あなたと出逢う物語
内に秘める

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 目を開ければ白い部屋。窓も扉も何もない。そのかわり、見慣れた顔があった。
 明星桜花、嵐山准、迅悠一は先程までのことを思い出す。
 嵐山はコロの散歩をしていた。
 迅は暗躍ついでに晩御飯の買い出しをしていた。
 そして桜花は訓練室で仮想トリオン兵を斬りまくっていた。
 各自で過ごしていた休日。突然起こった出来事に焦ることもなくいつも通りだったのは三人がそれだけの修羅場をくぐってきたというよりもマイペースだからという意味合いが強い。
「迅! 桜花! どうしてここに?」
「私が聞きたいわよ。罠に引っかかった覚えなんてないし」
 そう言いながら桜花はアステロイドを壁に向かって放つ。が、傷一つつかなかった。弧月で斬りつけるも結果は同じ。二人の視線は迅の方へと向いた。
「いや〜おれも見えていなくてさ……」
「迅、嘘じゃないでしょうね」
「嘘じゃないよ」
「そうだぞ。仮にそうだとしても迅は無意味な嘘はつかないからな!」
 果たしてその言葉はフォローになっているのだろうか。少なくても嵐山はどんな状況になっても安心だと言いたいらしい。
「はぁ……起こってしまったものは仕方がないし、これからのことを考えるしかないわよね」
 言うと桜花は迅の顔を覗き込んだ。
 上目遣い……だったなら不覚にも胸が高鳴ったかもしれない。しかしどう見ても睨み上げているだけだ。気のせいか背中がぞわっとした不快なものが走った。
「え、桜花怖いんだけど」
「それよりアンタにはやることがあるでしょ。今ならセクハラされてあげるからちゃんと見なさいよ」
「おれのサイドエフェクト、セクハラじゃないから! それに狙って見えるわけでもな……」
「つべこべ言わずに見る」
「……」
「私が駄目なら嵐山! ほら!」
 桜花は迅の顔の頬を両手で覆うと嵐山の方を見るようにと無理矢理動かした。
 抗議の声を出そうにも出てこないのは何故なのか。
 自分の頬に添えられた手を外そうと迅がその手を取ろうとした時だ。
「なんか書いてあるぞ」
 突然聞こえてきた声に頬から温もりが消えた。声がした方を振り向けば嵐山が壁の一点を見つめていた。
 先程までは自分たち以外何もなかった空間に現れた異物。その壁には文字が書かれていた。

