あなたと出逢う物語
戯れ

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「桜花、どれにするか決めた?」
「どれにするもなにも別に買わなくてもいいかな――って」
「こういうのちゃんとしたサイズのものを着用しないと駄目なのよ」
「足りないならまだしも、足りているし」
「駄目よ」
 ショッピングモール内にあるランジェリーショップの一角に二人の姿はあった。
 橘高羽矢の有無を言わせない圧力に桜花は一度、手にした下着をそっと戻した。ちらりと隣を盗み見れば冷静な視線と絡み合い桜花は溜息を吐いた。
「デザインが気にいらなかったの?」
「んーまーそういうこと」
「選ぶ気ないわね」
 その通り過ぎて反論は出てこなかった。寧ろそこまで分かっているのなら……というやり取りは先程行ったばかりだ。
 来店することになったきっかけは、動いているとブラジャーがズレるような気がするしワイヤーの締め付けが気になるという些細なものだ。
 それに目の色を変えるように反応したのは加古望で「着て欲しいものがあるの」と言われた時は背中に悪寒が走ったのは言うまでもない。同行させては着せ替え人形になるだけだ。
 必死な抵抗の末、たまたま通りかかった橘高に桜花は助けを求めて、今に至る。
 先程までショップに並ぶ数々のデザインに橘高は目を奪われ楽しそうにしていた。しかし今では人形のような綺麗で凛とした佇まいを見せていて、これは何を言っても無駄だと桜花は悟った。
「それにしてもカップ数が下がるなんて……盲点だったわね」
 原因は運動のやりすぎ。贅肉がなくなるだけなら嬉しいことこの上ないがまさか胸にあった脂肪までもが消費されるとは思いもしなかった。
 桜花本人は邪魔なものがなくて動きやすいと喜んでいるが橘高としては少しばかり残念に思っていた。
 別に胸の大きさが女の魅力。大きければ大きい程いいとは思わない。が、ボディバランスを考えて、適した大きさは欲しいというのが橘高の自論である。
 押し付ける気はないし橘高も自分の好きな生き方をすればいいと思っている人間だ。余程のことがない限り口を出さない。だけど今回ばかりは違う。
 桜花と嵐山が付き合っているのは知る人ぞ知る話だ。誰かを好きになりそして相手に向けられる感情を気にするようになった桜花は、最初に比べると大分成長している。
 そこまでいけば普通なら自分を良く見せようとするもので、大抵の女の子は可愛くなりたい綺麗になりたいと美に力をいれたりと内面を磨くのがほとんどだ。しかし桜花はそういう方向で動く気はないらしい。自分の腕に磨きをかけ、強さをアピールする方向へ進んでしまっている。
 第一次大規模侵攻で怪我をして療養していたという設定が出てしまった以上、桜花は攫われた人間として公表されることはない。
 きっとボーダーにいなければ彼女とこんな風に再会することはなかった。
 本来遊んでいるはずだったこの四年半分を今過ごせている。それだけで嬉しいのに、もう少しと望んでしまうのは我儘なのだろうか。
「決められないなら私が決めるわよ」
 橘高は赤と黒のレースの下着を桜花に押し付け、反論がくるよりも先に「可愛い系よりもセクシー系の方があうわよ」と言ってのける。
「胸小さくなったのにセクシー?」
「桜花の雰囲気と体型考えたらそっちの方がバランスがいいのよ」
「バランスねぇ。まぁ羽矢は昔からデザイン性あるの好きだったしバランスがいいならそうなんでしょうね」
 橘高は敢えて魅せる下着云々の説明は省略した。今話しても聞き入れないだろうし、今後桜花が必要と思った時に選びに来ようと決めた。
 とりあえず納得を得られたようで桜花はそのまま会計に進む。
 中が見えないように配慮された茶色の紙袋をいれた白くて小さな花柄のビニール袋を提げている桜花を見て橘高はほっと胸を撫で下ろした。

