あなたと出逢う物語
となり

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 どうしてこんなことになっているのだろうか。

 きっとこの部屋にいる者は皆して思ったはずだ。
 時を遡ること数分前。犬飼澄晴が二宮隊作戦室に入るところから始まる。
 先に目が入ったのは椅子に座る二宮匡貴とその前で地べたに正座させられている明星桜花。それから部屋の隅に避難するように佇んでいる辻新之助の姿だ。
(あ、これ入ったら終わりな奴だ)
 辻を救助することを一瞬たりとも考えなかったわけではない。しかしお互いの位置が悪かった。後輩を見捨てる罪悪感より己の可愛さを取ったのは感覚としては正しかったはずだ。しかしそれを相手が許してくれるかは別である。
「犬飼、いいところに」
 声を掛けたのは桜花だ。空気を読んでその行動を取るのだから余程今の状況を打開したいのだろう。だが、理由がわからない犬飼はこの場をどうにかすることはできない。そして桜花のため助け舟を出す気もなかった。面倒なことに巻き込まれる前にと扉を閉めるタイミングで再び声が掛けられた。
「どうした、入らないのか?」
 よりにもよって自身の隊長に、だ。逃げると余計に面倒なことになるのを分かっている犬飼はもう回避するという選択肢は残されていなかった。
「……」
 ガチャン。
 扉の閉まる音が重いような気がした。
「それで、なんで明星さんうちの作戦室で正座してるの?」
 最近合同任務があったわけでもないし完全に部外者のはず……となれば彼女が二宮か辻に何か仕出かしての現状なのだろう。そうとしか考えられない。だから、そうなのかという意味で聞いてみれば返ってきたのは桜花の「さあ」という一言だけ。しらばっくれているのかと思えば彼女の表情を見る限りそういうわけではないらしい。このままでは進展することはないと悟ったのか二宮が溜息を吐いた。
 どうやらこの場は折れてくれるらしい。
 二宮は懐からスマホを取り出すとその画面を桜花に見せる。
「これはどういうことだ」
 プライベートを自ら周囲に晒すのは珍しいせいで犬飼もそして遠くにいた辻さえも反射的に画面を注視した。
画面には黒江双葉と桜花がマイペースにもアイスクリームを食べているところだ。
「へ*これ最近映えるって騒いでいたとこだね。明星さん行ったんだ」
 パッケージを見てどの店のものか分かる犬飼は同時にこの店が三門市にはなく隣の県にしかないということを知っている。
(そういえば、加古隊と明星さんってスカウト遠征に行っていたんだっけ)
 写真の繋がりはなんとなく分かった。そして二宮が未だに画面を向けたままにしているということは他にも彼が気にしている写真があるのだろう。
 しかし桜花はスマホを取ろうともせず、じっと正座したままだ。どう見ても二宮の意図を理解していない。
 仕方ないと、この場を代表して犬飼が二宮のスマホを拝借することにした。二宮が特に反応をすることもなかったのを確認し、犬飼は画面をスライドさせた。
「加古さんとも写っているんだ。へー珍しいね」
 犬飼の口から発せられた声が若干低くなる。その反応に怖いもの見たさかそれともこれが全ての元凶だと悟ったのか。辻がさり気なく犬飼の背後へと避難して覗き込んだ。
「……そ、うですね。雰囲気がいつもと違う……けど、この服着ているとこ見たことないですよね」 
 絞り出すように呟かれた辻の言葉を拾って二人が何を見ているのか見当がついた桜花は目を丸くして直ぐに眉間に皺を寄せた。
「なんでアンタがそれを――」
「加古から送られてきた」
「消してないじゃない……」
 苦々しく呟かれた言葉はこの場にいない者へ向けたもの。返事がくるとは桜花も思ってはいない。だから――というわけでもないが、桜花は二宮を真っ直ぐ見上げると一言だけ口にする。
「消して」
「何故俺がお前の指示を聞かなくてはいけない」
「いや、見ても楽しくないでしょ。見なさいよ二人の反応! 辻なんてどもり方が酷いじゃない」
