星が奏でる狂詩曲
分岐

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 桜花は今、とある森林公園に来ていた。三門市と隣の市の南側に少しまたがっており土地は県内でも最大規模のものになっている。そして桜花の目の前には佐鳥賢、時枝充、木虎藍が広報の仕事で写真を撮られていた。これがどういった内容のものかは桜花は把握していない。自分がここにいるのは仕事だが彼等のものとは役割が少し違うからだ。
「どうして綾辻先輩の代わりが明星さんなんですか」
 木虎の意見はご尤も。とりあえず言い訳はしておくかと桜花は口を開いた。
「高校受験で大変なんでしょう? 流石に受験生を広報に引っ張りだこにするのはどうかと思うけど」
「そんなの分かっています。私が言っているのは代役が何故あなたかということです。話ちゃんと聞いていましたか?」
 聞いていた。だけどその返しはどうなのだ。桜花が同行しているのはただの人数合わせみたいなものだ。最近桜花の名前がよく聞くようになったから面白そうだと博打感覚で指名してきた先方の考えなど知った話ではない。
(まぁ都合だけは良いのよね――しかも荷物持ちに徹しても文句は言われないし……これも仕組まれていたりするのかしら)
 それでも自分がやることは変わらないので別にいいかとある意味心ここにあらずだ。
「あれ、嵐山隊やないか」
 声を掛けられて律儀に反応してみればそこには生駒と水上敏志がいた。特に驚くことはないが偶然を装うために桜花は準備していた言葉を使う。
「アンタ達はなんでここにいるの?」
「大学の交流会や」
「へ――」
「なんですか、聞いてきた割に興味なさそうやないですか」
「そうね、全くないわ」
「……相変わらずやわ」
「どうも」
 淡々と繋げられるだけの言葉に話をする気はないのだと水上は悟る。
(明星さん、ほんまはめんどくさいんやろうな)
 露骨すぎて苦笑しそうだが周囲にいる大学の同期や先輩達がこちらに気づいている為の防止策なのだろう。できるだけ注目を集めたくないのか大人しくしているが嵐山隊のメンバーといるだけで意味はないように思える。
「――にしても明星、俺と同じ怖がられるタイプの顔やん? 俺を置いて広報デビューはあかんやろ」
「は、喧嘩売っているの?」
「なんでや褒めとるやろ。それよりどういう手を使って選抜されたのか知りたいんやけど」
「この天然喧嘩売り。そんなに言うなら買ってあげるわよ」
「ん、なんやランク戦してくれるんか? ええで、帰ったらやろうやろう」
 傍にいる自身の隊長の生駒はいつも通りのマイペースぶりを発揮して話し始めている。たった一言で桜花は諦めてしまったのか、しっかりと反応し始めた。話が噛み合っているのかいないのか、この二人の相性は謎である。コントのようなやり取りに水上は間に入るのを止めてしまった。寧ろ二人の会話を見ていた周囲の者が混乱し始めているようでどういう意味だと変に視線を集めていく。
「嵐山、ボーダーがあるなら言ってくれれば良かったのに」
「あぁ、緊急時ではないしできるだけこっちの方を優先にしていいって言ってくれたんだ」
「へ〜ボーダーってちゃんと個人のこと考えてくれているんだな」
 生駒と水上がいるなら嵐山がいても可笑しいことはなかった。彼の周囲にいる学友はボーダーの存在があることを知り気遣っていた。会話の内容は他愛のないものだ。だけどこういう積み重ねが理解してもらうのに必要なのだろう。
「でも嵐山以外は皆いるんだろう? お前抜きでも大丈夫なのかよ」
「俺の代わりに引き受けてくれた隊員がいるからな」
「もしかして明星さん? 確かに彼女、嵐山の後輩だっけ? 相応しいかもね」
「……いや駄目だろう。俺が言うのもなんだけどアイツ、どんなに正論でも悪い方で目立つし」
 岡谷と野本の正反対の意見が耳に入ってきたのか、いつまでも生駒とちぐはぐ会話を続けていた桜花の元へ木虎が近づいてきた。
「生駒さん、すみませんが明星さんいいですか」
「おぉ。仕事の邪魔して悪かったな」
「いえ」
 笑顔で応対する木虎の顔は完全に外向けだ。周囲に聞こえない声量で生駒に断ってから桜花の腕を引く。先程よりも更に聞き取り難い声で木虎は呟く。
「嵐山さんの代わりなんてもっと相応しくないじゃないですか……調子に乗らないで下さいよ」