「あ、桜花と羽矢さんだ」

 振り向いてみれば案の定。声を掛けてきたのは迅悠一。そしてその隣に嵐山准がいた。
「オフでも一緒って仲良すぎじゃない?」
「ああ! 桜花も橘高と一緒か?」
「うん、まぁ」
 軽く迅を睨みつけていた桜花は嵐山の言葉に撃沈した。休日でも二人で一緒で狡いと内心思っていることはお察しだ。問題は桜花がそう思っていることを嵐山が気づいていないことにある。
「私達、買い物に来たんだけど嵐山くん達も?」
「そうなんだ。佐補がここの一階にあるパン屋のパンが好きで――」
 そう言って自分が手にしている白くて小さな模様の入ったビニール袋を見せる。茶色の紙袋に包まれているせいでどんなパンを購入したのかは分からないが大きさから推測するに二、三個購入したと予想がつく。
「それだけのために?」
「そ、それだけじゃないんだが、えっと……」
「他にも買い足したいものがあったんだよね〜ほら、嵐山達、広報の関係で遠征するでしょ? それも兼ねてさ」
「へ――遠征するんだ」
「本当に二人は仲が良いのね」
 橘高の反応は普通だとして桜花の目つきが険しくなったのを見て迅の背中には嫌な汗が流れた。
「あれ、もしかして知らなかった?」
「知らない」
 ちらりと隣にいる男に視線を向ける。向けられた本人はあっけらかんとして「伝えていない」と答えた。
 確かに広報と防衛では任務内容も違うし、任務内容の共有をすることなんてない。それこそ個人的に親しくないとスケジュールの把握はしていないだろう。桜花と嵐山はどう考えても親しい部類に入るはずなのに……疑問でしかない。
 迅がそう思っているところで桜花の目つきが更に悪くなった。そんなに睨むならちゃんと密な連絡を取り合って欲しい。が、迅としてはこちら側の事情を知っているので口に出すのは憚られる。
「嵐山のスケジュール知ってて私が知らないって、何か企んでたりするわけ?」
「は」
「ん」
「え」
 まさかそう来るとは思っていなかった。
 確かにここ最近桜花を巻き込む時は嵐山が関係していたこともあり彼女が過敏になるのも分かる。危険がある時もない時も桜花と迅は情報のやり取りを小まめに行っていたのに今回は全くなかった。それが自分に知られたくない何かが嵐山にあると判断してしまったらしい。いつもの行動が裏目に出た瞬間だった。
 そして彼女の言葉に反応したのはこの二人も同じだった。
「そうなのか迅?」
「迅くんなら可能性は零じゃないわね」
 常に百の信頼を置いてくれる嵐山も桜花が絡むと心配要素が付随してくるため、肯定的な姿勢ではなくなることがここ最近よくある。それは人として当たり前の反応なので友人としては嬉しかったりするのだが。
「ちょ、羽矢さんまで!?」
 暗躍を趣味だと謳っているだけあって周囲から何か企んでいると思われることは少なくない。寧ろそれで警戒してくれる方がいいこともあるので是非そう思って欲しいところなのだが今回は本当何もない。
 無実を証明するために両手をあげてひらひらと振ってみるが、冷静に考えて意味がない行為だよなと迅は内心突っ込んだ。
「本当何もないって。そもそも嵐山のスケジュール把握していないのはおれのせいじゃないからね? 一緒にいる時間があるのに共有しなかった二人のせいだからね」
 その通り過ぎて桜花も嵐山も黙ってしまう。
「やることやってからおれに文句言ってよ。もう折角だし二人で買い物でもしてくれば?」
「私は羽矢と来ているんだけど」
「待っ、迅、それはこまっ」
「はぁ!? 困るってどういうことよ!」
 迅に嵐山にと桜花は突っ込むのが忙しそうだ。その様子を見て何かを決めたのか橘高が静かな口調で答えた。
「私はいいわよ? 桜花との用は済んでいるし、それに丁度いい機会だわ。迅くんを借りてもいいかしら?」
 それは桜花達を二人っきりにするための方便なのだろうか。真意を測ろうと見つめてみるが橘高の表情は崩れることはない。
「羽矢が言うならいいけど。じゃあ嵐山に連れてってもらうから」
「??」
「アンタの買い物でしょ? 私ついて行くしか選択肢がないの。まー嫌ならここで解散――」
「嫌じゃない! ただちょっと予定と違うから困っている……」
「もう、それは何よ!」
 このままでは一歩も動きそうにない。諦めたのか嵐山は桜花の手を取って黙らせた。
「じゃあ桜花と行ってくる。迅、橘高。ありがとうな」
 ぐいぐい引っ張って行く嵐山に口で抵抗しつつも身体は抵抗していない。桜花は最初に言った通り、素直に彼の後をついて行った。
 二人を見送り届けてからふと、声を出したのは橘高だった。
「迅くん、本当は私とあの子を会わせる気がなかったんでしょう?」
 それは桜花がこちら側に戻ってきたばかりの頃。第二次大規模侵攻のタイミングで海外から戻ってきたとされていた明星桜花のこと。
 彼女の名前を聞いてから会おうとしていた橘高はタイミング悪く、会う機会が中々得られなかった。いつもボーダーにいる彼女に会いに行って会えない確率というのは極めて低いはずだ。それなのにランク戦、防衛シフト、見事なまでのすれ違いに何かしらの手が加えられているのではないかと思う程だ。そして橘高はそう思ってしまった。糸を引いている人間。真っ先に思い浮かんでしまうのは迅だった。
 迅はどこか自分がそうさせていると思わせぶりな態度をとる節がある。だから行きついた考えも誘導されたものではないかとも思ってしまうが、思うだけでは前には進まない。だから橘高は思い切って聞いてみることにしたのだ。
 橘高を見つめること数秒。迅は観念したように口を開いた。
「そうだね。あの時に会われたら困ることになったんだ」
 旧知の仲である桜花と橘高。
 ボーダーB級上位にいる橘高ならボーダーの規律に反することはないだろうしそう指示が下れば従うと思っていたが万が一ということもある。
 桜花がボーダーに信頼を得られるまでは不確定要素を招く異物と接触させるつもりはなかった。特に桜花は見えている未来を無視して予期しないものを呼び寄せてしまう、良くも悪くも行動的な人間だ。
「ま、杞憂に終わったんだけどね」
 懐かしむような表情で迅が答えるから橘高は少しだけ考えてから口にした。
「迅くんは桜花のことどう想っているの?」
「大事な友達」
「私と一緒だわ」
「はは、そうだね」
 それならば問題ないだろう。二人は笑い合うと大事な友人たちが消えた方に視線を向けた。

