今日のち未来
好きから始まる未来で


 前日から勝負は始まっていた。
 クローゼットから目についた服を引っ張り出した。綺麗に見えるようにとベッドの上に並べ、見比べる。
 当たり前の話だが服はどれも自分の好みでどれも可愛い。いつもなら迷わずに選べるのに今回はできなくて――。
 きらりは試しに一着手に取りあわせてみる。姿見には見慣れた服を着る自分がいるはずなのに決められない。だから次の服へと手が伸びる。同じようにあわせてみるが着ていこうとは思えない。ギリギリのところで待ったが掛かってしまうのだ。
 時間だけが過ぎていく。なんとか二着までに絞ったが最後の決断だけができない。
(どうしようどうしよう)
 胸いっぱいに広がる焦り。頼れる人は誰かと考えると家には親しかいない。ボーダーを続けていくかどうかの議論は未だ平行線であったがそれ以外は今までと変わらなかった。
 やらぬ後悔よりやる後悔。どんな結果に辿り着いても今できることをやるのは最善だ。
 そう教わったのはボーダーで、尊敬する人の口から発せられた言葉はきらりの頭にしっかりインプットされていた。
(今やるべきこと!)
 明日、緑川とデートする。着ていく服を選ばなくてはいけない。
(今の最善……!)
 好きだと自覚したのも両想いになったのも最近だ。できるだけ可愛く見られたい。それは私を好きになって欲しいという本能からくるものだがきらりが気付くには難しかった。初めての感覚に振り回され、破裂しそうな心臓を押さえながらきらりは声を上げた。
「お母さん! 明日着ていく服どれがいいと思う?」
「珍しいわねーいつも聞かないで決めるのに」
 今忙しいからもう少し待って。と続く言葉にきらりは咄嗟に答えた。
「っ、だって動物園初めてなんだもん」
 彼氏ができたとかデートに着ていく服はどれがいいかなんて恥ずかしくて言えない。勘づかれないようにと意識しながらどれが可愛く見えるかと尋ねる。
 母がきらりの顔を見ると忙しいと言っていた手を止めた。そして微笑みながら候補として並べられた服に、そしてきらりへと視線を向ける。母の視線がいったりきたりしている。時折目が合ってなんとなく居心地の悪さを感じて落ち着かない。
「これがいいと思うわ」
「本当!?」
「本当よ。長さがあるといろいろとできるのに残念ねぇ」
 溜息を吐きながら母はきらりの髪を見つめる。初めて見る反応に短い髪先に触れるがあまりピンとこない。
「靴は履き慣れたものにしておきなさいよ」
「? うん」
 
 その日、きらりはそわそわして布団に潜り込んだ。なかなか寝付けなくてごろごろと身体を動かす。瞼をぎゅっと閉じて次に開いた時には朝になっていた。

 朝ご飯を食べて、昨日決めた服に袖を通す。そして姿見に映る自分を覗き込んだ。
(変なところはない。……ないよね?)
 くるりと周りふわりとスカートが舞う。それだけで胸が躍る。勢いに乗って靴を履き玄関を飛び出した。
 いつも歩く道。見知った風景。太陽の光が差し込んで世界がきらきらして眩しい。まるで初めて見る場所に遊びに来たみたいで胸はどきどきわくわくして盛り上がっている。
 待ち合わせ場所、動物園の入場チケット売り場前の広場に辿り着く。
 スマホでお互い「着いた」「今どこ」だとやり取りして場所を記す前に姿を見つけスマホを仕舞った。
「緑川」
「星空」
 心臓の音と駆け寄る時の足音が重なる。緑川の目が一瞬見開いたがすぐにボーダー本部で見るマイペースな顔つきになる。この表情は憧れの迅に、というよりは少し前に交流を持つようになった遊真に似ているような気がした。
「別に走らなくてもいいのに」
「楽しみにしてたんだもん!」
「そっか〜実はオレも。動物園久しぶり」
 緑川も楽しみにしていたと聞いて先程まで頭の大半を占めていたものが一気に吹っ飛んだ。代わりに入り込んできた気持ちに「私も」と同調する。それだけで今が最高の瞬間になった。
「行くよ」
 チケットを購入して入場ゲートを通る。
「昨日降った雪の影響で滑りやすくなっているのでお気を付けください」
「「は――い」」
 二人の声が重なった。お互い顔を見合わせてぷっと吹き出して笑いあった。声を掛けた職員が笑みを浮かべて二人を送り出してくれたから手を大きく振った。