「いや、どう見ても私調子乗ってないから。それよりも木虎、ちゃんと猫被ってなさいよ」
「何のことか意味が解りません」
 広報チームと合流し、撮影が再開される。メインはやはり嵐山隊の方でどう見ても自分はお呼びではない。桜花は用意された椅子に座りながらこの光景を眺めていた。
 この森林公園はエリアによってはバーベキューをやったり、アスレチックができる場所等無数のエリアが集まってできたものだ。
 大学生の面々の目的はまさにバーベキューのようで、そちらのエリアへ移動して行く。
(嵐山、生駒、水上……向こうには風間さん、柿崎、木崎さん、諏訪さん、堤さんに二宮と犬飼か。二宮のバーベキュー姿面白そう)
 どうでもいいことを考えながらボーダー隊員で誰が参加しているのかを把握する。そして嵐山隊の三人。大分、中距離ポジションの隊員が多いが近距離戦闘にも対応できる隊員が多いため支障はないだろう。
 先日、依頼された内容はほほ確実に起こるとされているバーベキューエリアでのトリオン兵の討伐だ。迅の話だと今まで見たことのないトリオン兵もいるらしい。それなりに実力のある者が対応することになった。
 学業にも普段から真面目に取り組んでいる学生のおかげでイベントに参加したところで何かが起こると気取られることはない。知っているのはボーダーと仕掛けてくる側だけ。そして相手はボーダーが何か事が起こると知っていることを知らないのだ。
(イベント参加しているボーダー隊員の顔は割れているし確実に被害を出したいなら避けるでしょうけど、プライベートでの不意打ちなら行けると考えるか。あぁ、被害を出さなくてもいいという考えもあるわね)
 戦闘経験のない人間の考えることは経験者から言わせれば幼稚だ。それでも追いつめられれば突発に何をしでかすのか分からない。訓練された兵よりは対処が難しい点もある。桜花がこの任務に抜擢されたのもその突発的に起こってしまったものへの対処だ。敵の目を一点に集中させる。そのために自分は気づかない振りして待っていなければならない。
「それにしても珍しいですね」
「何が?」
 聞こえてきた声に視線を向けることなく応える。休憩に入ったのか時枝が差し入れの飲み物を片手に桜花の隣まで近づいてきていた。
「明星さんはこういうの、引き受けないと思っていました」
「だから荷物持ちに徹しているじゃない」
「そっちではないです」
 何のことだろうとしらばっくれる桜花の態度を見れば自分が考えていることで正解なのだと時枝はいきつく。
「さっき生駒さんと話していた時スタッフの方が明星さんを意識していたの、気づきました?」
 一応、数合わせで広報に参加しているのだ。本人が荷物持ちに徹すると言い張ったところで相手は関係ない。意識を向けられてもおかしくはないはずだ。寧ろいつ苦言を零して諦めてくれるかを桜花は待っている。
「それがどうしたの」
「今、一番話題になっている隊員が明星さんだってことです」
 だから自由に泳がせて何か起こるのを待っている。良いネタでも悪いネタでも構わない。世間が盛り上がる何かを期待している。今の三門市の空気を敵が知らないわけがないのだ。そして度々出現したイレギュラーゲートの対処を毎回行っている桜花を目障りだと思っているはずだ。
「少なくてもおれ達は気づいているとだけ言っておきます」
「わぁああぁ!! 近界民だ!!!」
 桜花が返事をするよりも先に悲鳴が聞こえた。音が振動して鳥が一斉に飛び立った。木々の葉が揺れ騒ぎを伝染していく。予定通りバーベキューエリアに現れた。桜花達はトリガーを起動する。手際よく木虎と時枝がマスコミと周辺にいる利用客に避難誘導を。そして桜花と佐鳥は騒ぎの中心へと駆けていく。
「いつもと地形違うけど最後まで行ける?」
「明星さんオレ、スナイパーっすよ」
 だから最後まで生き残ると言われ桜花は頷いた。
「じゃあ、任せるわ」
 言うとグラスホッパーで桜花は加速した。

 現場に着けばそこには上半身は人の形、下半身は蟹の足に似た造形のトリオン兵がいた。
 このエリアにいるボーダー隊員は半分しか見当たらない。既に周囲の利用客の避難誘導をしているのだろう。桜花が合流したところで更にここから半分の人数が逃げ遅れた人間の保護をして回ることになる。
