ミスタと喧嘩する話



「ねえミスタ、冷蔵庫に入れておいた私のケーキ知らない?」

風呂から上がり、髪を乾かしてリビングへと戻ってそのまま流れるように冷蔵庫を開ける。本来そこにあったはずのものがないことに気付いて、同居人──ミスタへと声を掛けた。

「え?あれ名前のケーキなの?」

ソファのある方へと振り返ると、そこにはきょとんとした顔のミスタ。嫌な予感がする。恐る恐る、もう一度問うてみる。

「そうだけど…。知らない?私のケーキ」

「ごめん、食べちゃった」

あっけらかんとした様子のミスタに、私の中でなにかがぷつんと切れた。

「ねえ!なんで勝手に食べちゃうの!?せめて確認してよ!」

「確かに勝手に食べたのは悪かったよ、けど名前くらい書いてくれよ!わからないだろ!」

「名前書いたって食べちゃうでしょミスタ!」

「はあ!?言いがかりだよ!」

「この前だって、あれだけ言ったのに靴下裏返しのままだったじゃん!」

「それは今の話と関係ないだろ!」

「関係ある!ミスタのばか!きらい!」

はっ、として思わず口を閉じる。
ミスタは驚いた様子で目を見開いて、それからひどく傷付いた顔をして俯いてしまった。

「…っ、」

そんなミスタから逃げるように、私は踵を返して早足で玄関へと向かった。



「……はあ」

あれから数十分程経っただろうか。
街灯が点々とした薄暗い公園で、一人ベンチに膝を抱えて座っていた。

流石にあれは言いすぎた。いくらイライラしていたとはいえ、嫌いだなんて思ってもいないことを言ってしまった。外の空気を吸って冷静になった頭で悶々と考える。帰って謝ろう、と座っていたベンチから腰をあげようとしたところで、体が震えていることにようやく気が付いた。

いくら4月だとはいえ、夜は冷える。薄着のまま飛び出して来てしまったのでひどく寒い。ひゅうと不意に風が吹いて、一歩踏み出した姿勢のまま思わず蹲ってしまった。

「さ、さむ…」

かたかたと体が震える。ここからマンションまでそこまで離れてはいないが、この寒さだと正直かなりきつい。ミスタに連絡をしようにも、そのまま飛び出してきてしまったため携帯など持ってきていない。そもそも携帯があったところで連絡に応じてくれるだろうか。どうしたものかと途方に暮れる。
蹲った姿勢のまま膝に顔を埋めたところで、少し遠くから「名前!」と私の名前を呼ぶ声がした。

ゆっくりと顔を上げる。薄暗い中、人影が見えた。
人影は小走りで近付いてきて、その姿が街灯に照らされる。

「……ミスタ」

「っ、よかった……」

心底安堵した表情のミスタがこちらを見下ろしていた。
そのまま彼は私と目線を合わせるようにしゃがんで、それからすごい勢いで抱き着いてきた。

「っ、わ」

思わずしりもちをついて瞬きをする。ぎゅうと締めるような抱擁に思わず小さく呻いた。

「名前、ごめん。言いすぎた」

「…そんな、」

私の方こそごめんなさい。そう口を開くより先に、彼が小さく息を吸う。

「お願いだから、嫌いなんて言わないで…」

彼の声が震えた。泣きそうな声だった。
ああ、私、ほんとうにひどい事を言ってしまった。
私の言葉で、どれだけ彼を傷付けたか。ずきりと胸が痛む。

「…ごめんなさい。ひどい事言っちゃった」

ゆっくりと彼の背に手を回して、力を込める。

「嫌いだなんて思ってない。大好きだよ」

「…ほんとう?」

「ほんと」

「……そっか」

そっと体を離す。よかった、と泣きそうな顔をしながらようやく彼が笑った。そんなミスタの頭をそっと撫でようとして手を伸ばしたが、その手は彼に掴まれてしまった。

「名前、震えてる」

「大丈夫だよ、このくらい」

「大丈夫じゃない。ほら」

彼は着ていたコートを手早く脱いで、そっと私の肩にかけてくれた。少し暖かい。ほっと思わず息をつく。ありがとう、小さく呟いた。

「…帰ろう、名前」

「…うん」

差し伸べられた手を取ると、そのままきゅっと握られる。繋がれた手から彼の温もりを感じて、きゅうと胸の奥が鳴いた。

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