 手を繋いで歩き回る桜花と嵐山は気づいたら恋人繋ぎに変わっていた。歩く速度もゆったりとして心地よい。先程よりもまた近くなる距離に緊張はすれど同時に愛しさも溢れて、意識せずにはいられなかった。
「それで、嵐山が困っていた原因は?」
「ん――ほら、もうすぐ付き合って一ヶ月になるだろう?」
「うん」
「だから記念にプレゼント渡したかったんだ」
「へ」
 なーんだ、そんなこと。
 そう言うつもりだったが何故か言葉が喉に詰まって出てこなかった。一ヶ月で何か特別にしなくてはいけないものがあるのか。そもそも、もう一ヶ月経つのかと桜花の頭は今まで一緒にいた時間がぐるぐると回っている。
「何をあげたら喜ぶかなってずっと考えていて今日はそれを探しに来たんだ――さっき迅が咄嗟に誤魔化そうとしてくれただろう? それで遠征のこと思い出した」
 恥ずかしいなと控えめに笑う嵐山。珍しいこともあるものだが、本人が忘れているスケジュールを迅が把握している点について疑問は解消されない。あとで問い詰めてやろうと桜花は誓う。
「別にプレゼントはなくてもいいけど」
「そう言うと思ったから内緒にしたかったんだよな」
「悪かったわね、無理矢理ついてきて」
「でも一緒にいれるからこれはこれでいいよな。あ、このまま何か……」
「いらないわよ」
「そうか」
 しゅんと項垂れる嵐山を引き寄せて「ばーか」と桜花は呟いた。
「帰ってきて、会ってくれればいいわ」
 それで抱きしめてちゃんとお互いがここにいることを感じられればいい。
 口にするのは恥ずかしくて言えないが、桜花はそれをしっかりとする気でいる。これは生きている者の特権なのだ。使わない理由がない。
「桜花……」
 艶っぽい声が上から聞こえた。何も言わずお互いの足が止まる。桜花が隣を見上げれば視線があって、そして――。
 どん。
 物凄い勢いで前方から何かがぶつかってきた。その反動で桜花は手にしていた買い物袋がどこかへ飛んでいってしまう。
 バランスを崩した桜花を支えるために嵐山は繋いでいる方の手で引き寄せもう片方の手で自分の胸の中におさめた。カサッというビニール袋の音が聞こえた。
 何が起こったのかと二人が確認するのと同時に大きな声がモール中に響いた。
「盗みだ、誰かその男を捕まえてくれ!!」
 過去に似たようなことを経験した覚えがある。身体が動いたのは条件反射だ。
 嵐山は近くにいた人間に「これをお願いします」と自分の荷物を手渡した。その間、桜花は既に動き出していた。
 前を走る男は人混みを掻き分けなくてはいけないため速度が思うように出ないようだが、後を追う桜花は掻き分けられた後を辿ればいいだけなので全速力で駆けて行けばいい。あっという間に距離は縮まって行く。
 桜花が男の腕を掴んでバランスを崩す。男は態勢を整えようと咄嗟に腕を振り上げた。反動で桜花は男の腕を離し、間合いを取ってから突進する。そして男が手にしていた鞄を取り上げた。
「てめぇ……!」
 男が桜花に向かってくる。その背後から嵐山が足を崩して床に押さえつけるようにして拘束した。こればかりは力がある男の方が適任である。
 足掻く男に先程叫んだ店員が、そして騒ぎを聞きつけた警備員が集まり身柄を確保することに成功した。
「嵐山くんありがとう!」
 この展開も過去に体験した通りである。
 後方から嵐山に荷物を渡された人間が小走りで駆け寄ってくる。
「こ、これ!」
「ありがとう」
 自分のものを他人に預けるなんて危機感なさすぎでは。そう思っていたところで、どこかへ飛んでいってしまった桜花の荷物も手渡される。どうやら一部始終見ていたようでわざわざ拾ってきてくれたようだ。ただのいい人だった。
 事件が起こる一方で珍しいくらいの善人もいるものらしい。桜花は素直に受け取った。
 この後、事情徴収を受けることになり、応対していたら結構な時間になっていた。嵐山が弟妹にパンを渡すことを考えるとそのまま帰るのがいいと判断する。
「桜花といるといろんなことが起こるよな」
「私が原因みたいな言い方止めてよ。引き寄せるのは近界民で十分だわ」
「冗談にならないから止めてくれ」
 嵐山は桜花の頭を撫でる。その顔が、声が真剣そのものだったので桜花は黙って受け入れた。