 物凄い勢いで突進してくるトリオン兵を避け、すれ違い間際に一撃入れようと孤月を振る。トリオン兵の胴体に刃が当たりガキンッとまるで金属のような音がした。斬れないと判断した桜花はそのまま後方へと下がる。そのタイミングで三角錐の形をしたトリオンキューブが追従しトリオン兵を吹っ飛ばした。
「遊ぶな」
 傷一つ入れられなかったことに対してもっと真面目に攻撃を入れろと注文を付けてくる二宮匡貴に桜花は抗議する。
「めちゃくちゃ硬いんだって」
 その時だ。倒したと思ったトリオン兵がむくりと起き上がった。そして先程と変わらないスピードで再度こちら側へと突っ込んでくる。
「ちゃんと仕留めなさいよ」
「ちっ」
 今度は腕を狙って斬りかかれば胴体とは違いすんなりと斬り落とすことに成功する。「けけけけけ」とトリオン兵が笑った気がした。
 斬り落とした腕の中から植物の蔓のようなものが無数に生えてきた。蔓が槍のように真っ直ぐと桜花に向けて突き出してくる。咄嗟に飛び退けば、蔓は地面を突き刺して抉った。攻撃を緩めることなくトリオン兵は標的を追いかけて蔓を突き伸ばす。
「!?」
 伸びてきた蔓はシールドを粉砕する。蔓の先端が孤月の刃と交える前にトリオンキューブが蛇のように地を這いながらトリオン兵の足元を崩す。出来た隙を逃すことなく、バイパーがトリオン兵の足元から頭に向かって突き進む。水上の攻撃に誘導されるように二宮がアステロイドで追撃し敵を破壊する。
「お前のシールドじゃ防げないなら集中シールドでないとダメということか」
「間合いも自在みたいだし……あれ、腕だけと思わない方がいいパターンよね、めんどくさい」
「胴体が硬いっちゅうことは核はそん中やろ。削り倒さないとあかんな」
 流石にここまで壊されると動かないらしい。トリオン兵を倒したことを確認し、各々が得た情報を伝達する。生半可な攻撃は相手の攻撃力を上げるだけ。周囲からトリオンを供給しているのかある程度は回復するところも見ると、素早く的確にやらないといけないことが分かる。
「装甲の弱いところから一気に原動力である核を破壊するか、集中砲火で削り落とすか……アタッカーと相性悪いんだけど」
「イコさんなら旋空あるからなんとかいけるやろ」
「私無いんだけど」
「貴様、射手用トリガーセットしているだろ」
「……そうだけど」
 桜花の返答に何を言わんとしたのか察したのか二宮の眉間に皺が寄る。
「戻ったらハチの巣だ」
「そういう訓練いらないから」
(言い合える余裕があるんやからここは平気そうやな)
『桜花、強いトリオン反応がある。来るぞ』
 ボーダー本部で待機をしていた麟児からの報告。それに応えるように目の前でゲートが開いた。先程倒したのと同じトリオン兵が数体こちら側に降り立った。
 ゲートが開く前に感知できたということはゲートを開くための細工が仕掛けられているということになる。
 トリオン兵が己の標的目掛けて真っ直ぐ突撃してくる。三人は避けるために地を蹴った。方向転換して更に追いかけてくるトリオン兵は足元に設置されたものを識別できずに踏みつけ宙に跳び上がった。すかさず二宮と水上がアステロイドで削り倒しにかかる。
(空中戦の方が仕留めやすい、か)
 現れる度にグラスホッパーで上手く踏ませ宙へと打ち上げる。止めは全て射手の二人に任せることにした。敵と距離をとりながら桜花は先程ゲートが開いた付近へと着地する。
『やはり仕掛けられているな』
 桜花の視覚から得た情報を分析し、麟児は中でもトリオン反応が強いものを指摘する。手のひらサイズのスティック状のものが刺さっている。恐らくそれが指定した場所にゲートを開くためのものなのだろう。人が多いところに設置していればゲートを開くためのトリオンは供給できる。同じ場所にしか発生させられないデメリットはあってもコストや自分の好きなタイミングで出せることを考えれば随分と優秀だ。
 孤月で突き刺し装置を破壊する。これででなくなれば楽なのだが事態はそう簡単には進まないらしい。無線から他のポイントから出現したと情報が入る。
 公園一帯に仕掛けられているとすれば全てを装置を破壊して回るのは手間が掛かりすぎる。もっと根本的なところを叩かなくては意味がない。
「さて、どう誘き出すか……っ!」
 突然桜花の足首が掴まれた。下を確認すれば地面から手が伸びてきている。地中に何かいる。引き摺り込まれそうな力に桜花は自分の足を掴んでいる手を中心に狙いをつけて地面からエスクードを出す。敵が桜花を離さないせいで足場が不安定になり態勢が崩れたが、おかげで敵の身体を地上へ押し上げることができた。