「ここで辻ちゃんを引き合いに出してもねぇ」
 それで判断を期待するのはいろんな意味で酷ではないか。
 犬飼に言われなくても桜花だって分かっている。だが犬飼から賛辞の一つもないことを自らの口で言うつもりはないようでじっと様子だけを見ている。どうやらなんとしてでも二宮のスマホからデータを削除したいらしい。
「不快でしょ」
「そうだな」
「じゃあ消しなさいよ」
「……断る」
「言葉と行動と機嫌が合ってないんだけど。文句は受け付けるからとりあえず消してよ」
「何度も言わせるな」
 二人の意見は交わることない。第三者が介入しないと平行線のまま永遠と続いていきそうだ。
 これはどうしたものだろうか。
 声を出さずに辻が犬飼になんとかしてくれと眼差しを向ける。犬飼は静かに溜息を吐いた。
「桜花さん諦めたら? 二宮さん本気で不快に思っているならもうデータ消去しているはずだし」
「じゃあなんで残っているの?」
「それは――……っ、えぇ……」
 自分の考えを口にした瞬間、何か引っ掛かりを覚えた犬飼はそのまま思考を巡らせる。そして桜花に言及され、いきついた可能性に思わず口を噤む。
「どうしたんですか?」
「どうしたって辻ちゃん……」
 既に考えることを放棄してしまっている辻の言葉に苦笑しながら犬飼はもしかしての話をする。
「加古さんから送られてきたのを保存するってことは気に入っているってことでしょ。二宮さん好きだったりします? こういうの」
 無意味で無駄なことを嫌う二宮のことだ。写真自体は気に入っているの間違いないだろう。しかし犬飼の言葉はなんというか……少しだけ心臓に悪い聞き方だなと辻は思う。好奇心半分、冗談半分といったところか。意識しているからこそ、最後にフォローにもなっていない言葉を付け加えている。相手が返してくる言葉に対しての保険だということは丸わかりだ。傍から聞いてもわざとらしい言い草のおかげで辻は冷静な心を取り戻した。
 犬飼がこうもあからさまにくれば何かしら反応が返ってくるはずだ。しかしどういうわけか二人は微動だにすることなく互いを睨み合っていた。真っ先に食って掛かりそうな桜花が一言も発しないせいで妙な緊張感が漂い始めた。そして……。
「アンタ、この写真が気にいっているって本当なの?」
「俺が送られてきた写真をどうするか自由だろ」
「そこに映っているの私なんだけど」
「問題あるか?」
「あるわよ。大体どこを気にいっているのよ? 加古さん? それともこういう服が好みなわけ?」
「……どうしてそういう発想しかない」
「他に何があるのよ」
「お前がいるだろ」
「そんなに私をネタにしたいの」
「何故、そうなる」
「だって戻ってきて早々連れ込まれて正座よ?」
「それは桜花が勝手にやったことだろう」
「何言っているの。匡貴がそういう空気出してたからでしょ」
「出していない」
「無自覚なら治した方がいいんじゃない? 凄く不機嫌で何かしちゃったかと思ったわ」
「何かした覚えでもあるのか」
「ありすぎて逆に思いつかないわ!」
「……」
「……」
 なんて問題のある会話なのだろうか。あまりの問答に唖然としてしまう。脳が考えることを放棄していたらナチュラルに発せられた呼び名に引っ掛かることなかった。確か二人は姓で呼び合っていたはず。それが名前で呼び合うようになっているということは随分親しい間柄ということになる。
「いやいやいやいや。さらりと流れちゃうとこだったけど二人は本当に仲がいいの? 友達じゃ……ないんだ。え、今までおれ、知らなかったんだけど」
「そういうことだ」
「報告の義務なし」
「え〜〜」
 二人の反応をみてすぐさま返す犬飼のレスポンスの良さは相変わらずだ。それに対して当人達は特に気にした素振りを見せることはなかった。それどころか各々の言葉ではあるが同じタイミングで返されたところをみると息が合うくらいの仲だということは分かる。
 桜花の言う通りプライベートに踏み込む義理はないかもしれないが、近しい人間が築き上げた新たな人間関係に興味を示さない程の付き合いではない。そもそも二人の接点なんて数えるくらいしかないだろうし、よく親しくなったというのが正直な感想だ。
