「どなた?」
柔和な笑みを浮かべて振り返るマリアに、両手で番傘を包み込むように握りしめ、前髪を斜めに切りそろえた少女が首をかしげた。顔を傾けたことによりその前髪によって半分ほど隠されていた右目が露わになるが、特に異変もなく、今度はマリアが首をかしげる番だった。
「気付いてたんだ、すごいねえ」
「あらあら、褒めないでくださいまし。照れてしまいますわ」
頬に手をあてながら思ってもいない言葉を紡ぎつつ、部屋の隅から隅まで見回すも、まだ、現れた彼女とは違う違和感が室内にある。この部屋に足を踏み入れた瞬間、確かに強い視線を感じた。しかしそれは、こちらから手を出さなければあちらも手を出さないような、控えめで消極的なものでもあった。ただ、マリアには、そういう遠回しで何も解決しない、前にも後ろにも進まないやり方はどうにも気に食わず、かまをかけるように空に問いかけて、覚悟していたというのになんとも呆気なく一人の妖怪をあぶり出した。こうも気持ちよく引っかかってくれたものの、違和感が拭えない。ねっとりと纏わりつくような視線はいつまでも自分の身体に注がれている。乱雑に散らばる鏡に映る自分からの視線ではなく、目の前にある大きく開かれた二つの目でもない。
「おひとり?」
「どう見える?」
「ええと、そうね……」
手のひらを広げ、前に突き出す。マリアの視界から有明の顔が消えたため、おそらく有明からもマリアの顔は見えないだろう。それを分かっていながらもマリアは天の使いというに相応しい甘い笑みを浮かべた。
「おふたり、かしら」
手のひらから幹ともとれるほどに太い枝が生えるように現れ、有明の顔に向かって突き進む。先端は鋭利で、もしも有明に刺されば聖女の施しとは似つかわない結果が待っていることは明白だった。しかしマリアも有明も、焦る様子も驕る様子も見せず、これから起こることを分かっているかのようだった。
「本当にすごいねえ、大正解」
有明の顔の寸前で枝は二つに割れ、力なく落ちた。有明を守ったものは短刀だったが、当の本人は番傘から手を放しておらず、きゃらきゃらと笑うばかりだった。穢れきっているからこその純粋、マリアはぼんやりと憎らしい悪魔の言葉を思いだしていた。悪意に浸かった善意、正義だと信じるがゆえの過ち。彼女のあまりに歪みのない笑みを見て、なんとなく理解が出来たような気がする。マリアにはなぜ彼女がいま笑っているかを理解することはできないし、彼女もきっとなぜマリアがここでこうして自分たちに敵意を向けているか理解できてはいないだろう。お互いに交じり合うことのない存在。月子と出会ったときに強烈に感じた不快感が蘇るように湧き上がる。しかし、代わりにこの部屋に入った時から根付いていた違和感は、彼女の足元に目を向けたことでほどけていった。
「雲外鏡ね」
床に横たわる一つの鏡の中で、もう一人の妖怪が目を細めていた。