新人編集は忙しい!

私には好きな人がいる。
片想いといえばそうなるのかもしれないけれど、正しくはこれは恋ではない。
だって好きな人はいつも液晶画面の向こうにいる。
二次元のキャラクターとかではなく、きちんと実在している人間なのだけど、絶対に絶対に、私の手が届かない人なのだ。
だって、彼は「俳優」なんだから。

パンプスでダッシュをキメるのにも慣れ始めた。
学生だった頃には夜九時にテレビの前で正座待機できていたのに、社会人になったとたん、そんな余裕はなくなった。
今シーズンのドラマが始まってから、毎週月曜日はランニングするのが習慣になってしまった。
体力作りなんかじゃない。そんな暇があったら家で寝ていたい。
私が周りの目も気にせず、リクルートスーツで住宅街を駆け抜けるのは、ひとえに趣味のためなのである。
「間に合ったー!!」
鞄もスーツも投げ捨てて、私はテレビの前にスライディングする。
テレビの電源をつけると、今まさに月9ドラマが始まったばかりだった。
「はー、辻崎くん癒しだわ」
画面に映るオシ俳優を眺めて、私は走ってよかったと充足感をかみしめた。
俳優・辻崎司。
整った顔立ちと、よく通る声。日本人なのに薄い色素とすらりと細い体型で、どこか異国の血を感じる彼が、私は大好きで大好きで仕方がない。
俳優なんてこれっぽっちも詳しくなかった私が、この界隈にどっぷりとはまることになってしまった元凶だ。
いや、もちろんいい意味なんだけど。
「録画もするけど、やっぱリアタイに限るよね」
左手にチューハイ、右手にスマホを装備すれば完成だ。
放送中はSNSを見ながら仲間と鑑賞を楽しんで、そのあとは録画していたのを再生してじっくり楽しむ。完璧な布陣である。
月曜の仕事は憂鬱なことが多いけれど、毎週新しいオシの姿をみれることを思うと頑張れるってものだ。
CM中にSNSをチェックしていると、ピコン、という通知音と共に画面にメッセージがポップアップした。
「うわ」
受信した内容に、私は思わず顔をしかめる。
送信主は会社の上司だ。
「『明日は新人研修の一環で、作家の方にお会いしますのでそのつもりで。準備があるので一時間早く集合』って……最悪」
それを言うなら勤務中に言ってくれ!
私は胸中でそう叫んで、「わかりました」とだけ返信してやった。


「遅い」
憂鬱な火曜日。
早朝の満員電車と格闘しつつ、なんとか目的の駅に到着した私を迎えたのは、とてつもなく不機嫌そうな上司だった。
「すみません、この路線使ったことなくて……」
「今日は先生方のところへ行くって言ったよね」
上司は腕時計の文字盤をたたきながら眉根を寄せた。
「説教は帰ってから。とりあえず、時間おしてるから行くよ」
「本当にすみません……あの、今日はどなたにお会いするんでしょうか?」
上司に置いて行かれないように、私は小走りに追いかける。
彼はこちらを振り返らない。相当怒らせてしまったらしい。そりゃそうだ。作家さんも執筆の時間をあけて編集者を待ってくれているんだろうし。
「まずは神峰先生のとこかな。献本を渡す必要があるし、次作の打ち合わせも必要だから、時間がかかると思うんだよね」
「神峰先生……」
「知らないなんてことはないよね?」
「まさか!そんなことないですよ!私も何作か読みましたし!なんか優しい作品が多い方ですよね。前に書いてたドラマの脚本もすごく良かったです」
私はこれ以上彼の機嫌をそこねまいと、必死にアピールする。編集を志して入社したのだから、本はそれなりに読んでいる。当社と関わりのある著名な作家に関しては一通り代表作を読んだつもりだ。
上司が突然ピタリと足を止める。
「脚本?」
不穏な声に、私はさっと青ざめる。
もしかして間違ったことを言ってしまったのだろうか。いやそんなはずはない、辻崎くんが出ていたドラマの脚本だったから、合っている自信がある。
「君、あのドラマ見てたの!?」
上司が目をキラキラさせながら、くい気味に私に寄って来た。
あまりの勢いに、私は彼から半歩遠のく。
「み、見てました!ドラマオリジナルの脚本って当たり外れ大きいですけど……あれは伏線とか、登場人物の心情が凄く細かく描かれていて……すごいなと思ったのでよく覚えてるんです」
「そっか!そうだよね!僕もそう思うんだよ!」
うんうん、君はよく分かってる!!と上司は上機嫌に何度も何度も頷いた。
さっきまでの不機嫌が嘘のようである。
目を輝かせて作家のどこがいいとか、脚本のどこが良かっただとかを語る彼を見て、私はなんだか微笑ましくなってしまった。
推しているものに賛同してもらえるのが嬉しいのは、オタクも編集者も同じなのかもしれない。
もしかすると、自分はこの上司とうまくやっていけるんじゃないだろうか。
「まあ、神峰先生に脚本を勧めたのは僕なんですけどね!いやー自分の慧眼に感服してしまいますよね!」
前言撤回。この人とは無理だ。
「あの、急いだ方がいいんでしたよね……」
私は肩を落として、なんとか先をうながした。


なんとか賞をバンバンとって、作家一本でやっていける人間というのは一握りだ。
だから私は作家に対して裕福なイメージはあまりない。
「さて、あちらが神峰先生のご自宅です」
私は上司の示す建物を見上げて、その認識を改めなければならないかもしれないと思った。
駅から閑静な住宅街に向けて、ゆるやかな坂道をのぼる。庭がきれいに整えられている住宅が目立つのをみるに、生活に余裕のある人々が多く暮らしているのかもしれなかった。
その坂道の上に、真新しいマンションが一棟。それが作家・神峰律の自宅らしい。
「作家さんて、こんなところに住んでらっしゃるんですね」
セキュリティの充実したエントランスホールに足を踏み入れて、私は感嘆の息をついた。
「意外?どんなとこに住んでると思ったの?」
「えぇと、なんかこう、もっと……」
「リーズナブルな感じの所とか?」
「あっ、はい、失礼ですかね」
「いやー、その認識は間違ってないと思うよ。神峰先生は特別だからね」
売れている作家だから、という意味だろうか。
確かに安定した収入を得ていそうではあるが。
上司はカードキーでドアを開錠すると、私をエレベーターの方へうながした。
「なんだか、芸能人が住んでるとこみたい」
実際に芸能人が住んでいるところへお邪魔したことはないが、テレビで見た超人気お笑い芸人の自宅がこんな感じだった気がした。
「先生、遅くなりました」
インターホンを通じて上司が呼びかけると、ほどなくして内側からドアが開けられる。
「おはようございます、神峰先生」
そう呼ばれた家主を見て、私は固まった。
「え、え?あの、神峰先生?ですか?」
失礼とは思いながら、私は先生と呼ばれたその人に問いかける。
神峰律。繊細な心理描写と、穏やかな空気感を表現するのに長けた、作家にして脚本家。
そういう作風だし、女性視点の物語が多いし、名前は律だし、てっきり私は神峰律は女性だとばかり思っていた。
だが、私の目の前にいるのは間違いなく成人男性である。
「そうですけど?」
作家・神峰律は心底不思議そうに首を傾げた。