瞬く間の幕間2


1度目は諦めるしかなかった。黄海の最中で落とした足と腕は帰ってこない。猟尸師としての道は閉ざされ、それまでの朱氏としての生活を諦めざるを得なかった。生国である爽に戻ったがあまりの荒廃に直ぐに隣国浅州国へうつった。
浅の王は優しいことで有名で、難民にも区別なく施しを与えていたから、人付き合いもでき、要領も悪くなかったので仕事にもありつけたし、生活にはさほど困らなかった。
そんな彼が浅で生活することしばらくして、相麟が王の選定に入ったことを告げる麒麟旗があげられ、多くのものが黄海に通じる令乾門のある浅へと集った。彼は令乾門からほど近いところにある宿で仕事をしていたので、自然と昇山者と交わることとなり、その経緯で、もともと黄海の旅に詳しいことを頼られ、剛氏として雇われた。
再び黄海の地に戻ることになろうとは、誰が思ったか。初心者を連れての旅が容易でないことくらい分かっていたというのに、なぜ彼は再び戻ってきてしまったのだろうか。
ひとり、ふたりと昇山者は妖魔に襲われ姿を消していく中で、彼はふと、それでもその数がいつもより少ないことに気づいた。

―鵬雛が、いる。

同じような護衛の任についたものたちが、口々にそう呟いた。現に妖魔の襲撃は想定したより遥かに少ない。―鵬雛、つまり、王となるべき人物が、この昇山者の中にいる。こうした旅を鵬翼に乗る、といい、危険は格段に減少するのだ。逆をいえば、鵬雛を失くしたら、それまで楽をしていた分のツケが一気にまわってくる。だが誰が王であるかなど、今から選別してもらわなければ知るはずもなかった。だからまさか、ただの護衛として雇われただけの自分が選ばれるなど夢にも思わなかったのだ。
長い黄海の旅を終え、ようやく蓬山公にお目にかかれ、天啓が下るのは自分であるかを待つ昇山者とちがい、彼は専ら帰りのことばかりを考えていた。もし彼が護衛した人物が王であったなら、その心配もなくなるのだが、恐らくそれはないだろう。これだけの昇山者がいて、たった1人しか王に選ばれないのだ。確率は低い。そして彼は2度と黄海に足を踏み入れることがなくなるだろう。

「お前のおかげでここまでこれた!感謝する」
「はは、どういたしまして。じゃあ俺はここらでゆっくりしてるから、また声かけてくれよ」

久しぶりに妖魔と対峙して、動かない手足をこれほどまでに情けなく思ったことはなかった。まあ、人生で一度、麒麟をお目にかかれるなら、その情けない思いをしてまできたかいはあっただろう。苦笑とともに顔をあげ、それに比例して周囲の人間が叩頭している様を見て、呆気にとられた。
その視線の先に金色にひかる長い髪を見つけ、目を見開く。この世に金の色を持つのは麒麟だけだった。優美に歩く姿から、正しく麒麟であることがうかがいしれる。

―夢、なのだろうか。

その麒麟が、真っ直ぐ己のもとへと向かってきた。身を隠すように背を向けた瞬間、凛とした声がかけられた。

「あなたから王気を感じる。―あなたが王だ」

情けない己を叱咤するように響く声に、あの時、彼はなんと答えたのだろう。

「天命を持って主上にお迎えする。御前を離れず、詔命に背かず、忠誠を誓うと制約申し上げる」

麒麟は孤高不況の生き物で、決して膝を折る獣ではないが、己の主である王にだけは叩頭することができた。
目の前の麒麟は、間違いなく、彼にむかって膝をおり、そのつま先に額づく。触れた箇所から淡い光がもれても、彼は他人事のように感じていた。

「……許す、と」
「待ってくれ、!」
「その呆けた面をなんとかして許すといえ」

麒麟とは慈悲の塊だと聞いていたから、さぞ温厚で優しい性格をしているものだと思っていた。今の言葉が、目の前の麒麟からこぼれるその瞬間まで。

「お、俺は、昇山者じゃない」
「昇山者であろうがなかろうが、あなたが王であることは天の意志だ。天啓はくだった」
「無理だ、」
「やる前から無理だ、と?」

顔をあげた相麟はほのかに口角をあげる。まだ見目若く、自分と同じか、少し上くらいの少女だったので、その表情はどこか挑発的な印象を受けた。
腕と足があれば。喜んで受けたろう。自信をもって、己が王であると言えたろう。
しかし、彼の腕も足ももはや意味を成さない。欠陥だらけの体をもって、国を作ることが出来ようか。―彼には、無理だと思ったのだ。

「お前が麒麟なのか?」

しかし、彼の気持ちに反して相麟は鋭い視線でその迷いを憂いを断ち切る。
そう。今、己がここにいるのは彼女が己の迷いを断ち切ったからだ。言わば 一度の挫折から立ち直らせてくれたのは、彼女だった。
正殿に引っ込んでしまえば、王の許可なく立ち入ることはできない。たとえ、台輔であったとしても。
ひとつため息をついて腰をあげる。悩む前に、己には半身がいるのだ。とても厳しく、そして誰よりも国を思う麒麟が。何のために天は王と麒麟を選ぶのか。―1人では足りないからだ。己には相麟が、そして相麟には己が必要なのだ。

「まーた、怒られそうだなぁ」

先ほどのことを思い浮かべ、苦笑する。
随分無理をして仁重殿に下がらせたのだから、怒りがつのっているに違いない。あの時の判断を間違えたつもりはないが、詫びて、もう1度どうすべきか相談してみよう。自分には立派な麒麟がいてくれる。自分を王へと据えた、立派な麒麟が。
1人で国を作るのではない。
彼女とともに作っていくのだから。