふわりと揺れる毛先を細い指で捉え、黒い髪から覗く赤が瞼の奥へと隠される。ことりと置かれたグラスに注がれたワインのようなそれは紛れもない昨日殺した女の血で、彼がついさっきまで口にしていたステーキのようなそれは紛れもなくさきほど殺した男の腕だった。人間とはかけ離れたその美しい容姿も、人間の血肉を自らに取り込んでしまうその食事も、吸血鬼と称するに値するだろう。バティストがベルトランの言葉を待ちながらナイフとフォークが揃えて置かれた皿をさげようとすると、ようやく目を開いたベルトランが緩やかな動きでその腕を掴む。

「待って、やっぱり今日は全部食べようかな」
「かしこまりました」
「人間の味を覚えておかないと悪魔と天使の味と比べられないしね」

人ならざる者としか言っていないのに、なぜ知っているのか。バティストはそれを聞くことなく、頭を下げて部屋から出て行った。食事を見られるのは気分が良くないとの言いつけだ。そうして扉の前から離れるバティストは歩きながら思惑する。まずは、そうだ、扱いづらいあの料理人をその気にさせなくては。ベルトラン様のためと言えば動くだろうがそれでは自分と彼女の上下関係を示したことにはならない。玄関ホールが荒れる音を聞きながら、厨房へと向かった。




ALICE+