「全然気づきませんでした……」
 そう、辻の言う通り、気づくなんて無理な話だ。
 二人の関係性が分かったところで冒頭に戻る。
 では桜花は何故正座をしているのか否、二宮は不機嫌であったのか。それは彼が見せてくれた写真にあるはずだ。
「もしかして――ヤキモチ?」
「……」
「は?」
 無言でいる二宮の代わりに桜花が荒っぽく反応する。が、どうやらそういうことらしい。犬飼の生温かい視線にきちんと意味を汲み取った桜花は容赦なく斬り捨てた。
「え、恥ずかしいんだけど」
「そこはヤキモチ妬いてくれて嬉しいというわけではないんですね」
「こういうの無暗に喜ぶのはどうかと思うけど。妬く側と妬かれる側、何かしら問題があるからそうなるんじゃない?」
「……」
 犬飼の言葉はまるでちゃんと相手を大事にしているのかと問い質しているような気がして桜花は一瞬喉を詰まらせた。
(不機嫌ってことは今回の件で何か不満があるってこと? 確かに満足させてる覚えはないけど――)
 そう考えて答えを絞り出していく。
「アイス、食べたいの?」
「……」
「服……買い物?」
「……」
「言ってくれないと分からないんだけど」
「……写真」
「へ」
「俺とは撮らないのに加古には許していることに腹が立つ」
「なんだ、そういう……言っておくけどこれは向こうが勝手に撮っただけだから」
「だがそれを許すくらい気が抜けているのだろう」
「別に抜けてはいな――」
「俺は桜花が一番好きで、桜花もそうなのだろう?」
「一番って――まぁ特別ではある、けども」
「それを横から掻っ攫われる身になってみろ」
「まぁ不服よね。掻っ攫われた覚えはないけど」
 双方のやり取りを聞いている限り、二人に足りないものはお互いの認識とでもいえばいいのだろうか。聞いているこちらの方が恥ずかしくなってきそうな言葉がチラホラ出始めて、この場に部外者がいるのは場違いな気がしてくる。
 好きの単語が出てきて顔色を変えるのに忙しい辻を見ながら脱出するなら今が最後の機会だと犬飼は悟る。
「う――ん、二人できっちり話し合った方がいい案件だよね〜ってことでおれと辻ちゃんは撤退しようかな。二人の馴れ初めは……今度おれに教えてね」
 言うと行動するが早し。返事を聞くことなく犬飼は辻を保護してそのまま颯爽と作戦室を出て行ってしまった。
 残されたのは二人だけ。そこに気まずさなどはなく、寧ろ言いたい放題できる空間である。
「写真の件は分かったわ。言えばそれくらい――」
「そうか。ではこの服は?」
「買ってないわよ。似合わないし私には必要ないもの」
「そう思っているのはお前だけだ。加古にも言われたんだろう?」
「……二人は仲が良いわね」
「腐れ縁だからな」
 溜息を吐く様に吐き出された言葉を聞きながら桜花も小さく息を吐いた。
「それで、不機嫌な理由って本当に写真なの?」
「全部だ」
「全部……」
「あいつばかり俺が知らないお前ばかり見ているのは狡い」
「そんなことない、はずなんですが……」
 声がどんどんフェードアウトして行く。それと一緒に桜花の顔が気恥ずかしそうなものになり、彼女が何のことを言っているのか把握する。それはそれで満足ではあるが欲に終わりが訪れることはなかった。
「俺はもっといろんな桜花を見たい」
 真顔で言われた破壊力に遂に桜花から言葉が失われる。そして更なる言葉の追従が桜花を襲う。
「何のために隣を空けていると思う」
「……さ、あ?」
 何とか絞り出した言葉。桜花はのそっと立ち上がってそのまま二宮の目の前まで歩み寄る。
「よく分からないから、教えてよ」
 それが合図だった。
「行くか」
「うん」
 少しだけ機嫌がよくなった二宮を確認して桜花は後をついて行く。そして隣へ。寄り添うような距離で二人はボーダーの外へ出た。


20190428


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