たったひとつ

好きか、嫌いかと言われれば、それはもちろん好きの一択だ。
それでも辻崎司が神峰律に「好きだ」と言えないのは、彼の無駄に高いプライドと羞恥心が強固に阻んでいるからだった。
手を繋ぐとか、キスをするだとか、恋人同士のABCと称されるものを隅から隅まで完全制覇しているにも関わらず、最も初歩的なものは未だに行えていないままである。
今日は、明日こそは、いつかは、と甘えて先延ばしにして何度季節が巡ったかしれない。
それでも神峰律という男はたいして不満そうな顔もしなければ、強請ることもなかったので、司も重要視してこなかったのだ。
ずっと一緒にいるのだから。きっと、なんでもない日常のなかで、自然に言える日が来るだろうと楽観して。
「ずっと幸せに暮らしました」なんて優しい常套句が、自分にも適応されるのだと勘違いしていた。
「残り一年です」
ポイントカードの有効期限を言うように、神峰律は自分の余命を告白した。
悲しいくらいに淡々として、呆気なくサラリと言うものだから、司はカレンダーの日付を確認してしまった。
四月一日はとうに過ぎている。
「なに言ってるんだ、律?」
「言ったでしょう、俺の余命の話です」
「……冗談ならもう少し面白いことを言えよ、作家だろ」
「冗談だと思いますか」
司は律を見返す。感情の読みにくい彼の顔も、長く一緒にいることで随分と読み取れるようになった。
いつもと変わらぬ顔の、けれど確かに何か決意めいたものをたたえる律の瞳に、司は冷たいものが背を滑り降りて行くのを感じた。
ひゅ、と喉がおかしな音をたてて、口にしようとした問いかけは形にならない。律がやたらと穏やかに微笑んだ。
「司さん、俺が死ぬまえに『好き』って言ってくれませんか」
ささやかな二文字の言葉。
それが神峰律が辻崎司に望む、最初で最後の願いだった。