迅悠一
君の手を取らないといけないと思ったんだ


 道路に残った亀裂。
 群がっていた野次馬が日常の風景へと戻ろうとしている頃に彼女は現場に近づいた。建物の壁に手をついて、残された傷跡を見つめる。
 これは先程まで行われていたボーダーによりトリオン兵が討伐されたものだ。
 三門市ではここ数日、街中でゲートが開くようになっていた。不幸中の幸いというべきか運よくボーダー隊員が現場にいたために被害者は一人も出ていなかった。
「まただわ」
 脳内で再生される映像にアキは呟いた。
 過去のものもそうだった。突然現れたトリオン兵。そこには必ずトリオン兵と対峙する隊員以外にもう一人、市民に避難誘導を促す役割を持つ隊員の存在も確認されている。
 二人一組で行動するようにしているのか――私生活でも?
 アキの知る限りボーダーは防衛任務時以外は一般人同様普通の生活を送っているはずだ。常に二人で行動する程私生活においても仲良しである可能性も……否定できない。しかし突然現れた敵に対しての冷静で正確な対応を見ているとまるでそこに起こることが分かっていたように見えるのだ。
 仮にそうだとすればどうして事前に周囲への注意喚起を起こさないのか。
 考えられるのはボーダーが知っていることを相手に悟らせないためだ。
 しかしボーダーが完璧に対処してしまっているためどんな鈍感な者でも自分たちの情報が洩れていると考えるだろう。そして原因を探るはずだ。
(それをボーダーは待っている?)
 犯人は現場に戻ってくる。
 推理小説の一文にあった気がする。
 まさかそんなはずは……
「こんなところでどうしたの?」
 知らない声がした。その声は明らかにアキに向けられたものだ。
 一瞬飛び上がった心臓を抑えつける。息を吐くのを忘れてアキはゆっくりと振り返った。
 初めて見る顔だ。記憶を遡ってみるけど引っかかるものは何もない。ただ彼の腕にあるボーダーの証を見て、肝が冷えた。
 何も悪いことなんてしてない。だから堂々とすればいい。そう思うのにできないのは生い立ちのせいだった。
 アキの育ちはこちら側であるが生まれはあちら側。いわゆる近界民だ。
 第一次大規模侵攻時の市民の想いを知っているからこそ考えてしまう自分の立ち位置。
 自分がこちら側に立っていてもそれをこの国の人間が受け入れてくれるとは考え難い。
 特にボーダーは近界民から市民を守るためにある組織だ。彼等が掲げる志を考えるとアキにとって最悪でしかない。
(顔に出ていないはず)
 自分はただの市民だと言い聞かせるが、心中穏やかではない。
「?」
 声には出さず彼の顔を見るが反応はない。次に彼の目を見る。けれど彼はこちらを見返すだけでそれ以上の反応はなかった。
 声を掛けてきたのにそれ以上の行動を起こさず表情に出すこともない。それに異質を感じ、警戒心だけが強くなる。
(目を付けられるのは困る。……もう現場に近寄るのは……ううん、今はとにかくここを離れよう)
 アキがそう思った時だった。
「君、近界民が現れた場所に必ずいるよね」
 更にアキの警戒心が強くなった。
(私のこと、知ってる?)
 飛び出そうになった言葉を飲み込んでゆっくりと息を吐くように音を乗せる。
「気になっちゃって。ボーダーが対応してくれた後だし、皆も見に来ているから」
 実際、アキが現場に行くようになって見慣れた顔は増えた。だから自分だけではない。野次馬は他にもいるのだと告げる。
「知ってる」
 男はうっすらと微笑んだ。
「次もあったら見に行く予定だったんだろうけど……そうか、おれと会ったからもう行かない可能性が出てきたか。うーん、トリガー使ってトリオン兵と戦っているところを見る限り君は向こう側ではないと思っていいのかな」
「……何の話をしているの?」
「トリガー使いでしょ?」
 ボーダーからトリガー使いと言われることの意味するものは考えなくても分かる。ここ暫くは使っていないのに何故知っているのだろうか。それがアキに誤魔化し通すのは無理だと判断させた。瞬間、アキは勢いよく駆け出した。
「待って」
 男に腕を掴まれ、逃亡は失敗に終わる。思いっきり腕を振っても解くことはできず逆に力が強まって痛い。
「近界民にもいい奴がいるの、知ってるから! 君が何もしない限りおれも何もしないよ」
