白い塔


持てるだけの食べ物をシーツにくるめて、小さな窓を開けた。今日も代わり映えのない白の景色を目に写して、中庭の香木に飛び移る。
見回りの兵から身を隠しながら、音も立てずに階段を駆け上がった。回廊の端に存在する、忘れ去られた白い塔はふたりの秘密の場所だった。
嫌なおとなも、痛いこともなくて、空は月が丸くて明るい。夜、こうやって抜け出す時間がサリハにとっての自由だった。
重たい扉を開けば、彼は一足先に抜け出してきていたらしくこちらに気づいて手を上げる。
「サリハ」
「今日はなにからたべる?」
ヤファルの前に広げた布からパンや果物が転がる。ヤファルは目を丸くして、リンゴを1つ手に取った。
「ふふ、なんだか魔法の布みたい」
「食べたふりするのも大変なんだ……」
ご飯はいつも三分目ぐらいにして、ヤファルと一緒に食べている。どんな御馳走も、潔癖症な白の部屋で食べると味がしないのだ。
窓の外からの月明かりがふたりを照らしている。柔らかな黄緑の髪が揺れて、リンゴの汁が細い手首を滴った。サリハはそれを横目に、適当なパンを手に取って齧り付く。
「今日のもう痛くないか?」
「うん、大丈夫」
するりと足首に手を這わせれば、生々しい焼け跡が布の隙間から覗いて思わず顔を顰めてしまう。こうして傷だらけの華奢な体へ、毎晩サリハは確認をとる。だが確認する度、傷一つない自分の綺麗な体が疎ましくて、胸が苦しかった。
この傷が痛くないわけない、だがその痛みを知ることはできないのだ。
しきりに体に触れていたからか、ヤファルは一度身を捩って追従から逃れた。代わりにマンゴーを手に持たされ、渋々サリハはそれを口にする。それを鼻で笑いながら、ヤファルは「あのさ」と口を開いた。
「大人になったらサリハと酒を飲みながら、外を見るのが夢なんだ。外、行ってみたい」
ヤファルが突然不思議なことを言うものだから、サリハは視線を彼の顔に移した。
エメラルドグリーンの瞳は、広い広い星空を映していた。それが驚く程に綺麗で、眩しくて、サリハは目を細める。
「外って、街?」
「ううん、もっと遠いところ。広い海の先にはこことは違う国があって、夜はね、もっと街がキラキラしてて綺麗なんだと思う」
海の先のキラキラの街。街より外に行ったことがないサリハにはお酒の味以上に想像がつかずに首を傾げる。それでもきっと、ヤファルが目を輝かせるくらいには魅力があることなのだ。
塔の上から見下ろす街は、薄暗くも漂白されたような白が規則正しく並んでいる。
ここじゃないどこか。現実の外側。この塔ぐらい上から見たら、外も星空ぐらい綺麗なんだろう。多分。
「俺も行きたい、外」
気づいたらサリハもそんな言葉を口にしていた。ヤファルは驚いたように窓の外から、サリハに視線を移して笑う。エメラルドグリーンが自分を映して、何故か酷く安堵した。
「じゃあ一緒に行こ。約束」
ベトベトの小指をゆるく絡ませて、切った。
頬を撫でた潮風の香りが、一瞬鼻を抜けていく。どこかに飛んでいきたいような高揚感のまま、遠く地平線の先の異国を真っ白い脳内にぐちゃぐちゃに描いた。
そっと握ったヤファルの手は、熱を帯びて少しだけ温かかった。