『この部屋から出るには相手に知られたくない秘密を言え』

 言葉を理解するのは難しくなかった。内容自体に危険はなさそうだが果たして本当にその通りに行って部屋から出られるのかは分からない。
「簡単なもので良かったな!」
「凄く怪しいけどやるの?」
 確かめるように桜花の視線が迅に向けられる。迅は食い入るように見つめる。が、見えた未来は今目に映るものと変わりはない。
「保証はできないかな」
「あ、意味ないの」
「だけどここで何もしないのは未来を変えることはできないのだろう? 迅が読み取れるように行動を起こすことは必要だと思う」
 嵐山の言葉は確かに一理ある。真っ先に実行したのは桜花だった。
「ご飯を奢ってもらうのを条件に太刀川を匿った」
「はい?」
 飛び出してきたのは秘密と言っていいものなのか。そもそも何のことか分からず、嵐山と迅は目を丸くした。反対に桜花は本気にしているようで目の前の壁を睨みつけていた。
「何も変わらないわね」
「太刀川さんを匿ったって、何かあったのか?」
「さあ。風間さんに追われているみたいだったから無視しようと思ったんだけど」
「あぁ……食べ物につられたんだっけ。これ、秘密になるの?」
「なるわよ。知られたら私、風間さんに殺される」
 文字が現れたような目に見えた変化はなかった。どうやらこれでは駄目らしい。
「じゃ、次」
「え〜……沢村さんのおしり、触った……とか、かな?」
 その瞬間冷たい視線が刺さった。
「迅、セクハラは駄目だと何度言えば……」
「もういつものことじゃない」
「おれの勇気……」
「使うならもっとマシなことにしなさいよ」
 苦笑しながら迅は他に何かないかと探し始める。
「嵐山は知られたくない秘密持っていなさそうだから私達二人でなんとかするしかないわね」
 否、持っていても隠し通せなさそうというのが桜花の印象だ。彼を当てにする気はなく、迅と同じように桜花も何かいいものはないかと記憶を遡っていく。
 そんな二人を眺めながら嵐山は頬を掻いた。
「実は二人にはまだ内緒にしておこうと思っていたんだが……今度皆で旅行へ行こうと計画をたてていて……」
「旅行?」
「おまえ本当、そういう計画を立てるの好きだな」
「でもこれ知られたくないっていう程のものではないでしょ?」
「しっかり立ててから言いたかったんだ。まだ柿崎たちのスケジュールの確認が取れていないからな」
 それもそうだが自分たちのスケジュールの確認は取ってくれないのかと思うことはあるが、彼の場合善意であり好意でもある。皆で旅行へ行くという本気だけは伝わってそのことに関しては突っ込むのをやめた。しかしそれはそれだ。
この部屋が知られたくない秘密だと判断するとは限らない。現に部屋の内装は変わることがないし、自分達に対する影響もない。
「他に手を考えないと駄目だよな」
 言うと嵐山が壁に手をついた瞬間だった。
 ずぽっ。
 何かを飲み込むような鈍い音が聞こえた。
 見れば嵐山の腕が壁をすり抜けていた。
「どうなっているの?」
 すかさず桜花が嵐山の腕がすり抜けた壁周辺を触る。しかし先程と変わらない厚くて固い壁でしかなかった。
 試しに嵐山が腕を引く。手はしっかりとついていて動かすことができる。壁の向こうをすり抜けても問題はなさそうだ。今度は壁に手をつく。ずぽずぽと低い音を立てながら手から壁の向こう側へとすり抜けていく。
 二人は揃って迅を見た。
「うん、この先へ行っても問題ないみたい」
「根拠は?」
「嵐山が本部に着地したのが見えた」
「ということは、この先は本部に繋がっているのね」
「だけどどうして俺だけ?」
「考えられるとしたらこれだろうね」
 言うと壁に書かれている文字を読む。
『この部屋から出るには相手に知られたくない秘密を言え』
 嵐山の告白はこの条件をクリアしたのだ。そして部屋から出られるのは条件をクリアした者のみということなのだろう。
「なら、二人も秘密を明かせば……! 難しいことじゃなくて良かったな!」
 笑顔の嵐山に迅と桜花は頬を引き攣らせた。
 嵐山にとってはそうかもしれないが二人にとってはある意味難しいのだ。正直いろんなことをやりすぎていて何が知られたくない秘密なのか見当がつかない。
「さぁ、何でも話してくれ!」
 長男の雰囲気を醸し出す嵐山に二人は気持ち的に距離を取った。お互い先にどうぞと視線でやりあう。
 ごぽっ。
「!!」
 それは一瞬の出来事だった。
 片腕を壁の向こう側へと突っ込んでいた嵐山の身体が勢いよく向こう側へ引きずられてしまった。予期しない出来事に何もすることができなかった。しかし迅は焦ることなく壁の向こうを見つめている。
「未来通りになったかな」
「吸い込まれるのも見えていたわけ?」
「まさか。ただ消えても嵐山の未来は変わっていないからこれは大丈夫だ」
「ならいいか」
「そうだね、問題はおれ達。助け出される未来は見えてこないから自力で脱出したほうが早いんじゃないかな」