 二人別れて、自室に帰ってきた桜花は息を吐くことなく早速下着を着用しようと紙袋を開けた。しかし中にはあの赤と黒の派手めな色は存在しておらず中にあったのはパンだった。
「下着がパンに化けた……は、なんで?」
 混乱する頭を必死に抑えながら今日あった出来事を思い出していく。
 今日は橘高と下着を買って、嵐山と迅に会って、それから二人で回っている最中に万引犯にぶつかって――荷物を落とした。
「あ、」
 嵐山も桜花も似たような袋を持っていた。それを拾ってくれたのは善意あるお客の一人。直接手渡されたため素直に受け取ったが中身は確認していなかった。自分のものではないものがここにある理由はどう考えてもそれしかない。そして桜花の手元にあるのがパンだということはつまり、今日購入した下着は嵐山が持っていることになる。
「やばい」
 嵐山に中身を見られたら……いや、そもそも弟妹のために買っているものだ。中身を見ずに渡してしまう可能性だってある。
(え、被害拡大するんじゃない?)
 早急になんとかしなくてはいけない。
 桜花は急いでスマホを手にし、嵐山へと電話を掛けた。
 コール音を聞く度に気持ちが逸る。焦ってはいけないと深呼吸を繰り返し無理矢理にでも落ち着かせるが上手くいかない。
 トゥルルルルル……。
 電話が取られた。叫びたくなるのを一瞬だけ堪えて桜花は平静を装って声を出した。
「あ、嵐山? 実はアンタが買ったパンを間違えて持って帰ってきたみたいなんだけど」
「――っ。そ、うなのか!」
「……それでそっちに持って行こうと思うんだけど、中身見た?」
「大丈夫だ! 見てないぞっ」
「……」
 言葉がたどたどしい上に、大丈夫だと言い切った。これは完全に見てしまったのだと嫌でも悟ってしまった。
「見たわね」
「いや、見てな……」
「それで双子に中身を知られた?」
「……すまないっ!」
 それは何に対してだ。さっきまでの慌てぶりはどうしたのか電話の相手が慌ててくれるおかげで桜花はどんどん冷静になっていく。そして嵐山を問い詰めていくのに注力する。
「双子にも見られたってこと?」
「いや違う! 小腹が空いて先に一つ食べようと思って……」
 どうやら被害は最小限で抑えることができたらしい。できれば嵐山にも見られたくなかったが致し方ない。今回は事故だ。忘れて貰うしかない。桜花はそう結論を出したが電話の向こう側は桜花が口にしないのを怒っていると解釈しているのか懺悔真っ最中だ。知った経緯まで話してくれている。
「違うことに気づいて、それで、中身を確認しようと取り出してしまって」
「え、触ったの」
「ごめん! びっくりして手を離してしまえずにいるんだ……」
「いや袋に入れてよ」
「女性の下着を触るのは躊躇うというか……」
「一度も二度も変わらないわよ! っていうかそのまま放置している方がヤバイじゃない。誰かに見られたらどうするのよお兄ちゃんでしょアンタ」
「無理だ……桜花、取りに来てくれ……」
 初心なのかそれとも人のものに触れるのを本当に躊躇っているのかは知らないが、声から察するに相当参っているようだ。どちらかというと男の部屋に自分がこれから身に着ける予定の下着が散らかされている方が窒息死するレベルでダメージを負うはずなのだが、なんだか立場がおかしなことになっている。
「わ、分かったから! 今、パン持って行くから! 嵐山、絶対に誰も部屋に入れるんじゃないわよ!」
 返事を聞く前に桜花は部屋を飛び出した。
 そして数十分後。
 嵐山母に家の中に入れて貰い、そのまま長男の部屋に直行する。部屋の扉を開ければ顔を真っ赤にした嵐山に出迎えられた。
「桜花……」
「へ、ちょっ、待っ」
 扉が閉まるのと同時に抱きしめられ、彼の熱に中てられた。
 正直、どうすればいいのか桜花には分からなかった。


20190527


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