いぬのしっぽ

細雪要のその後


あれからいくつか経った。細雪が特に注意して見守っていた彼らももう卒業し、日々はある程度の「普通」を取り戻しつつある。

「髪伸びましたね」
言葉の意図を読みかね一瞬体が固まった。
いつも通り、空きコマに葡萄原の元を訪ね紙袋に入ったタッパーを置く。葡萄原の方を見るが、細雪の方を見ていつも通り微笑むだけだ。
「そう……ですかね」
首元に手を伸ばすと襟足が伸び、肩につきそうなほど伸びていた。さらさらと髪を手で梳いて、一束摘む。
初夏の六月、首元にも薄らと汗が浮かぶ午後。窓の風が襟足を攫った。
「でもそろそろ夏が近いので切ります」
「そうなんですか?」
勿体無いとでも言いたげな、驚いたような残念そうな顔をして眉を下げる。
「結構似合うと思うんですけどね。例えば、こう、ゴムで襟足の部分をまとめて」
葡萄原が自身の机の引き出しを探す。そして、紫色の使い捨てのヘアゴムを取り出して細雪に差し出した。
彼はただ優しく善意を口元に浮かべている。ずっと敵わない。細雪要が好きな葡萄原優人はそういう人なのだ。
「はぁ」
溜息と引換にヘアゴムを受け取り、慣れた手つきで襟足部分をまとめる。露わになった首元に涼しい風が吹く。
「ふふ、なんだか犬のしっぽみたいですね」
夏は、髪をまとめると襟足を通る風が涼しくて好きだった。 鏡で見た時に、跳ねた犬の尾みたいになる髪も好きだった。……そんなことを細雪は思い出した。
その微笑んだ顔をただじっと細雪が見つめ返すと、葡萄原は笑みを作り直して「失礼しました」と詫びた。
「来週辺り切りに行きます。お気遣いありがとうございました」
「いえいえ」
葡萄原に背を向けて保健室の扉を閉めた。
一息ついて、恐る恐る首元を触る。
ぴょんとはしゃぐように、まとめた一束が揺れた。