分岐点
菊地原士郎
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年末近くなるとボーダー内も少し人が減る。
ほとんど学生が防衛隊員をしているため、それも致し方ないのかもしれない。
事が起きたのはそんな人が少ない日の少ない時間帯だった。
ある隊員はランク戦をしていた。
白い隊服を身に纏っている…訓練生だ。
新入隊員の入隊式はまだ先だ。
彼はまだ正式に入隊していなかったが、ボーダーでは見込みのある隊員が事前に訓練を行う事はまぁまぁある。
彼はその隊員の一人であった。
少しでも多くランク戦をしてポイントを稼ぎ、
他の新入隊員と差を広げておこうという魂胆だ。
目の前の現訓練生とのランク戦で激戦を強いられたがこちらが優勢だった。
「とどめだぁ!」
そう言ってハウンドを放った瞬間だった。
彼は悲鳴を上げた。
「なんだこれ!?」
急に視界が歪む。
仮想フィールドからはぽつぽつと何かが溢れてきた。
先程まで見えていた相手の造形が変わったかのように見えた。
己が放ったハウンドの光と同じよう光を放つ相手の身体は無数の数値で埋め尽くされていた。
光と数字しかない世界…データだけの世界だ。
何が何だか分からない。識別も困難であった。
主張をするように光るそれは、彼の目にダイレクトに飛び込んでいく。
見慣れない物に視覚が追いつかず、思考も働かない。
人の感覚はほとんど視覚によるものが大きい。
まるで波に呑み込まれたかのような浮遊感を感じ気持ち悪くなり、
彼は全てを遮るように目を瞑った。
このような事は彼だけに起きた事ではなかった。
数名の隊員にも同様に起きた現象だった。
眩暈、吐き気、酷い者は倒れてしまった。
それを見た他の隊員が悲鳴を上げる。
菊地原がそこにいたのに他意はない。
ただ、防衛任務で用があったから本部に来ていただけだ。
ただでさえ人が集まるような場所はいろんな音を拾うので自ら進んで行こうとは思わなかったが、
他の隊との打ち合わせがあるからここで待っておけと言われてしまえばしょうがない。
ぶつぶつ文句を言いながら歌川と一緒に待っていたら悲鳴が聞こえてきた。
急いで聞こえてきた現場に向かう歌川の後ろからやれやれと溜息をつきながら菊地原はのんびりと歩いて歌川の後を追う。
「星海、お前は待機していろ」
「でも…元は私が!」
「上司命令だ」
道中そんな声が聞こえた。
どうやらエンジニア勢が何かしでかしたらしい。
また面倒くさい事をしてくれたなーと菊地原は思いながらも現場に辿りつく。
そこには実に面倒な事になっていた。
『ただいま実験の設定ミスにより、
ブース内のトリオン体に換装している人間にランダムで視覚情報が乱れが発生してしまい――』
緊急アナウンスが流される。つまりそういうことだ。
どうやらエンジニアが視覚情報に関して何か実験をしていたらしい。
それが何かの手違いで隊員にランダムでリンクしてしまったとの事だった。
被害に遭っていたのはこの時間にランク戦を行っていた隊員…割合的には訓練生がほとんどだ。
気分が悪いと訴えているのは大体二十人くらいだろうか。
そんなに多くはない人数が幸いだったのかもしれない。
急いで救護班そしてエンジニアが数名駆け込んできて謝罪をしていた。
その中にあかりの姿はない。
「視覚バグか…!これも俺の輝かしいボーダー隊員への試練なのか!?」
何、馬鹿な発言をしているんだという突っ込みは誰もしない。
かわりに冬島が真面目な顔で謝罪している。
「悪かったな。
この事はあまり口外しないでくれよ」
冬島は救護班を呼んで一番元気に叫んでいた隊員を運ばせた。
少しだけの平穏が訪れるがそれが余計に菊地原の耳に音を拾わせていた。
他の人間なら近くに寄らないと聞き取れない声。
菊地原は自身のサイドエフェクトである強化聴覚のおかげで聞きたくなくても聞こえてしまう。
「まさか他の人間とも視覚情報を共有するとか…」
「誰だよ、共有先間違えたの」
「いやそれよりもコレをどうするか……」
「巻き込まれたのが若手なのが良かったのかもな…」
「星海は?」
「あいつは今研究室に待機させてます。
流石にこれは見せたく…いや、聞かせたくないんで」
「そうだな、自分が見ている世界(もの)を否定されているようなもんだからな」
エンジニア達は風間隊が菊地原の聴覚を隊全員に共有させるのと同じように、
視覚情報を共有させたかったらしい。
今回はその実験だった。
巻き込まれたあの元気に喚いていた隊員の言葉と、
エンジニア達の言葉から誰の視覚情報を共有させようとしていたのか…特定するのは簡単だった。
「気分が悪い」
菊地原は呟いた。
それを隣で聞いていた歌川は否定も何もしなかった。
大勢いるところでいろんな騒音を菊地原は拾ってしまうのを知っていたからだ。
今回は事が事なのだからいろんな声を聞いてしまったのだと解釈する。
「救護室行くか?」
「いい、ちょっと休んでくるから風間さんに伝えておいて」
「分かった」
菊地原はブースから離れた。
多分彼等にとっては当事者がそこにいないのを知っているから話した事なのだろうが、
だからといってあんな誰に聞かれるか分からないところで話すなよと思った。
「なんでこんなとこにいるの?」
「きくっちーブースの様子どうだった?」
「今はどうもないけど。…っていうかその呼び方止めてくれない?」
冬島に研究室に待機しろと言われていた人物を目の前にして菊地原は溜息をついた。
以前宇佐美が構いたくなるとかほっとけないとか言っていたが、
どこがだと菊地原は思う。
同い年の割に子供みたいに無垢というか馬鹿というか…確かに妹っぽいところがあって宇佐美だけでなく時枝とかも気に掛けているみたいだが大げさすぎるなと思っている。
サイドエフェクトを持っている人間はどんな能力にしろそれと一緒に生きていかないといけない。
それは決して他の人間には理解できるようなものではない。
それを自分達は知っている。
「星海さーなんでそんなに他人の心配なんかするのさ。
アイツラはアンタの事、理解なんかしてくれないよ」
「別に私の事理解してくれないからって心配しちゃいけない理由にはならないよ?」
「お人好しも度が過ぎるとただの馬鹿だね」
「そんなんじゃないよ。
ただ、理解はされなくても私を見てくれる人がいるのを知っているから」
あかりはいつも自分の事を考えてくれた母親の事を思い出す。
変な子と周りから言われても昔から友達でいてくれた時枝と佐鳥を思い出す。
彼等がいたから自分は今ここにいるのだとあかりは思っている。
「だから私もそういう風に相手を見る事ができる人になりたいって思っているだけだよ」
「何それ押し付け?それとも偽善者のふり?
自分の事を理解してくれない奴を大切にするなんてできないだろ?」
「きくっちーはいるでしょ?
力の事は理解してくれなくても、自分を見てくれる…大切な仲間」
「は?ばっかじゃないの!」
菊地原は叫んだ。
あかりと話していると頭が痛くなる。
「私も……なれたら……」
本当に頭が痛い。
あかりが呟いたのを聞いて、菊地原はそう思った。
20151116
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