 二人はもう一度壁に書かれている文字を睨みつけた。
「アンタは当てがたくさんあるんじゃない?」
「はは、桜花だって人のこと言えないでしょ」
 沈黙が空間を支配する。
「とりあえず状況を整理しようか」
 脱出できた嵐山とできなかった二人。この違いが何かを思い出していく。
 嵐山は桜花と迅に秘密にしておきたかったものを告げて脱出した。
対して迅は誰に知られても差し支えないものを口にして条件に達しなかった。
 桜花は風間に知られたくないことではあったがそれでも条件が達成できなかった。
 『この部屋から出るには相手に知られたくない秘密を言わなくてはいけない』
 それはこの部屋にいる人間に対して知られたくないものだということだ。
 ……となれば話は簡単だ。二人は相手にとって知られたくないものを明かせばいいのだ。見当がつかないのであれば手当たり次第、口にするしかなかった。
「言っておくけど」
「他言無用って? あくまでもおれに知られたくないことなんでしょ? 誰にも言わないよ。桜花も……」
「分かってる」
 見つめ合うこと数秒。二人は壁に自分の片手をつけた。
「バムスターに喰われたの、一度だけじゃない」
「助けるために襲われるのを待っていた」
 壁は固いままだった。
「向こうでトリオン兵使って人を攫ったり……」
「ボーダーのために見殺したな」
「死なせたこともあるし、手を汚したこともある」
 手から熱が壁に向かって逃げていく。
「おれは桜花を見捨てたよ」
「私が生き残ったのは誰よりも自分を選び続けたからで、たくさん捨ててきたわよ」
 ひんやりとしている壁。何かが心臓まで這い上がってくる。
「責めて欲しかった」
「私、実は優しくないのよね」
「おれも優しくもないしかっこよく、ないかな」
「あぁ駄目。何も変わらないわ」
 部屋は二人の口から洩れた言葉を知られたくないものと判断しない。先に音を上げたのは桜花の方だった。
「誰でもいいからなんとかして」
「おれのサイドエフェクトも反応ないみたいだし……それらしいこと言っているだけじゃ本当に駄目なんだな」
「みたいね。……助け、来ないの?」
「そういうのは見えてきていない。こればかりはおれもお手上げ……」
「……助けて欲しかった」
 呟かれた言葉。聞き返すよりも先に、じわりと指先から何かを感じ取り、壁の様子に集中する。いつの間にか小さな波紋ができていた。
「学校の給食食べたいわね」
「……食い気から離れたらどう?」
「無理よ。戦うために食事、睡眠、運動は欠かせないから」
「健康の鑑だよね」
「戦士の、でしょ。あ〜そういえば迅の寝顔写メ持ってる」
「は、なんで」
「送られてきたのよ。いつか役に立つかもしれないと思って黙ってたんだけど」
 ずぽっ。
 桜花の手が勢いよく向こう側に入り込んだ。
「あ、今のが当たり?」
「当たりって……」
「それで迅は?」
 どうやら突っ込む暇も与えてくれないらしい。迅は壁を拳で軽く叩いて見せる。
「見ての通り」
 今まで呟いた全てが引っかからなかった。他に何かなかっただろうか。
 サイドエフェクトが運んでくる未来の一コマ。
 本部。喜ぶ嵐山。桜花のスマホ。そして残っていないデータ。
 繋ぎ合わせるには歪だが、自分も外に出られたことだけは分かる。
 未来の自分は何を口にしたのだろうか。
それだけを考えるがここから答えを求めるのは難しい。
「迅」
 呼ばれた声にはっとする。そして想像した。
「先に行きなよ」
「いや、アンタ助けは来ないって言ってたじゃない。吐露する相手がいないと駄目でしょ」
 自分の腕を引き抜こうとする桜花を迅は押しとめた。
「大丈夫。三分後には向こうで会える」
 だから先に行ってほしいと伝えたつもりだった。迅は桜花の身体を壁の向こう側へと押し込もうとする。
「こんな状況で信じると思っている? っていうか、私にちゃんと聞かせなさいよ」
「本音酷い」
「当たり前でしょう。私酷い奴なんだから」
 ガシッと掴まれた腕に迅は一瞬だけ目を丸くする。目には壁と桜花の姿が映る。だからニヤリと微笑んで見せた。
「知ってる」
 桜花の半身が向こう側へ引きずり込まれる。顔が見えなくなる。それでも残された片手は変わらず自分の腕を掴んでいてくれている。
 壁が完全に隔ててしまうその前にーー。
「好きだよ。好き、だったんだ……」
 腕は引っ張られそのまま自分も壁の向こう側へと通り抜け、条件が達成したことを知る。
(やっぱりそうだよな)
 知られたくない想い。届けるつもりのない言葉。ここまで進んできた以上、口にすることはないと思っていた。
(言えて、良かった。これで心置きなく……)
 壁の向こう側ではいい友人でいられる。
 自分の胸に残る想いをこの部屋に置いていって、迅は彼等が待つところへ帰っていった。


20190615


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