「……手」
「逃げるのを少し後回しにしてくれるなら」
「………………分かった」
 男の言葉が先回りしてくる。まるで自分が何を考えているのか分かるみたいだ。
 アキは自分の腕を掴んでいる男の手を見る。
(もしかして私みたいに対象に触ることで発現するサイドエフェクトを持っている? 例えば考えていることを読むとか)
 そう考えると現状に納得がいく。この状況を作り出してしまった時点でアキはつんでいることになる。であれば抵抗は無意味だ。
 逃げない。
 そう選択すると男はアキの腕を解放した。
「あなたは私を怪しんでいるの?」
「全然。君は大丈夫だって分かったから」
「何を根拠に……」
「ま、そうなるよねー。じゃあ念のために確認させてもらおうかな。君は何でトリオン兵が出現した場所にいたのか。いや、何を探りに来た、かな。何をしに来たの?」
 柔らかな口調で問われた。けれど逃がす気はないという強い意志みたいなものを感じた。彼の言葉を聞く限りほとんど知られていると思っていいのだろう。
 アキは隠すことなく本当のことだけを口にする。
「今回仕掛けてきた奴を捜していたの」
「どうして?」
「私がここで暮らしているから。自分の家を守りたいと思うのは当然でしょ?」
「そっか、そうだよね」
「……近界民にはその権利がないって思っている?」
「そんなことないよ、うん。やっぱり聞けて良かったな」
 男の目元が緩む。
「こうやって動いてくるってことは情報収集に便利な能力を持っていると思っていいのかな」
「……概ねは。あまり便利ではないけど」
「またまた〜」
「本当よ」
 アキが持つサイドエフェクトは自ら触れた物の記憶を見ることができるものだ。記憶としてそこに残っていない限りは見ることもできない。はっきりいって運要素の強いものだ。
 運よくトリオン兵の残骸からゲートを潜る前の記憶を見れれば対処ができるかもしれない。そう思って今日まで現場に来ていた。しかし結果は惨敗。あまつさえボーダーに自分を知られてしまった。
 余計なことに首を突っ込むべきではなかったかとも思うが自分の生活が脅かされている以上、無視できない案件であることには変わらない。
 なるべくしてこうなった。
 そう思わないとやっていけない。
「君は自分の家を守りたいんだよね?」
「そうよ」
「おれ達と同じだ」
「そう、ね」
「じゃあ上手くやっていけると思うんだ」
 ……何を言っているのだろう。
 意図を探ろうと見つめれば男はふんわりと笑う。
「利害が一致しているということはおれ達協力できると思うんだよね」
「協力?」
「うん。おれは君に危害を加えないし近界民だということを他の人間には伝えない。その代わり君が何か情報を掴んだらおれに教えて」
「私を守ってくれるの?」
「市民を守るのがボーダーだからね。乗って損はないと思うよ?」
「確かに」
 言うと男はアキの前に手を差し出した。
「自己紹介がまだだったね。おれの名前は迅悠一。君は?」
「神威#name2」
「アキさんか。ねぇ、おれの協力者になってくれる?」
 迅とのやり取りを思い出す。今まで対峙してきた中で一番優しい雰囲気だった。
 少なくても今は手を取り合う理由がある。アキは自らの意志で手を伸ばした。そのはずみで少しだけ彼の袖に触れることができた。
 見えた記憶は迅が三門市中を歩き回っている姿だった。
 会社員が通勤しているのを見た。
 学校の校門前に教師が立っているのを見た。
 宿題に嘆く学生を見た。
 老夫婦が手を繋いで歩いているのを見た。
 車を運転する人を見た。
 父親が保育園へ迎えに行くのを見た。
 公園で遊ぶ子どもたちを見た。
 母親が小さな男の子と手を繋ぐのを見た。
 迅は行く先々で三門市の日常を見ていた。それは見守るようでいて何かを探しているようにも見える。まるで見てはいけないものを見たような気がして、アキは慌てて迅の手を取った。
「これからよろしくね」
「……うん」
 胸が苦しくなる。
 その理由が何なのかを知るには、アキはまだ迅のことを知らない**。


20190625


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