「皇くん……」
「桃李、またなの?」
誰もいない教室で本を読んでいると、目を赤くした桃李が控えめに私の前の席に腰掛けた。本を閉じて机の上に置き、桃李と向き合うが、桃李は目元をこするばかりで何も言い出さない。いつもそうだ。そうして、目元が腫れるからと、その行動を咎めるように、私がハンカチを差し出すと、ごめんと申し訳なさそうに眉を下げて、目元を拭う。そうしてありがとうと微笑んで、ようやく話し始める。今日もいつもと同じだった。
「あのね、やっぱり、つらいなって。恋って、つらいね」
「……そう」
その一言を、桃李が言うなんて、ずるい。私だって桃李と同じくらいつらくて、今にも、許されない言葉を、封印したはずの二文字を、言ってしまいそうなのに。それを言ったらもう戻れないから、それを告げたらもう止まれないから、ずっと秘めているのに。
「あの人ね、大人っぽい人が好きなんだって。年上とか、落ち着いている子とか、そういう人」
「桃李には、少し難しいかもね」
素直に言ってやると、そうだね、と言って小さく笑った。他のやつなら大丈夫だって、無責任な言葉を吐くのだろうけど、私は桃李の望む答えを分かっているから。してほしいことも、欲しい言葉も、全部分かるから。分かるから、表面上の、薄っぺらい言葉しか伝えられない。ずっと昔からくすぶり続けるこの想いは、抑えなくちゃいけないものなのに。それでも、いつも泣きながら私のもとへ来る桃李を見ると、本当はこの想いを自分の胸の内にしまい込むことこそが間違っているんじゃないかと思わせられる。間違いなんてない、今までだってこうすることで、ずっと上手くいってたのに。
「ねえ、桃李」
「なあに?」
「悲しくて泣いちゃうくらいなら、やめなよ」
いつもと同じで、進展なんかない。それは桃李がここに来た時から分かっていたし、桃李には少し悪いが、それは私にとっては好都合なことだった。だからこのままでよかった。このままずっとこの関係が続けば、理由はどうであれ、桃李と一緒に居られる。そう思っていたのに、それが一番の方法だったはずなのに、私が吐き出した本音に戸惑った顔を見せた桃李を前にしてもなお、一度出てしまった言葉は止まってくれなかった。
「報われない、叶わない、届かない、どれだけ変わっても見てくれない、たくさん尽くしても気付いてくれない、本気で愛してたって分かってくれない、必死で追いかけたって待ってくれない。 ……そんな恋になにがあるの? なにが残る? 彼はそうまでして想うべきひと?」
「皇、くん?」
「つらいなら、諦めなよ」
いつの間にか桃李の涙は止まっていて、私の声の残響が消えると、教室内はいやに静まり返った。私と桃李の、重なることのない息遣いだけが聞こえる。桃李がいま、どんな顔をしているか、どんな思いで私を見ているかなんて、見なくたって分かる。ずっと、何百年ものあいだ、恋をしているから。きっと、眉間にしわを寄せて、唇を噛んで、涙を浮かべながらも、自分の考えを全部を抑えつけて、少しだけ微笑んでるんだ。ゆっくり顔をあげて桃李を見る。ほら、やっぱり。
彼女の一番の理解者は私なのに、誰よりも彼女のそばにいるのは私なのに、彼女を一番深く愛しているのは私だけなのに、振り向いてくれない。無性に腹が立って、それでも嫌いになれなくて、何度でも恋に落ちるくらいに大好きで、だから悲しくて。目まぐるしく渦巻くどす黒い感情が、桃李のほうへと手を伸ばそうとするけれど、溜息と一緒に空中に置き去りにする。
「……本当は分かってるよ。諦められるなら諦めてるって。諦められないから苦しいって。分かってるんだ。分かってる、分かってるから、つらい」
声が震えて、鼻の奥がつんとする。触れようと思えば触れられる距離にいるのに、桃李の目に溜まった涙を拭えるくらいに近くにいるのに、それをするべきなのは私じゃない。そうしていいのは、私じゃない。ごめん、と溢して、自分の鞄を持って立ち上がる。今日はもう、何も考えられそうにない。桃李がすんと鼻を鳴らす音が聞こえて、あの頃が蘇って、私まで泣きそうだ。いっそのこと、好きと言ってしまえたらいいのに。あいつから桃李を奪ってしまえたらいいのに。