AGOGIK

舞台袖の薄暗い空間で、息を潜めるように待つ時間は、心地よくて落ち着かない。
壁一枚へだてた向こうには、多くの観客の息遣いがあり、煌煌と照らされた白板のステージに踏み出す瞬間を思うと、目眩がしそうだ。
「緊張してるんですか?」
無遠慮な声に、司は視線を上げる。
壇上に立ち慣れていないはずの脚本家は、いつもの平坦な表情で司を見下ろしていた。
名のしれた映画賞の授賞式であれば、ある程度狼狽した顔が見られるだろうという司の予想は、あっさりと裏切られた。
脚本家・神峰律は家でテレビを見ているときも、二人で買い物に出かけるときも、大体こんな顔である。
「するわけないだろ」
「いつもみたいにボロ出さなきゃいいんですけどね」
「それはこっちのセリフだ、馬鹿」
「言いましたね?」
こういう意地の悪いことを言うときでさえ、神峰の表情に変化はない。
本気で挑発しにかかっているのか、他愛のないじゃれ合いとして発言しているのか、司はいつも判断に迷う。
ふと、視線を下げた先で、神峰の手がきゅっと拳を作っているのが見えた。
だから司は、この応酬が〈他愛のないじゃれあい〉であると結論づけた。
「エスコートしてやるよ。スポットライトの下は初めてだろう?」
神峰の挑発に乗るように軽やかに、司は手を差し伸べる。
素の自分で言うにはあまりにも照れくさくて、昨年やったドラマの役を演じるつもりで言った。
「逆じゃないですか?」
神峰は相変わらず、感情の起伏が感じられない顔で司を見返す。
こういう時くらい素直に年下の顔をしてくれないものかと、司は思う。
口にすれば御託を並べられることは明白なので、提言は飲み込んでおいた。
「今日はお前が主役だろ」
「司さんもでしょう」
「別に、俺は初めてじゃない」
「うわ、そういうこと言います?」
「事実だからな」
「司さんってこういうフォーマルな格好してると違和感しかないですね」
「お前はオフの俺を見慣れ過ぎなんだよ」
「でも似合ってます」
司は目を見開く。
一瞬、会場の喧騒が遠のいて静寂に落ちた。
神峰律は〈こういうこと〉を言うときもフラットだ。
歯を磨いているときも、撮影現場で演者達を見守るときにも、大体こんな顔しかしない。
だから、司はいつも反応が遅れる。
「は……?」
脳が言われたことを理解する。ぶわりと熱が顔に広がって、司は条件反射に顔を背けた。
頭上で笑う気配に、もう一度神峰を見るタイミングを失った。
「もうボロ出してどうするんです」
「うるさい、出させたのお前だろ」
「エスコートしてくれるんでしょう?」
「するか、もう勝手に一人で行け」
いつも気付けば神峰のペースだ。
司はそれが腹立たしくて仕方がなくて、可愛くないと思っていて、けれどこの対話を楽しんでしまうのだから、自嘲するしかなかった。
司が羞恥心を振り切って顔を上げれば、さっきよりも僅かに表情の和らいだ神峰がいた。
「お前、後で説教だからな」
「できるなら、どうぞ」
あぁ、本当に可愛くない。