りんかく


行動はいつも思いつきだ。
海に行きたいと思ったから、血影の手を引いた。いつもと違う青のラインの電車に乗って、親には寝過ごしたふりをしてLINEを一言だけ入れる。冷房が全然効かない車内でも、なんとなく手を離すのが惜しくて黙っていたら三駅過ぎてもそのままだった。
五駅目で人もまばらになった頃に、あちらから口を開いた。

「どこに向かってるんだこれ」
「海、なんか行きたくなっちゃった。海嫌い?」
「別に」

がたんごとん、がたんごとん。
ふたりはそれきりだが、相変わらずに繋げた手は解かれないので居心地は悪く無かった。車窓に映る西日の町をぼんやり眺めながら、ただ揺られている。


「ついたー! 海!」

夜に近い時間帯だったためか、浜辺を歩いている人はひとりもいなかった。薄暗い浜辺は月と、少し先のコンビニの光だけが煌々と輝いている。
一足先に灰色の砂を踏めば深く沈みこんで、バランスを崩しそうになりながら海まで駆けた。

「お前は犬か、落ち着け」
「血影も早く! 見てよ海が真っ暗だ!」

呆れた顔をしながら、血影も波打ち際を歩く。お世辞にもあまり綺麗とは言えない海ではあったが、足をつけるなら問題ないぐらいだ。靴が攫われないように片手で持って、黒い波に足を晒す。指の隙間を海水が通り抜けて、また海へと返っていった。

「気持ちー……入らないの?」
「いやいい」

波の果てを眺めながら、ぼんやりと返事を返す。血影はたまに途方もないくらいに遠くを見つめることがあり、それがちょっとだけ寂しかった。スーパーで置いてけぼりになった子供みたいな気持ちになって、そこにあるはずのあたたかい手を必死に探すのだ。
果てには丸い月があった。淡く光るそれは、波に反射して黒い海に輪郭をつける。
色を確かめるように歩けば、捲ったスラックスの端が水を吸って重くなった。

「どこ行くんだ馬鹿」
「わ、」

腕を掴まれる感覚がして驚いてそちらを見れば、眉根を寄せた血影がすぐそばにいた。捲っていないスラックスは太腿辺りまで水を吸って、水面が揺れる度に濡れていく。その数秒は心臓が止まってしまうような心地だった。掴まれた箇所が火傷するほどに熱い。
言葉が見当たらず彼の顔を見つめて、必死に何か言葉を探す。

「……靴は?」
「投げた」
「そっか……。俺さ、いますごいビックリしたかもしれない。こっち来ると思わなかったから」

それに対して血影は何も返さず、掴まれた腕のままに浅瀬の方へと歩く。前を歩く血影の服が随分濡れていたから、自分がいつの間にか深いところを歩いていたことに気がついた。

「パンツ濡れてない?」
「そのうち乾くだろ」
「あっ、濡れたんだね。ごめん」

発言が気に食わなかったらしく、空いた方の手でチョップをくらった。「いたい」と思ってもないことを口にすれば、不機嫌そうに血影は鼻を鳴らした。

「帰りに向こうのコンビニでアイス買って帰ろうよ。パピコ半分とかなんかエモくない?」
「お前の奢りな」
「パンツ濡らしてごめん代?」

そう言って笑うと、血影が突拍子もなく足で海水を思い切り蹴りあげた。水飛沫が制服に降り掛かり、スラックスどころではなくシャツまで濡らしてしまう。文字通りびしょ濡れだった。

「パンツ濡れたか」
「濡れたわ」

くつくつと血影が笑うから、怒る気力もなくなって釣られて一緒に笑ってしまう。「あ、大好きだな」と、生温い海風を受けながら思った。どこか遠くに投げ捨てられた黒いスニーカーを探しに灰色の砂を踏む。月明かりが照らす彼の輪郭を、今ははっきりと捉えることが出来た、気がした。