 背面へ倒れながらも未だ足首を離さない敵に桜花は自分の背にグラスホッパーが当たるように仕掛け敵と一緒に上空へと跳び上がった。
 パンッ。
 銃声音がした。聞こえた音は一つだが敵の身体には二発の弾がヒットしていた。敵の手首が撃ち落されたことで足が軽くなる。もう一度、今度は自分だけが上空へと跳び上がりそしてグラスホッパーを踏んで一直線に下降した。加速に重力が加わり通常時よりも重く鋭い突きに先程斬れなかった胴体をなんとか貫くことに成功する。
『桜花、そこから西の方角に逃げ遅れた市民がいるらしい。柿崎が一人で応戦している。援護に行ってくれ』
「はいはい」
 誰かを守りながらこれを一人で相手をするのは苦労するだろう。桜花は適当に返事をしながら全速力で駆けて行く。
「麟児、そこでゲートがどこで開いたか一応聞いといて」
『分かっている。それよりも桜花気をつけろよ』
「何が」
『そのポイントは三門市から少し出ることになる』
「りょーかい」
 銃が乱射する音がした。柿崎がトリオン兵と対峙している。そして少し離れたところに市民がいることを確認し、桜花は宙へと跳び上がり敵の頭上へと跳び上がり、先程と同じようにして脳天を貫いた。
(思ったよりも数が多い)
「明星すまない」
「それよりそっちは専門外だからなんとかして」
「……あぁ!」
 言うと柿崎は市民の誘導を開始した。後を追わないようにとエスクートで行く手を阻み、自分の方へ来るようにと疑似的に一体しか通れない幅の通路を作り出す。賢いAIでない限り道筋に従って素直に真っ直ぐ進んできてくれるはずだ。
 狙い通りにやってきたトリオン兵をグラスホッパーで浮かせて狩りとる。他のを相手にして処理できなさそうなものはエスクードで押し潰す。パンッと聞こえるこの音は佐鳥の援護射撃だ。桜花一人で溢れそうなところは狙撃によって押しとどめ、そうやって一体一体丁寧に処理をしていった。
(あぁ本当に面倒。誰かが来るのを待つよりも逃げて連れて行く方が良いんだけど)
 どうみても自分が相手をするよりは射手の二人の方が効率がいい。市民の避難誘導が完了するまではできる限り相手を引きつけろと命令が飛んでくる。特に理由がないため桜花はその指示に従うしかない。
 ギリギリのところで相手の攻撃を避けて反撃する。目の前の敵を斬るのと同時に背面から砕ける音がした。トリオン兵が壁を破壊し突っ込んできたようだ。
 蠢く蔓の硬度が増し鋭く鋭利な刃物となって背後から迫りくる。
(間に合わないか)
 振り返って対応するよりも先に集中シールドで防ぐ方が早いとシールドを展開する。
 これで最低限の自己防衛はできているはずだ。目の前の敵を斬り終わってから背後の敵を処理をしようと冷静に判断する。この瞬間までは桜花にはまだ余裕があった。
 誰もいないはずの隣から銃声音がした。目の前の敵を斬った勢いに任せて振り返れば目に映ったのは一つの陰。そして形容し難い鈍い音が聞こえた。何故ここにいるのか分からない。桜花の目の前でトリオン兵の鋭利化した蔓が本人ごと赤の隊服を貫いた。
「――っ」
 向こうの世界で見たことのある光景だった。あの時も桜花の大切だったものは目の前で貫かれて砕け散った。世界は夕焼けに染まり、夜には溶けてそして朝日が昇る前に消えていった……。
 一瞬脳裏にちらついただけなのに、尾を引くように記憶が今へと繋がっていく。
 貫かれたのは嵐山だ。先程まで桜花の視界にいなかったことを考えるとテレポータ―で飛んできたのだろう。何故自分と敵の間に飛び込んできたのかということより、負っているダメージの方に目がいく。急所は避けている。それでも身体の至る所が貫かれている。
 今はトリオン兵が己の武器を抜かないのが幸いしてトリオン漏出が緩やかだ。それでもこのままではトリオン漏出過多、戦闘続行は不可能だ。引かないといけない局面なのに嵐山は攻撃を止めることはなく突撃銃から放たれる弾丸はトリオン兵だけを狙い続ける。このまま行けば相手を削り倒すことはできる。しかしそれは自身のトリオンを急激に減らすことだ。
 桜花の頭の中は真っ白になった。孤月を持つ手が自身の意志とは関係なく勝手に振り上がる。

『十メートルだ』

