願わくば花の下にて


王が豪華な暮らしができるのは、それだけ重たい責任を担うからだ。与えられるのは富や権力ばかりでなく、国民1人1人の尊い命もまた同様に。王の言葉一つで国の行く末が決まるのだから。
千が生まれたとき、すでにこの国は傾きかけていた。数年ののち王は倒れ、国は荒れた。裕福な商人の家で生まれ育った千は、おそらく同じ小学にいた誰よりも恵まれていたのだろうと思う。作物の実りが少なくとも食事にありつけ、絹の値が高騰しても誰よりも綺麗な召し物を着れた。蝶よ花よと可愛がられ、愛されて育ったのだからその分世間知らずなところも多々あったが、自分が他よりも恵まれて生活していることに気づかないほど無知ではなかった。いつか父に尋ねたことがあった。なぜ自分たちだけ良い暮らしができるのか。なぜ食にありつけ、絹をまとって、護衛に守られるのか。父は至極当たり前のように、義務を果たしているからだと千に告げた。それだけの責任を負い、義務を果たしているから贅沢ができるのだと。それなら何も義務を果たしていない自分には贅沢をする権利はないのだと、数日間断食したこともあり母にこっ酷く叱られたこともあった。もはや遠い日の記憶である。
千の生活は王になったからといってそこまで変わるものではなかった。食事に着物、装飾品や寝台、すべてにおいて驚くくらい豪華なものではあったが、今までだって贅沢してきたのだから感覚としては変わらない。おそらく千は人として生きるものたちの中でいえば恵まれているのだろう。今までは父に背負われて責任を負うこともなく生きてきたがこれからは千自身が責任を負わねばならない。父が負っていたもの以上のものを。


「それは分かるけど私はもっと質素な暮らしで満足できるよ。それこそこんな煌びやかな装いなんて似合わないし」


垂れ下がった裾を持ち上げ、千はひとつため息話を落とした。これでもかと髪の毛にはたくさんの宝を模した装飾品が飾られ、ぐらりと重くふらつく。それでもまだ飾り付けようとする女官たちの手をくぐり抜け、自分を見守る少女のもとへ歩み寄る。少女は目を丸くしてから、口を開いた。


「でも主上、朝議にはきちんとした格好でと冢宰が」
「これじゃあお人形になった気分だよ」


憂鬱そうに息を吐く千に、少女―泉燐は少しだけわらった。その顔を見れば千も嬉しくなる。笑顔は万物にも変え難い素敵な贈り物なのだ。


「あ」
「どうしたんですか、主上?」
「そういえば初勅をって言われてたんだった」


王になってはや数ヶ月が過ぎたが、執務になれる事ばかりに追われていたのですっかり忘れていたのだ。


「うーん、どんなのがいいのか分からないや」
「無理に決めなくてもいいって言ってましたよ」
「そうなの?」


泉燐の言葉に顔をあげた千はくるりと振り返り女官たちに問いかける。彼女たちの中には先代や、その前から王宮に勤めているものもいたので分からないことがあれば気軽に聞けた。


「ええ、そうですね。結局最後まで初勅を出さなかった方もいらっしゃるそうですよ」
「そうなんだ!」


ほっと肩の荷が下りた気分だったが、女官は言葉を続けた。


「だからといって主上もそうなさるおつもりではないですよね?」
「だめなの?」
「必ずしも出さなければならないものではありませんが、主上がこの国の王となられて初めて出す勅令なのですから。この国をどうされたいのか、それを示す道にもなるそうですよ」


千の性格が高じてか、女官たちはあまり遠慮することなく話をするようになった。特に千はそれを気に留めることはない。
ちらり、とその言葉を受け、目の前の泉燐へと視線をおくる。


「泉燐―加子もそう思う?出した方がいい?」
「ええと……主上がお決めになられることだから加子はどちらでもいいと思います」
「王様って難しいなぁ」
「でも主上」
「うん?」
「加子が選んだ主上に間違いはないから、なにを選んでもきっとこの国のためになるはずです」


目の前の少女はわらう。
加子という名は契を交わしたあとに贈った。少女は心から喜んでくれた。名を与えられた麒麟は愛されているのだとわらった。この笑顔を大切だなぁと守りたいなぁと思ったのだ。
泉燐から長く伸びる髪も色も美しさも気高さも彼女が麒麟である何よりの証。そんな彼女が自分を王と据えた。柔らかな笑顔のもとで。


「……ねえ加子、私はあなたの笑顔が大好きだよ」


だから千も笑えるのだ。目の前の少女が笑って傍にいてくれるから。背中を押してくれるから。王として玉座に座れる。
不意に暖かい風がふいて、心の臓が激しく叩かれる。千は思わず立ち上がって、泉燐の手を取った。急な出来事に泉燐は戸惑いを隠せず首を傾げるが―。


「決めた。私、決めたよ、加子!あなたのおかげで今決まったの!」
「え?な、何がですか?」
「決めたの!」


にっこりと笑って取った手を上下に振ると、釣られてか泉燐も次第に笑顔を浮かべた。その笑顔を見て、更に千もわらう。

翌日、浅州国に初勅が出された。

それはある意味では史上初めての勅令であったので、浅州国は笑い種として他国にすら揶揄されることもあったものの、浅州国が480年も続いている背景には、この時の王と麒麟の笑顔が刻まれていたからかもしれない。


「万人は笑顔で暮らすこと。心身ともに健康で、助けを必要とするものには率先して手を貸せる。そんな国であれば、誰もが笑顔で暮らせるはずだから。私はまだ力不足だから国情を把握しきれていない。たくさんの国民が貧困に喘いで、苦しんでいるはず。まだまだ時間はかかると思うけど、皆の力を貸して欲しい。無力な私を支えて欲しい。少しでも多くの人が笑って暮らせるようになって、最後は皆が笑って暮らせる国にするために。拙い話だけれど、これが私の思いのすべてです。これを持って初勅とします!」