白旗が上げられない

辻崎司が神峰律と暮らし始めてから、もうすぐ一年になる。
相変わらず神峰は可愛くない年下で、どんなこともそれなりにこなして、司を右に左と変則的に振り回してくれるから、毎日気持ちが騒がしくて仕方がなかった。
だが、彼と一緒にいると不思議と落ち着くし、振り回されるのも悪くないと思い始めている司がいた。
そんな感想を正直に伝えれば何を言われるか分かったものではないので、自重して胸の奥にしまっておくことにしている。
それはさておき。
いつでも自分のペースで、どうにも敵わないと諦めかけている彼も、無防備な瞬間があったりする。
作家を生業としている神峰は、他作家と同様に常に締め切りと戦っているのだが、その前後は流石の神峰先生でも気が張り詰めるらしい。
ぼやーっと眠そうな顔をしていたり、側頭部に可愛い寝癖をつけたままフラフラしていたり、投げた質問にちょっとズレた回答をしたり。
それから、リビングや書斎でうたた寝をしていることもある。
司は、書斎の机に突っ伏して寝る神峰を見下ろして、ゆるむ口元をなんとか自制しようと頑張っていた。
神峰だって人間なのだから睡眠はとるものだし、彼の寝姿なんてこの一年で見慣れたはずなのだが、締切日直後の安堵から眠る彼を見れるのは司のちょっとした楽しみである。
神峰は言動がアレなだけで「黙っていれば可愛いな」と密かに思い続けているのだ。
これも正直に告白すれば何を言われるか分かったものではないので、自身に緘口令を強いている司である。
特に今回は作品の在り方に悩んでいたようで、眉間にシワを寄せて机に向かう神峰ばかり見てきたが、それを乗り越えた安心感と達成感は並ではないようだ。いつもよりもさらに穏やかで幼い寝顔に見えた。
司はそっと神峰の髪に指を通す。
幼い頃に妹にしてやっていたのを思い出しながら、褒めるように頭を撫でた。
これくらいでは起きないと分かっていても、手つきは慎重になる。もし今神峰が起きても、緩みきった顔を即座に元に戻せる自信がない。
なら触れるのをやめればいいのだが、その欲を押し込められる自信もなかった。つもりもなかった。
髪がさらさらと指の間を流れていくのが気持ちいい。
意外と長い睫毛が頬の上に影を作るのが綺麗だと思う。
「…………好きだ」
そうでなければこんなこと思ったりしない。
静かな室内にその一言が滲んで、思わず口にしてしまったことに気付いて、司の首から頬、頬から耳にまで熱が伝播する。
「こいつ、寝てても俺のこと振り回すつもりなのか?」
事実なのだから仕方がないと、そろそろ降参するべきなのかもしれない。
司は神峰の髪に口づけを落とすと、名残惜しい気持ちで彼の髪から指を離した。