 突如聞こえてきた言葉が頭の中で勢いよく駆けて行った。自身が何をしようとしていたのか把握する前に桜花は孤月の握りを変えそのまま嵐山の背面へと貫き出ている蔓を斬り落とす。嵐山に駆け寄り背中から手が空いている方の腕を回す。引き寄せるには片手では足りなかった。
(孤月が邪魔だ)
 そして桜花は己の武器を手放した。嵐山の胴体に両腕を回す。桜花はトリオン兵を倒さないように速度重視、攻撃力零のハウンドを撃ち出した。まるで殴りつけたかのような打撃攻撃だがそれでいい。相手を後方へ吹き飛ばすのと同時に桜花はグラスホッパーを踏み、トリオン兵から離れるよう後方へと跳ぶ。
 嵐山はまだ攻撃の手を緩めなかった。撃ち込まれる弾の音に桜花の心臓が呼応するように脈を打つ。
『あと五メートル』
 麟児の冷静な声が告げる。
 加速がまだ足りないかもしれない。
 桜花はもう一度グラスホッパーを展開して踏んだ。
『三メートル』
 嵐山の身体からやっと蔓が抜けた。目の前は赤い隊服しか見えないはずなのにトリオンが大量に溢れ出したのか光の粒子が視界に入ってくる。
『二、一……』
 腕から温もりが消える。桜花の腕は空を切りそして自分自身を抱きしめる。
『嵐山さんベイルアウトしました』
 聞こえてきた声は嵐山隊オペレーターの綾辻遥のものだ。
 刹那、桜花はグラスホッパーで前へと飛び出しトリオン兵の距離を縮める。軌道上に落ちている孤月を速度を落とすことなく器用に拾い上げ、更に加速する。孤月を突き出しトリオン兵の体を貫く。そこから孤月を振り下ろすように斬り捨てた。嵐山が削っていてくれたおかげであっさりと真っ二つになった。もう動くことのない塊を見下ろし、そして今もまだ出現するトリオン兵を睨みつける。
「佐鳥、よく我慢した」
『……!』
 嵐山が飛び込んできてからこちらを援護することなく大人しくしていた佐鳥に声を掛ける。
(相手がこちら側の人間だからって……私の落ち度だ)
 敵を甘く見るのはいけないと知っていたのに、自分の愚かしさに反吐が出る。
 人命とか敵の目をこちらに引き寄せるとか周囲に合わせてごちゃごちゃ考えるのは正直、面倒だった。自分には合わない。だからこういう事態を許したのだと叱咤する。もう余計なことを考えない。周囲なんて関係ない、目の前にいる敵は容赦なく斬る。初めから自分らしくそうしておけばよかったのだ。
「好きに動いて良いわよ。私もそうするから」
 トリオンキューブを展開させる。桜花はハウンドを放つのと同時に駆け出した。
 迫ってくるトリオン兵を薙ぎ払いゲートが開いた場所付近まで辿りつくと辺りを見回す。自分よりも目敏い麟児が異物に気づく。
『トリオン感知。やはりここにも仕組まれているな』
「近くにいる」
『可能性は捨てきれないな』
「次、開いたらやる」
 トリオン兵が出現する瞬間、必ず開かれる向こうとこちらを繋ぐ門。
 今、トリオン兵の数が減った。補充するためにゲートは開かれる。トリオン兵の体が全てこちらに下りてくる前に桜花は身体を縮み込ませ隙間へと飛び込んだ。
 ちまちま相手をするよりも手っ取り早い方法。所謂、殴り込みだ。相手の位置を調べて対策を練るよりも奇襲を掛けて敵の機能を潰す。最初に手荒なことをしたのは向こうだ。倍返しにされる覚悟ぐらい持っていることだろう。

「な、何でこんなところに!?」
 門を出ればそこはどこかのホテルの一室だった。本拠地ではないのは残念だが、今操作をしているのが彼等なら止めることは簡単だった。
 桜花は表情を変えずに彼等に近づく。男はこんな状況でもパソコンのキーボードから手を離さなかった。室内に護衛用のトリオン兵が現れる。容赦することはなく桜花は男目掛けてトリオン兵を蹴り飛ばす。
 大雑把に分割したトリオンキューブを放ちトリオン兵に穴をあけた。
「このまま寝るなんて酷いじゃない」
 意識を飛ばしそうになる男の胸倉を掴み上げる。
「協力してくれるわよね。言っておくけど私、尋問も拷問も得意じゃないから」
 悲鳴を上げる男に対し桜花はハウンドの大きさを見せつける。分割した一つのキューブを放ち落ちているパソコンを破壊する。残りはふわふわと桜花と男を取り囲むように浮いていた。

「時間が惜しい。手短に吐いて貰うわよ」


20190105


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