ぶつ、ぶつ、と数度鈍い音をたて、あたりに鮮血が散った。海風の背にはアザレアの帽子から放たれたナイフが無数に突き刺さっており、アザレアはその様子を無表情で見つめている。最後の一本が海風の体を貫くと、その勢いに押されるように体は傾いていった。それを支えるかのように差し出されたアザレアの手は、倒れる海風を案じたものではなく、追い打ちをかけるかのように海風の胸元を抉るためのものだった。
「げ、真顔で契約違反かよ」
「さすがもっとも悪魔らしいと称された悪魔ですこと」
月子とマリアの言葉など聞こえていないかのように、海風の体から引き抜いた手のひらにおさまっていた心臓にかぶりついた。アザレアの手から逃れんと抵抗するかように弱々しく跳ねる心臓は、ものの数口ですべてアザレアの喉を通り、ゆっくりと下へ下へと落ちて行った。口元にべったりとこびりついた血を舌で舐め取り、漏れ出た白くほのかな光すらはくりと食いつぶす。
倒れた海風には見向きもせず、顔にかかった赤を落とすように頭を振って、顔を上げた。海風が好きだ、きれいだ、と評価し続けたそのアングレサイトは、いつものように狂気を孕んでいた。
「……で、どうだよ。なんも知らないまま契約結ばされて、なんも知らないまま契約破棄された可哀想なワーウルフのお味は」
「微妙、食わないほうがマシだった」
たいした魔力もねえ、と不満そうに告げるアザレアに、顔をゆがめたマリアが軽蔑したかのような視線を向ける。その視線に気が付いたのか、アザレアはマリアの足元に向けて口の中に溜まった血を吐き出した。マリアはそれをあえて避けずに、スカートの裾をかすかに汚した赤を、悲しそうに、そして少し悔しそうに、ただ見つめるばかりだった。そんなマリアを見たアザレアは満足そうに鼻で笑うと、笑みを消す。忙しなく動いていた黄金の眼は、二人の姿をとらえた瞬間にぴたりと止まる。視線をそのままに、ゆったりとした仕草で帽子に添えられた指に力がこもる。
「俺さ、嫌いなものがあんだよね。まっずい飯と、俺の邪魔してくる奴と、それから人間」
アザレアが殺意を秘めた指先を二人へと向ける。
「人間そのものもそうだけど、人間に入れ込む甘ちゃんってさ……なんでかな、なんなんだろうな、俺にもよくわかんねえんだよなあ……でも、笑っちゃうくらい腹が立つっていうか、ああ、そうだ、うん、そう」
自分の中で納得したのか数度頷いたアザレアは、帽子に手を入れた。海風を地に伏せさせた凶器が再び顔を覗かせるかと思えば、アザレアが取り出したのは、月子が持つものと同じ、白銀のフォークとナイフだった。
「反吐が出るんだよなあ!」
大きな一閃が月子とマリアを分かつ。一瞬の判断で空に逃げたことが正解だった。アザレアが武器を叩きつけた瞬間、乗っていた幽霊船のメインマストが大きく傾いた。あまりの力に月子とマリアは目を見開いたが、アザレアにとってはただ軽く振るっただけのようで、涼しい顔をしている。
「なんだよあいつ……化け物かっての!」
「枷があるというのにあの威力……もしかしたらオリジナルの使い手よりも強いのではなくて?」
「うっせえ!だったらお得意の花で何とかして……ん?」
「この音は……」
アザレアが次の一手を繰り出すよりも、自分たちが次の行動を決定するよりも先に、マストが歪む音以外の音を拾い、その場から離れる。そんな二人を甲板から見上げていたアザレアはすぐに状況を把握した。
「ああ、 創世者の裁きか。随分早いな。観測者の亡霊でも乗ってんのか?」
その瞬間、アザレアの体を光が貫いた。轟音と、まばゆい光と、熱風が交じり合う。絶対的な裁き。誰もが逃れられない死。肉体や魂だけではなく、存在ごと消し飛ばす光の槍。月子とマリアは終わったと言わんばかりに力を抜くが、視界が晴れたその後に、驚愕の表情を浮かべることとなる。
「うわ、まじかよ……」
「まさか……無傷なんて、そんな……」
裁きを受けたはずのアザレアが、嘲笑うように舌なめずりをする。あの光の槍をその身に受けて、身体の崩壊も魂の消失もなく、ただそこに立つ。それだけのことが、たったそれだけの光景が、どれだけ異常なことかを知っている月子とマリアはただ息を飲むことしか出来ない。
「なあ、早く来いよ。お前たちを殺さないと収まんねえんだわ」