不知火くんと不知火さん
 ぴんと伸ばされた爪先を彩る翠をぼんやりと見つめながら掬い上げた銀糸に唇を落とし、視線を上げれば、夜を閉じ込めたような瞳が細められる。小さく鳴ったリップノイズと不知火の柔らかい笑い声が、お互いの表向きの顔と、本来の関係をかき消して、甘さを孕んだ空間を作りだす。

「ルチオ、まるで王子様みたい」
「不知火こそ、一国の姫のようだ」

 くだらないことをして、二人で眉を下げて笑いあって、別れの時間が来るのを待つだけ。別れる瞬間には、生まれた場所を恨んで、熱を分けたこの手をほどいて、振り向くことなく背中を離すだけ。二人の関係を続けるには何もかもに制約があって、限界があって、"終わり"がある。それも目と鼻の先に。
 お互いの年齢や仕事、交友関係、家族のこと、それどころか本名すら何も知らない。知っていることといえば敵国の人間であるということだけ。気付いたときには好きあっていて、漏れ出たかのように自然と愛の言葉を囁き合っていた。どうしようもなく惹かれてしまった。愛してしまった。ここまでずるずると続けてきた関係は、今さら目を背けることができるものではなく、かといって今になって向き合うにはあまり遅すぎた。脆くて、曖昧で、どちらかが断とうと思えばあっさりと千切れてしまうほどの繋がりだった。それでも、未来を求めてしまった。

「ルチオは、とても綺麗な瞳を持っているね」
「不知火の黒もいいと思う。俺の国じゃ黒なんて見ないよ」
「そうなの? でもね、私の国はみーんな黒いのよ。違いがなくて面白くないよ」
「面白さは分からないけど不知火の黒は夜空みたいで綺麗だ、すごく」
「……ふふ。ルチオがそう言うなら、いいかな」

 照れたようにはにかんで目を閉じた彼女の頬に手をそえると期待しているかのように体をこちらに傾ける。それに応えて頬に軽くキスをすると、目を開けて、拗ねたように頬を膨らませる。

「ほっぺたじゃ、いや」
「悪かった」

 片手で膨らんだ頬を掴むとぷすっと音を立てて空気が抜けていく。抜けきったところで今度は唇を重ねると、彼女は嬉しそうに笑った。同じ国に生まれればよかった。もっと自由があればよかった。もっと幼くて、分別のないときに出会えたらよかった。そうしたら何もかもを手放して、二人で生きていけたのかもしれない。こんなにもお互いに愛し合っているのに、この愛が叶うことはない。こんなにも相手のことを想っているのに、結ばれることはない。

「時間になっちゃうね」
「また会える」
「うん」
「また、会おう」
「……うん、またね」

 重ねた手がゆっくりと離れる。熱いくらいだった手が急速に冷えていくのが分かる。また、なんて言ったが、お互いにまた会える確証なんかない。それでもただ、会えることを信じたいが故の約束だった。




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