締め切ったはずの美術室で、風がふわりと頬を撫でた。換気扇以外に、足音のようなものも聞こえるような気がする。誰かが入ってきたのかもしれない。しかしここは本来使われていない美術室。工具も何もなく、ひび割れたタイルの床と、乱雑に散らばった紙、机にこびりついた絵の具、ただ静かな場所で絵を描きたいだけの自分しか使いそうにない、この薄汚れた場所に何の用だというのだ。
いや、正直、入ってきた理由はどうだっていい。気が散るからとにかく早く出て行ってほしい。
そう思っていたのだが足音は迷うことなくこちらに向かってくる。しかし素直に相手してやるのも馬鹿らしいので無視して作業を続けよう。そう思ったのだが。
「(……目障りだ)」
入ってきたのは格好も頭も変な女だったらしく、うろちょろと色々な角度から僕の絵を覗き込んでは、ぼそぼそと「凄い」だとか「綺麗」だとか一人で呟く。長く伸びた三つ編みやスカートのフリルがいちいち視界に入りこんで集中出来やしない。
苛立ちが募って集中できない。雑に色を重ね、イーゼルから絵をとってそいつに投げつける。
「邪魔」
「えっ」
「それやるからとっとと出ていけ、邪魔」
そう言い放って、乾燥棚の油絵を取りに向かう。油絵を描き始めればさすがにあっちも出ていくだろうし、僕だってキャンバスだけしか目に入らなくなるだろう。そう思って席に戻るも、女は僕の座っていた椅子の横に自分で椅子を置いて隣を陣取っていた。
「出てけって言ったんだけど」
「あなたは鈴娘が見えるネ!これは運命アル!運命の出会いアル!」
「うるさい」
「あ、ご、ごめんなさいアル……鈴娘は、えっと、みんな見えなくて、だけどあなたは見えるから、その」
「ふうん」
人には見えない存在。普通なら頭がおかしいとしか思えないだろうが、僕には幼いころから見える。大空を羽ばたく羽根を持ち、力を示す角を持ち、中には人間として生活する者もいる。美しく、近くて遠い、そんな存在。だからこいつがその存在であろうと今さらどうにも思わないし、特にこれといった外見的特徴も持たない妖怪であるこいつには興味もない。
「そ、それだけアルカ?」
「どうでもいい」
だからとっとと出て行ってくれ。目でそう訴えるが、その女は表情をぱっと輝いたものに変え、身を乗り出してこちらに顔を近づける。
「あなた素敵な人間さんネ!鈴娘のこと気持ち悪いって言わないアル!利用もしないネ!素敵アル!本当に素敵!」
「うるさい、近い」
「鈴娘決めたヨ!あなたと添い遂げるアル!」
「ほざくな、離れろ」
額を手で押し返すも「触れることもできるのか」と喜ばせる結果になって、ああ、もう、騒がしい。