緒姫は愛が重い
こちの心を映すこの川は、ひどく汚く濁っておりました。理由はただひとつ、そう、かの糸切り刀の彼でした。もう、外の世界など見たくないと心から思っておりました。しかし、外の世界に出なければ出ないほど、思考の時間が増え、川底で、とてもながい間、多くのことを考えることとなりました。絡まった糸をほどくように、散らばった花弁をかき集めるように、自らの深いところまで理解できるように、様々なことを思い浮かべては、ああでもない、こうでもない、と。その末、あれは彼ではなく、こちがいけなかったのだと、ようやくわかりました。あの方こそが運命の人なのだと自分勝手な妄執に囚われ、結ばれる未来ばかりを思い浮かべていたことが、胸に広がるこの傷を作り出した原因であるのだと、正しい答えに辿りつくことができました。しかしこればかりは信じていただきたいのです。彼を愛したこの気持ちに偽りなどなく、その想いを抱きしめ、飲み込んだからこそ、こちは、そちへの愛情を孕んでしまったのです。
章月が作り出した夢魔楼の天守にて二人きり。しかしそれを甘美な時間だとは思いません。……いえ、素直に申しますと、そう、考えてはおります。本当は、とてもいびつで、邪な気持ちを、いま、このとき、そちへと抱いております。ただ、それを抑えていないと、こちの溢れんばかりの愛で押しつぶそうしてしまいそうで。甘美な一時だと認めてしまうと、そちを、すぐにでも殺してしまいそうで。そちの優しい声が、暖かい手のひらが、控えめな笑みを浮かべるそのかんばせが、愛しくて、愛おしくて、仕方がないのです。そう、そちが、こちをここまで狂わせるのです。。

「ミルダ殿、覚えてらっしゃるでしょうか。こちは緒と申します」

聞こえておりますか、聞こえてないでしょうね。寝息も立てずに唇を青白くしていらっしゃるそちには、何も。二度目の出会いがこんな不躾なもので申し訳ありません。謝罪はそちが目覚めたら、新たな世界が幕をあげたら、そのときにいたしましょう。丁寧に、丁重に。ですからどうか、お許しください。

「こちは、初めて暖かさというものを知りました。それがたとえ、そちがこちをあやかしだと知らぬとも、雪が溶かされ花開くような、そんな喜びを覚えてしまったのです」

もう少しで、あと一歩で、そちはこちと同じ存在になれるのです。苦しみも悲しみも寂しさもない、誰もが望むような、欲望を解放する喜びと、思いのままに生きられる快感で満ち満ちた世界。そちはもうすぐ、その扉を開くことができるのです。こちの力によって。

「そちは天の使いにも悪の魔にも釣り合わない。こちと永遠を、美しいままで生きるべきお方なのです」

そっとと手を頬に滑らせてみれば、白い頬に蒼の鱗が映えて、こちが正しいのだと確信する。ああ、永遠にそちと結ばれる、なんと素晴らしいことでしょうか。その世界の創造は誰にも邪魔はさせない。あの忌々しい天使や悪魔はもちろんのこと、有明や彩雲や、章月にも。誰もいない、二人だけの、楽園。

「お慕い申し上げております、ミルダ殿」

存じておりますか、この、愛を。




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