あなたは影すら美しい


――主上、おやめください。他国の強さを恨んでどうなります。我が国が豊かであればそれで民は憂うことはございませぬ。


再三、諫言を呈しても、最後まで耳を傾けることはしなかった。それほどまでに他国―強いていえば隣国の法国を羨んだのだ。乖麟にはそれが理解できなかった。他国は他国、自国は自国。他国のことを羨むばかりに自国の民を傷つけていいわけない。何度も何度も繰り返し、諫言した。おやめください。どうか国民に慈悲をお与えください。最後には、会うことすらしてもらえなくなった。人々の悲鳴が耳元で響くようで、仁重殿に引きこもって、ただ王がせめてもの慈悲を与えてくれることを祈った。これが、乖麟の罪であるとひしひし感じていた。そうこうしているうちに自身の体に妙な紋様が浮かび、ひどい倦怠感に襲われるようになった。王は失道しているのだと気づいたときには、もう遅かった。


「乖麟、どうしたの」


頬をそっと撫でられ、顔をあげれば、随分と心配そうに自分を見やる黄金の瞳に射抜かれ、乖麟はなんだかひどく泣きたくなってしまった。彼女の瞳に映る自分は以前と全く変わらないのに、以前のままのような心根ではいられなかった。
どれほど愚王であろうとも、一度目の王は代えがたいものだ。たとえ、今の王がどれほど善政を敷いたとしても、その順番は変えられない。それを聞いたときは、そんなことありはしないと嘲笑した。民を虐げ苦しめる王は、たとえ自分が初めて仕えた王だとしても許せるものではない。だから決して、もし自分が選んだ王が斃れてもう一度別の王を選んだとしても、懐かしく思ったり愛おしく思ったりしないと思い込んでいた。事実、この女性を王に据えて、そう思おうと何度決意したことか。そうしなければ、善政を敷いてくれる彼女に申し訳が立たない。国を荒らした王を民は憎んでいるのだから。民意を現す麒麟が、いつまでも前王に心をゆだねるなどあってはならないのだ。
それを見据えられて、心臓が早く脈を打つ。何でもないと言えば、おそらく敏い王のことだから放っておいてくれることだろう。何か言いたげに、こちらを見ながらでも。


「……主上、私は、…何度も忘れようと…それでも……ずっと残っていて…」


拙く発せられた言葉に、乖王―ヤヨイは目を伏せる。あまり自分の意見を言う麒麟ではなかった。それは麒麟というものの性なのかもしれないが、何分他国を知る機会がないため予測でしかない。もしかしたら溌剌とした麒麟も存在するやもしれない。だが自国の麒麟である乖麟はどちらかといえば遠慮深く、あまり自ら何かを言うことはしなかった。もちろん、以前から知ってはいたが、何分公の場でしか関わりがなかったし、その公の場でもただ穏やかな笑みを浮かべて主である乖王に付き従い、言われた言葉に対して頷く姿しか見たことがなかった。その麒麟が、今、己に対して何かを告げようとしている。それは彼女自身の成長であることは大前提だが、それ以上にヤヨイに対する敬の深さ、つまりは信頼に比例した。


「嗚呼…もしかしたら」


先の乖王は、自分の色が黒であることを大変喜ばれた。そのことを思い出し、乖麟は深く沈み込む。黒麒麟だ、と官吏たちも民衆もひどく喜んだ。だが結局、王は民を虐げ、国は荒れた。何も、残らなかった。


「もしかしたらこの色は、吉事などではなくて、不幸の象徴なのかもしれません、だとしたらこの国は私のせいで…」
「乖麟―ヤツデ、決してそのようなことはないわ。だから自らを責めることを言ってはいけません。前にも言ったでしょう」


溜息とともに洩らされた言葉に、乖麟―ヤツデの肩がふるえる。彼女を王に据えて数か月経った頃、乖王は自分に名を与えてくれた。それは麒麟にとってはこの上ない喜びだった。名を与えてもらうこと、それはすなわち主上に愛されている証だと、誇れるのだ。だからだろうか、なぜか乖麟と号ではなく、与えられた名でよばれるとくすぐったくもあり、諌められている気もする。
ややあって、ヤツデは小さく俯いた。背格好はそこまで小さくないが、なぜか彼女の持つ雰囲気が彼女を小さく見せていたのだ。


「ですが、私が」
「長い歴史の中、確かにあなたのような黒を持つ麒麟はあまり数多くない。その実、ほとんどが金の鬣を持っているそうね。だから稀に生まれてくる黒麒は大変珍しく、吉事ありだったかしら。逆に白麒麟は、歴史を白にしてしまうから疎まれる―それがなに?」
「え…?」
「だってそうじゃない。確かお隣の法国の鳳麟は白麒麟ね。でも歴史を白くするどころか、あの国の治世は史上最長となってる。ほら、関係ないでしょう。ようは私たち、王の力量によるのよ。そしてあなたたちの補佐力。だから色なんて関係ないの。どんな色を持とうが、あなたはあなたよ。天がこの櫂州国のためお恵みくだされたただ一人の麒麟。そして今は私の半身。あなたがどんな色をしてようがかまいはしません。たとえ白であっても金であっても、ヤツデ、あなたという存在はこの国に代えがたいものなのだから」


頬を両手で包まれ、ぐっと上を向かされた。―初めて会ったときから美しく輝きを放つ金の瞳。そしてこちらも、様々な色を持つ人たちからすれば珍しいと言われる黒く靡く御髪。天に選ばれるほどの王意を持ち合わせた人材、人を安寧に導く才能。自分という存在を必ず見つけてくれるお方。どれをとっても、やはり、先の王よりも秀でている。贔屓目ではなく、確実に。


「もう少ししたら私のすべきことは少なくなって、国も落ち着くわ。そうしたらあとは官吏に任せてゆっくりできる。あなたのことをたくさん話してちょうだい。無理に先王のことを忘れる必要なんかないし、悪く思おうなどと思わないで。あなたにとって特別なのは承知しているわ。そういったことも少しずつ、理解していきたいのよ。だってあなたは私の半身なのだから」


頬を撫でる手の皺が、逆に心地よかった。温度も、速度も、すべてが彼女には心地よかった。ヤツデは頷いた。そうして、もう一度頷いた。さらにもう一度。何度も、何度でも、その言葉を噛みしめるように頷いた。


「失礼します。お話中のところ、申し訳ございません。主上、冢宰がお呼びです」


女御が深々と頭を下げ、仁重殿へと入室してきた。恐らく正寝にいなかったため、台輔の居住区であるこちらにいると踏んできたのだろう。ヤヨイは女御に今行くわと伝え、ヤツデを振り返った。


「あなた一人が背負うことではない。一緒に乗り越えていくことなの。そのために私が在るのだと思いなさい」


皺を伸ばして、王は笑う。それは金の光によく似ていた。ヤツデは返事をし、頭をさげた。


(あのお方が王だから頭をさげれるといわけではないのだろう。あのお方だから、きっと、私は頭を下げられるのだ)


ヤヨイが立ち去り、女御がさがるのを見送り、ヤツデは窓際に立つ。国が荒れ、枯れ果てた木々が、また芽吹きはじめたのを横目で見て、目を閉じた。



「天帝に感謝を申し上げます。良き王を我が国に、そして、私にお恵みくだされたこと」



麒麟にとって一度目の王はやっぱり忘れがたいし特別っていうお話と黒麒麟であることに引け目を感じるお話。