「パンダの尻尾って白いんだって」
「黒じゃなかった?」
「三雲先輩が言っていたよ。何かの話の流れでパンダの尾も、白いって」
「そうなんだ」
 折角動物園にいるのだし確認しようとパンダがいるところへ向かうと最初に人だかりの中に紛れることになった。小柄な二人は人の間をするすると抜けて集団の先頭へと出た。檻に近づきすぎないようにある柵から顔を覗かせて向こう側にいるパンダを見つめる。絶対に見てやると意気込む二人に応える気がないのかパンダは座っているだけで動こうとしなかった。
 周囲の人が入れ替わる。少し押されて緑川との距離が近づいた。振り向けばすぐ隣に顔があると気づいて……きらりは目の前の柵を掴んでいた。反射的にとった行動ではあるが今は確固たる意志を持って、パンダを凝視することに努めていた。
 また周囲の人が入れ替わる。出てきた風に身体がぶるりと震え上がった。
「次行こうよ」
「もう少し」
「星空ってパンダ好きなの?」
「好き、だけどそれより尻尾みたい」
「そんなに気になるんだ」
(気になるよ)
 正確に言えばパンダではないのだがきらりは目の前に集中する。
(パンダ可愛いもん。後ろ姿もちゃんと見たい……うん、そうだよ)
 自分に言い聞かせれば隣への意識は少し減った気がする。胸は高鳴っているがそれも慣れてきて、いつまでもいられるような気がしていた。
「へっくしゅっ!」
 それを唐突に訪れたくしゃみが全てを台無しにした。
「寒いんだ」
「寒くない」
「はいはいっと」
 動こうとしないきらりの手を緑川は取ると人混みの中へと飛び込んでいく。
「え、ちょっと」
「休憩しよーよ。パンダはまた後で見にに来ればいいでしょ」
 言われてきらりは今まで自分のことしか考えていなかったことに気づく。ずっと付き合わせていたけど緑川はどうだったのだろうか――と思ったら、足が慌てて動き始める。
「ぱぱー。パンダさん歩いたよ!!」
 後ろから上がってきた声はきらりの耳には届いていない。目の前にいる緑川の背中にしか意識が向かなかった。歩みが早くて手がぐいぐいと引っ張られる。追いかけることは慣れっこだったがそれでもこんなに近くで意識して見たことは、きっとない。
 一歩踏み出した瞬間だった。勢いよく滑ってバランスが崩れた。
「わっ!?」
 いつもだったらどうしただろう。踏ん張って転ぶのを阻止したのだろうか。でも今は手を繋いでいて少しだけ勝手が違う。二人揃って転んだ。受け身をとるために咄嗟に動く二人の身体は正しい行動をしていた。しかし手が離れてしまって……消えた温もりが少しだけ残念に感じてしまう。
「ごめんなさい! 巻き込んじゃった」
「オレこそ速く歩きすぎた……ごめんなさい」
 視線が絡み合う。そして周囲から視線が集まったのに気が付いた。恥ずかしくなってきらりは視線を外したが緑川も同じような行動をとったのはなんとなく雰囲気で察した。
「オレたちお姉さんに言われたこと忘れてるし」
「本当。もー恥ずかしい」
「ん、ケガない?」
「大丈夫。緑川は?」
「オレもへーき」
 立ち上がりながらお互いの怪我の有無を確認する。
「じゃあ行こうか」
 そう言って歩き出そうとする緑川の手を慌てて掴んで静止させる。どうしたのだろうかと覗き込んでくる顔に負けないようにときらりは顔を赤くしながら答えた。
「緑川歩くの速いんだもん」
「今度は気を付けるよ」
「うんだから」
 さっきみたいに手を繋ごうと言えたら良かったのに――。
 上手く口にできないきらりに緑川は首を傾げる。
「うん」
 分かっているのかいないのか、判断つかない曖昧な返事に些か不安を感じたが手が握り返されたことに自分の想いは伝わったのだと分かりきらりの胸の内から何かが溢れてくる。
「ありがとう。好きー」
 意図せず口から勝手に洩れた言葉に緑川は顔を真っ赤にする。その顔を見て自分が何を言ったのか気づいたきらりは同じように顔を真っ赤に染めた。


20200120


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